http://mohican.g.hatena.ne.jp/summercontrail/20060306 「人の気持ちを考えろ」とか「人の気持ちを考えない人」という言葉は、 〈人間は自分の考え間違いやミスを指摘されると不愉快な気持ちになる〉 ということを前提にしていることが多いようだ。 まったくもってその通り。その通りだが、この感情を抱くのは指摘する人ではなく、指摘される人のほうである。柄谷行人は、「教える=学ぶ」ことの非対称性について『探求Ⅰ』で言及していたが、指摘する人/指摘される人もまた、対称ではない。 ネット上の世界では、「あなたはモヒカン族ではなくって、ただの仲良しこよしさんなのね。ふ〜ん」で済むことでも、リアルな世界では、レビューを行う場合、そしてそのことによって問題を指摘する場合には、「ソースコードを1行でもいいからまともなコードにする」ために、粉骨砕身しなくちゃいけない。
'Hotel Rwanda' hero is honored "Many voices are calling: 'Please come over for rescuing us!' " Rusesabagina said. In presenting Rusesabagina with the first Rev. Leon H. Sullivan Humanitarian Award, Gov. Rendell said he had watched Hotel Rwanda Saturday night and was in tears - over Rusesabagina's incredible courage in the face of the events a decade ago and over the fact that such horrors continue
近日中に風刺画の続きをてがけますが一息のあとのまた一息に日本語記事クリッピング↓ 関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件に対する解釈が、映画『ホテル・ルワンダ』との関係で、論争になっているのを id:gachapinfan さん、id:travieso さんのところで知る。この映画も見ていなければ、論争のきっかけになった映画評論や複数いる論争参加者の記事もきちんと読んでいず、なんだかややこしいことになっている論争に参加する気はないが、このきっかけをとらえて、この事件に関して以前から気になっていた証言を、ある本から引用紹介することにしたい。コメントも論争の展開を追わずにひとりよがりに適当につけます。さて問題の本は、 比嘉春潮『沖縄の歳月 自伝的回想から』(中公新書、1969) 著者の比嘉春潮は1883年沖縄生まれ。没落士族出身の知識階層に属し、小学校校長、新聞記者、県庁の役人を勤めながら、一方で社会
眠られぬ夜は恵み。およそ100年前に生きたスイスの思想家、ヒルティとともに、その日一日のささやかなことから永遠の時に至るまで、さまざまに思いめぐらしてみたい・・・ 『眠られぬ夜のために』第二部 「3月6日 どんな人間でも、その本質のなかの動物的な部分のために、 また、その「遺伝的負荷」のために、 官能的な、怒りやすい、虚栄的な、貪欲な自然的素質をみずからの体内にもっている。 あなたがもしこのような自然的素質を脱却し、 あなたの存在全体を根本的に善たらしめる境地にまで到達できないならば、 どのような勤勉さも、また、歯に衣着せずに付け加えると、なんらかの結構で立派な宗派に対するどんな信仰も、所詮、なんの役にもたたない。 (中略) あなたの人生の目的は、あなた自身が、あなたの内奥の本質においてキリストに似た、善良な、この世の生活においても未来の生活においても有能な人間になることである。」 (筑摩
2009 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 2011 | 01 | 05 | 06 | 07 | 10 | 11 | 2012 | 04 | 05 | 10 | 今日の会社 おなかすいたし焼肉食べたいし外に出てる営業さんがいまから焼肉って恵比寿の高そうな焼肉屋のURL送ってくるし私も…私も行かせて…(積み荷を燃やしてくらいの切迫した感じで読んでください) はてなハイク ほんとに終わってしまうん??? ひとりごと 信号待ちの車の窓が開いて、助手席のひとがポトンと吸い殻を外に捨てた。持って帰ればいいじゃんとおもって車内を見たら、助手席の目の前に禁煙ってシールが貼ってあり、ナンバーを見たらレンタカーだった
倫理的に正しい自殺があるなど、思いもしなかった。 自殺は矛盾の骨頂であり、いつでも非難されるべき悪行だと信じていた。 また、死はすべて悲しく、喜ぶべき死などどこにも無いと信じていた。 でも、彼が死んだと聞いて、私を含む多くの人間が喜びと解放に泣いて叫んだのだった。 彼の自殺に限っては、結果として、自殺そのものが善行だった。 私と私の家族はここ数年間、ある凶悪な犯罪者と戦っていた。それが今日終わったのだ。3年間たち込めていた暗雲がやっと晴れた。やっと自由になった。もう怯えることは無い。全て終わった。 明日、新聞に載るかもしれない。一人の容疑者が4日未明、拘置所内で自殺したと。 犯行は明白だったにもかかわらず、被告は上訴を続けた。嘘しか語ることができない男だった。たとえ真実でもそいつの口から語られると嘘になる、詐欺と暴力の愉快犯。筋肉隆々のレクター博士。拘置所から手紙を出して被害者たちをさらに
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