タグ

noteと言論に関するsugirkunのブックマーク (13)

  • 「キャンセル」が危うくするもの:ひょうご人権総合講座からの講演取り消し依頼を受けて |牟田和恵

    1年以上前に引き受けすでに広報もされている(注)、ひょうご部落解放・人権研究所主催の「ひょうご人権総合講座」(2023年8月~12月)の「ジェンダー①(総論)講義(11月2日予定)」について、依頼取り消しの連絡を受けた(9月22日)。 取り消しの理由は、添付文書の通り(この文書は同研究所から公開の許可を得ている)、6月14日にWANサイトに掲載された「LGBTQ+への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明」に対して私がSNS上に公開した「トランス問題と女性の安全は無関係か――『LGBTQ+への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明』についてフェミニストからの疑問と批判」(2023年7月6日note公開)に問題があると、同研究所の協力者から批判があり牟田は講師としてふさわしくないと判断されたからということだ。研究所自体としては、「主張の適否を判断するものではな」く、「意見の違

    「キャンセル」が危うくするもの:ひょうご人権総合講座からの講演取り消し依頼を受けて |牟田和恵
  • 東浩紀『訂正可能性の哲学』|KIRA Takayuki

    つい昨日に発売された、東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン、2023年8月)と『観光客の哲学 増補版』(ゲンロン、2023年6月)を読んだ。 私はこの著者のよい読者ではない。『訂正可能性の哲学』もよいだと思えなかった。ルソー、プラトン、ポパー、ウィトゲンシュタイン、アーレント……といった有名な哲学者の代表作をいきなり読んで(つまり近年の研究などはほとんど参照せず)、過度に単純化しながら連想ゲームで「ゆるいつながり」を作っていく。確かに読みやすいし、なるほどこういうふうに読ませるものかと感心させる部分はある。しかしそれは哲学的には意味のないレトリックを超えるものでない。もちろん一般向けの著作だから細かい解釈でどうこう言わずとも、何かオリジナルなアイデアが展開されていればそれでよいのだが、今回は「訂正可能性」という言葉でなんでもつなげている(たとえば第一部の鍵となる「家族」という言葉だが、こ

    東浩紀『訂正可能性の哲学』|KIRA Takayuki
  • 坂本龍一さんの「たかが電気」演説は電力自由化演説。では反原発運動の目的は何だったのか|加藤文宏

    龍一氏の「たかが電気」演説は電力自由化演説だった。反原発運動は電力自由化運動だった。 電力自由化で何者がどのようなメリットを得たのか。その結果いまどうなっているのか。 著者:K(カトウ)ヒロ (K+H:プロジェクト) 「たかが電気」演説の内容を理解している人は少ない2022年5月13日22時26分、横浜市北部と隣接する川崎市の一部で6万7000戸が停電し翌5時30分頃ようやく復旧した。聞き取りやネット上の声を集めると電車が止まり、マンションのオートロックが作動しなくなり、交差点で信号が消え、真っ暗闇になった自宅階段を滑り落ちた人がいて、動物病院で緊急手術中だった犬は通電している医院に送られるなど様々な混乱が発生していたのがわかる。 この停電の原因は地中に埋設してあった電線を重機が破壊したためだが、政府が節電を呼びかけるほど電力事情が逼迫するなか、この夏は停電によって人命に関わる事故が発

    坂本龍一さんの「たかが電気」演説は電力自由化演説。では反原発運動の目的は何だったのか|加藤文宏
  • 清水晶子による「学問の自由」の定義を検討する|石畑隆

    清水晶子の講演「学問の自由とキャンセル・カルチャー」が話題になっています(書き起こしはこちら)。この講演については、キャンセル・カルチャーを擁護するという講演の主旨に対してだけでなく、主張の背景にある清水の「学問の自由」への理解も批判にさらされているようです。その際、ミルの『自由論』に代表される「学問の自由」への古典的な擁護を引き合いに出すものもあれば、日国憲法第23条に対する学説・判例上の解釈を引き合いに出すものもあるようです。清水は、講演の中で、ポリティカル・コレクトネスやキャンセル・カルチャーを批判する際に引き合いに出される「学問の自由」は、「日国憲法で保障された『学問の自由』とはかなりかけ離れたもの」だとしています。清水の「学問の自由」に対する理解は妥当なものなのでしょうか。 この記事では、清水が講演の中で行っている「学問の自由」の定義を検討していきたいと思います。その際、憲法

