#10 「テルヨさん」のこと テルヨさん、という人のことを、わたしはほとんど何も知らない。おそらく川崎市に住んでいて、おそらく西荻窪駅を使っている。おそらく女性で、おそらく年配で、そしておそらく困っている。それだけだ。 猫背でうつむきがちだからか、わたしはよく落とし物を見つける。するとだいたい拾ってしまう。本来出会うはずのなかった他人の痕跡にふれるのがなんとなく好きなのだ。「自分とは関係ないところで営まれている誰かの生活」みたいなものに、みょうな愛着を感じるらしい。 だから、定期入れや携帯電話を拾うと、本当は見ないほうがいいのかもしれないけれど、つい中身を覗き見したくなる。そして、落とした人の風体を勝手に想像し、名前を心のなかで呼び、落とし物が無事に手元に戻るよう願う。 受験生だったころ、塾の帰りに西荻窪駅前で拾ったのが、川崎市発行、テルヨさんの名前入りのシルバーパスだった。 わあ、たいへ