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ブックマーク / shuchi.php.co.jp (11)

  • 櫻井孝昌×和田彩花 特別対談~PHP新書『乙女の絵画案内』刊行記念 

    サイトで連載しご好評をいただきました 『和田彩花の「乙女の絵画案内」』 が、さらに内容を充実して、2014年3月15日、PHP新書より刊行されました。 そこで、発刊を記念して、書のプロデューサーである櫻井孝昌氏と著者和田彩花氏が対談し、書ができたきっかけから、絵画にまつわる話など、楽しいトークが展開されました。 『乙女の絵画案内』誕生のきっかけ 櫻井 あやちょ(和田彩花)の絵画案内をプロデュースできる日が来るなんて、2011年に初めてスマイレージをインタビューしたころは思ってもいなかったなあ 和田 ほんとうにそうですね。 櫻井 あやちょが美術が好きって知ったきっかけは、読売新聞のスマイレージへのインタビュー記事に1行、「マネが好き」と書かれていたことなんだよね。それで、僕が編集者だった20代のころに手がけた美術関係のプレゼントしたり、あやちょがそのことをブログに書いてくれたりし

    櫻井孝昌×和田彩花 特別対談~PHP新書『乙女の絵画案内』刊行記念 
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第10回/ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』

    サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510) 初期ルネサンスを代表する画家。当時、権勢をふるっていたメディチ家の当主ロレンツォの庇護を受けた。1445年イタリアのフィレンツェに、皮なめし職人の息子として生まれる。フィリッポ・リッピの工房で修業し、その後、アントニオ・デル・ポッライオーロやアンドレア・デル・ヴェッロッキオ工房にも学ぶ。師フィリッポ・リッピの死後、みずからの工房を構え、フィレンツェで第一線の画家として活躍。『春(プリマヴェーラ)』や『ヴィーナスの誕生』(ともにウフィツィ美術館蔵)などの傑作を残す。ローマのシスティーナ礼拝堂の壁画も制作するなど活躍するも、その死後、功績は忘れられ、19世紀にラファエロ前派に見出されたことで、ふたたび名声が広まった。 知りすぎた存在 ルネサンス期を代表する画家、ボッティチェリの絵は、おそらくずっと前から、それこそ私が絵画の魅力に気づく以前から観て

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第10回/ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第9回/スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 ジョルジュ・スーラ(1859-1891) 新印象派の創始者。印象派で用いられた技法「筆触分割」に、光彩理論や視覚理論を取り入れることで、点描に発展させた。1859年、パリに生まれ、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学。1883年、サロンに入選。その後、ポール・シニャックと出会い、独立派を設立する。点描による大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(シカゴ美術館蔵)が、第8回印象派展に出品され大きな話題を呼んだ。1891年、31歳の若さで死去するも、のちの画家らに多大な影響を与えた。 目を開けたら急に好きになっていた 点描で描かれた絵が好きになった瞬間を、いまでもはっきり覚えています。 点描とは、ポール・シ

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第9回/スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第8回/ルブラン『薔薇を持つマリー・アントワネット王妃』

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842) 18世紀で有名な数少ない女性画家の1人。1755年、パリにて画家の父、ルイ・ヴィジェのもとに生まれる。父を早くに亡くしたのち、父の友人画家たちから薫陶を受け、10代から格的に肖像画を描き、家計を支えた。76年に画商と結婚し、娘を授かる。フランス国王ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットの肖像画を描いたことで名を馳せ、王立絵画・彫刻アカデミーに入会。その後、フランス革命の煽りを受けて欧州各国を旅行し、その名声を一層高める。晩年は画業から引退。回顧録の執筆に専念した。 マリー・アントワネットの宮廷画家 私がルブランに初めて出会ったのは、2011年の春

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第8回/ルブラン『薔薇を持つマリー・アントワネット王妃』
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第7回/アングル『泉』

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 ドミニク・アングル(1780-1867) フランス新古典主義の画家。歴史画や神話画、宗教画、裸婦像、肖像画、風景画など、さまざまな画題を手がける。1780年、フランスの南部都市モントーバンで、王立美術アカデミー会員であった父のもとに生まれる。パリの新古典主義を代表する画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドに師事。1801年には『アキレウスのもとにやってきたアガメムノンの使者たち』(パリ国立美術学校蔵)でローマ賞を受賞し、国費でイタリアに留学する。パリへ戻ったのち、レジオンドヌール勲章を受け、アカデミー会員に。フランス・アカデミー院長や国立美術学校長、元老院議員など、要職の座についた。 陶器のような美しさ 絵画の歴史のうえ