    清水晶子による「学問の自由」の定義を検討する|石畑隆
  • キャンセルカルチャー:バンドを去った僕からアーティスト達へ|Blah

    現在、米国Spotifyを舞台に言論の自由を巡る戦いが起きている。 全米人気ナンバーワンのポッドキャスター、ジョー・ローガンの番組が「コロナに関する誤った情報を流している」として、ニール・ヤングを皮切りに著名人達が続々と抗議の声を上げ、ジェニ・ミッチェルなどの大物アーティストが楽曲の配信取り止めに踏み切っているのだ。

    キャンセルカルチャー:バンドを去った僕からアーティスト達へ|Blah
  • 制限選挙論者としての白井聡:「反知性主義」をめぐる永続戦争|ヒラヤマ タカシ

    政治学者で京都精華大学専任講師の白井聡氏が、シンガーソングライターの松任谷由実氏に対して、フェイスブック上で以下のような発言を行い炎上、発言を削除、謝罪するという騒動があった。 これは、松任谷氏がラジオ番組で、安倍晋三首相の辞任に際して、「プライベートでは同じ感性を共有出来る」「ロマンの在り方が同じ」「切なくなった」というようなような発言をしたことが原因のようだ。 なぜ、それが上記の発言につながるのか? 白井氏は、安倍政権に対する舌鋒鋭い批判で知られ、また日共産党への支持を表明している。安倍氏にシンパシーを感じるかのような松任谷氏の発言が、政治的な立場から許せなかったと推察される。だが、それだけにしてはあまりに過激すぎる。 さて、上記の発言に対する大学の声明は以下だった。 このたび、学教員によるフェイスブック上での不適切な発言がありました。 「人間尊重」「自由自治」を理念に掲げ、ダイバ

    制限選挙論者としての白井聡:「反知性主義」をめぐる永続戦争|ヒラヤマ タカシ
  • 外部記事リアクション共有「対話不可能性」|白饅頭

    月額購読マガジンです。日記やコラムがほぼ毎日のペースで更新されます。さらに月ごとに特典をたくさんご用意しております。

    外部記事リアクション共有「対話不可能性」|白饅頭
  • アニメの多様性を考える - 批評・ジャーナリズムがほぼ存在しないアニメ業界|さぶかるもん

    前回のブログ記事の最後に、ドラマ『カルテット』のパセリの話題を引用して、アニメ業界は他のエンタメ業界に比べてパセリに注目するような土壌がほぼないと書きました。パセリだとなくてもいいとなっちゃうかもしれないので、ラーメン業界に例えると、味のバリエーションが少なく、各店舗による違いがあまりないという寂しい状況にアニメ業界はなってきていると危惧します。散文になってしまいますが、アニメ業界と他業界の違いを中心にアニメの現状を考えていきたいと思います。 映画業界の場合、様々な映画祭があり、キネマ旬報や映画秘宝(廃刊してしまいましたが…)などの批評雑誌の存在もあって、興行だけでは計れない指標があり、一定程度の多様性や新人育成の機会が保たれていると思います。片渕さんへのインタビューへの反応として映画賞に対して否定的な意見もありましたが、賞が全てではないにしろ、海外含めたコンペなどで注目をされることの効果

    アニメの多様性を考える - 批評・ジャーナリズムがほぼ存在しないアニメ業界|さぶかるもん
  • 社会学よどこへ行く|ぽんこむ

    正直なところ、社会学という学問については辞書的な知識しかありません。特に学んだことも、専門書を読み込んだわけでもありません。しかし「社会学者」なる人達がメディアで珍妙なことを吹聴していたことは存じておりました。 然るにSNS時代となって、「社会学者」なる人達が、陰に日向に珍妙な思想集団を支援し、言わばその裏書きというかケツ持ちとなっていることに違和感を覚えました。社会学が、人権や民主主義思想の至らない実社会に対して、それらに依拠した「社会のカイゼン」を提言しようとしていることは想像に難くないのですが、どうにも一部「社会学者」の提言に依拠して社会に手を加えようと叫んでいる集団が、人権や民主主義に依拠しているとは思いがたい、もっと言えばそれらを理解しているとすら思いがたい振る舞いをし、また「社会学者」達もそれを掣肘するそぶりも感じられません。 既に何度か述べていますが、ポリティカルコレクトネス

