読書ノート(ほとんど引用からなっています)前回のエントリーで野家啓一氏の文を引用したが、どんな方か寡聞にして知らない(その「名」がかつて頭の片隅をかすめたことがあるぐらいだ)。 少し調べてみたら、氏が柄谷行人に言及したものがあるので、資料として残しておこう。 ◆野家啓一「柄谷行人の批評と哲学」(『国文学』1989年1月号)と題したエッセイ 柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけてい る。かつて『隠喩としての建築』を読んだ時、私はその着眼の卓抜さと鮮かなレトリックには感嘆したものの、「専門学者」としての見地から、彼のゲーデル理 解とその敷衍の仕方には一種の「あやうさ」を感じざるをえなかった。というより、その「あやうさ」が後にエピゴーネンたちによって増幅され、「ゲーデル問 題」が過剰な意味づけ