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第7回/アングル『泉』
  • レンブラント『夜警』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 レンブラント・ファン・レイン(1606-1669) 17世紀オランダを代表する画家。明暗をはっきりと対比させた表現を得意とし、「光と影の画家」とも形容される。1606年、独立直前のオランダの都市ライデンに生まれる。18歳のときにアムステルダムで当時人気のあった画家、ピーテル・ラストマンに師事し、強いコントラスト表現などを学ぶ。1632年には集団肖像画の代表作『テュルプ博士の解剖学講義』(マウリッツハイス美術館蔵)を制作し、高い評価を得た。裕福な女性サスキアと結婚したあと、大規模な工房を主宰する。浪費癖や私生活の不幸によって没落するが、その評価は国際的にも高く、西洋美術史における巨匠の1人とされる。 恐ろしい絵画  

    レンブラント『夜警』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】
  • 薬師寺『麻布著色吉祥天像』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 麻布著色吉祥天像 (作者不詳) 奈良県の薬師寺所蔵。奈良時代、「吉祥悔過」という、吉祥天像の前で犯した罪を懺悔し、五穀豊穣を祈願する法会が盛んに行われた。薬師寺では光仁天皇の御願により771年、または772年から行われたといわれ、作品はその際の尊と考えられている。 吉祥天像は頭部に円光を負い、左手掌に赤い宝珠をのせ、右手は玉に添えるように伏せて胸前に置き、緩やかに歩を進める盛装の貴婦人の姿で描かれた。身体の描写は優艶、衣装は鮮やかで精緻。仏画ではあるが、その描写には唐代8世紀後半に活躍した美人画家などの影響が見られる。光明皇后の姿ともいわれ、麻布に描かれた独立画像としては、日最古の彩色画。 通常は非公開だが、

    薬師寺『麻布著色吉祥天像』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第4回/ルノワール『陽光の中の裸婦』

    ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 印象派において人気の高い巨匠の一人。1841年、フランスのリモージュで生まれる。13歳のときに陶器の絵付け職人となるが、産業革命による機械化で職を失った。その後、21歳で画塾シャルル・グレールで格的に絵画を学ぶ。モネやシスレー、バジールらと出会い親交を結び、印象派展に参加。友人や女性をモデルとした人物画を多く描き、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』や『都会のダンス』(ともにオルセー美術館蔵)などの傑作がある。後年はリュウマチ性関節炎に苦しみ、車椅子での生活を送るも、最後まで精力的に作品を描きつづけた。 音楽が聞こえる ルノワールの絵は、美術館に入って遠くから見ただけですぐにわかります。すごく特徴的で、あまりにも有名な画家ですよね。 そんなルノワールの絵を観ていると、私はiPodで音楽を聴いているような気分になります。なんだか心地よ

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第4回/ルノワール『陽光の中の裸婦』
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第3回/モネ『舟遊び』

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 クロード・モネ(1840-1926) 印象派を代表する巨匠の一人。自然における光の美しさに強く惹かれ、その探求と表現に生涯を捧げた。1840年にパリで生まれ、ノルマンディー地方にあるセーヌ河口の港町ル・アーヴルで育つ。18歳のとき、対岸で活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンに教えを受け、戸外での制作を始める。パリの画塾アカデミー・シュイスではピサロと出会い、画塾シャルル・グレールでは、ルノワールやシスレーなどと親交を結んだ。1872年には、代表作『印象、日の出』(マルモッタン美術館蔵)を制作。1874年の第1回印象派展に出典され批判を受けるも、この作品にちなんで「印象派」と呼称されるようになる。晩年はセーヌ下流

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第3回/モネ『舟遊び』
  • マネ『鉄道』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 エドゥアール・マネ(1832-1883) 1882年にフランスのパリで生まれる。裕福な家庭で育ち、当時のサロンで活躍していた画家トマ・クチュールに師事する。1863年のサロンに出品された『草上の昼』(オルセー美術館蔵)、1865年のサロンに出品された『オランピア』(オルセー美術館蔵)は物議をかもし、スキャンダラスな画家として話題に。これによってモネやドガ、ルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌなどの前衛的な若い画家たちのリーダー的存在となり、後の印象派の先駆者と見なされるようになる。しかし、マネ自身は印象派展に参加することなく、あくまでもサロンへの出品を続け、保守的なアカデミズムと戦った。カフェ、酒場など日常の光

    マネ『鉄道』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】
  • 【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第1回/フェルメール『手紙を書く女』

    当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 ヨハネス・フェルメール(1632-1675) 1632年にオランダのデルフトで生まれる。父親は織物業のかたわら宿屋と画商を営んでおり、フェルメール自身も家業を継ぎながら画家として活動した。独立直後のオランダを代表する画家であり、独立の担い手となったデルフト市民の室内での生活を描いた風俗画をおもに描いている。寡作の画家としても知られており、現存する作品は30数点と少ない。『牛乳を注ぐ女』(アムステルダム国立美術館蔵)などのように、簡素で抑制のきいた画風でありながら、細部まで計算された空間構成や調和のとれた色調で評価される。また、『真珠の耳飾りの少女』(マウリッツハイス美術館蔵)のターバンなどに見られる美しい青色には、

    【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第1回/フェルメール『手紙を書く女』
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