    社会学よどこへ行く|ぽんこむ
  • 叛乱論研のこと。 革命と父性|ni_ka

    御縁があって、数年前、叛乱論研(はんらんろんけん)という研究会に参加していた。正確には長崎叛乱論研(ながさきはんらんろんけん)という名の研究会で、長崎浩さんを中心に月に一度読書会をしていた。長崎浩さんは、1960年の安保運動で東大のどんな名前の団体か知らないのだけど、リーダーをしていた有名な元闘志だとほかの方から伺った。ある種カリスマと呼んでよい方で『叛乱論』など多数のご著作がある。ご存じない方はググってみてね。 長崎叛乱論研という研究会名だけども、長崎浩さんはご自分の名前を出そうとしたり、人の中心にいようとしたりするような方ではなかった。勉強や思考することにどこまでも真剣で、決して威張ったりせず、過去の話もこちらが聞かなければしなかったし、若輩者の私たちにも敬語を使って対等に議論してくださる凛とした方だった。それはやはり叛乱論研に参加していらした思想家で作家の笠井潔さんも同じだった。お二

    叛乱論研のこと。 革命と父性|ni_ka
  • 【読み放題対象】国家論Ⅰ ~「日本人に生まれたというだけで、日本人には価値がある」という言葉は、なぜリベラルをあそこまで怒らせたのか~|丹羽薫ちゃん

    【読み放題対象】国家論Ⅰ ~「日人に生まれたというだけで、日人には価値がある」という言葉は、なぜリベラルをあそこまで怒らせたのか~ コロナ禍になってからずっと私は、あの有名な「日人に生まれたというだけで、日人には価値がある」という言葉をめぐっておきた炎上事件について何かを書かなくては、と思っていた。なぜって、都市も国境も封鎖され、グローバリズムが破綻し、国民国家が国境の中の閉鎖的な系に逃げ込んだように見えていた中、もはや最後にすがる価値観のようになった「ナショナリズム」について考える時に、あの時ほど、人々の先鋭化した考え方がむき出しになった事件は無いと思えたからだ。 私の疑問は、「日人には価値がある」をめぐって、なぜあそこまで擁護派と反感派がすれ違ったのかということだった。最初は全く理解不能だったが、考えを進めていけば、当然のすれ違いだった。 自己の政治理論をいくら先鋭化させてい

    【読み放題対象】国家論Ⅰ ~「日本人に生まれたというだけで、日本人には価値がある」という言葉は、なぜリベラルをあそこまで怒らせたのか~|丹羽薫ちゃん
  • ネットの新概念「シーライオニング」の元ネタ漫画は本当にリベラルな文脈で描かれているのか?という疑念|CDBと七紙草子

    シーライオニングのこの画像見てもアシカが「相手の事を理解しようとしてない」事はこれじゃわからなくない? 女「アシカ嫌い」 アシカ「なんで?」 女「あっち行って!」 何かに答えてそれを無下にしてたらわかるけど 最初から会話する気0なのはこの女の人でしょ pic.twitter.com/Mi71LgZ8WR — わなび (@wanna_be3) July 11, 2020 うむ。 大丈夫か?これ。 僕は英語がそんなに強くないし英語圏のネット事情を知らない。だから欧米で「シーライオニング」という言葉がどういう人たちにどう使われているのかわからない。どうも話ではゲーマーズゲート、ゲーム描写をめぐるフェミVSオタクみたいな論争の中で主にフェミニスト側で使われているらしく、欧米ではリベラルフェミニストがどんどん使っているのかもしれない。繰り返して言うが青識くんに対しては叩かれて率直にざまあという気持

    ネットの新概念「シーライオニング」の元ネタ漫画は本当にリベラルな文脈で描かれているのか?という疑念|CDBと七紙草子
  • ぽんこむ|note

    「批判」を成立させるための五要件 一、変更可能な事象についての批判であること(変更可能性) これは当然で、変更出来ないことについては対処もできないのだから批判のしようがない。所謂「先天的な事項」に対する悪口が差別だとされる所以にも繋がる。 また、「変更可能ではあるが(心理的含む)コストや能力などの理由で困難」という場合には、その困難さと批判によって得られる利得との考量で批判が妥当かが決まる。 二、批判されている事象・状態を変更する責任を有するのが(またはそれをする能力を有するのが)専ら被批判者であること

    ぽんこむ|note
  • 1