小田敏弘 @kurotake05 とはいえ、「数学的な論理」も「論理」なので、その手続きの中には、使い慣れていると日常の「論理」にも応用できるものがあるんじゃないか、というのが、『論理的思考のための数学教室(http://t.co/vxVY7aO2)』の内容です。そうです、宣伝です。 2012-08-21 23:06:33
![「数学の学習は論理的思考を鍛えるのに役立つ」の意味と根拠を問う (3ページ目)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/01aadb3777eb2169f72234d8dd8238860d8be3ae/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F72384a48b522899a60b446151fdd3709-1200x630.png)
ローマ皇帝のメンタルトレーニング 作者:ドナルド・ロバートソン CCCメディアハウス Amazon 英語圏で定期的に出版されている、ストア哲学をライフハックや自己啓発に活かす方法を説くタイプの本だ*1。 本書の特徴のひとつは、数多くいるストア哲学者のなかでもローマ皇帝のマルクス・アウレリウスを主人公としていること。各章の前半では彼が人生で経験した様々な出来事や問題と当時のローマの世情や政局を描きつつ章のテーマとなる課題を示しながら、章の後半ではその課題に具体的に対処する方法が解説される(前半は歴史読み物風に「〜だ〜である」調、後半は解説書風に「〜です〜ます」調に訳し分けられているところも印象的)。 もうひとつの特徴は、著者が認知心理療法士であるということから類書よりもストア哲学と認知行動療法の共通点が強調されており、具体的なアドバイスも類書に比べて心理療法的で実践的であるというところだ。
つい正しいと思い込んでしまう勘違いのポイントなどをまとめた「研究室で気をつけたい論理飛躍集」がTwitterで約2万2000件の「いいね」を集め、話題になっています。 投稿者は、science literacy(@RBfjZAalPMuvB1f)さん。「多くの人が〇〇と言っているから〇〇こそが正しい」と決めつけたり、他人に対して「この人は〇〇という傾向があるから、これ以外も〇〇なんだろう」と思い込んだりといった、つい陥ってしまいがちな論理の飛躍を分かりやすく、具体例も含めて説明しています。 研究室で気をつけたい論理飛躍集 このツイートに、Twitter上では「すごくわかりやすいです。壁、いやむしろドアに貼りたいです」「すごく分かりやすいので院内でシェアさせて頂きます」といった反応が。 また、普段の生活にも役立ちそうな内容であることから「日常でも気をつけたい」「研究室・会社だけでなく、社会で
type:論文 type:Article This article first takes a critical look at Aristotle's definition of "human being" as a "politicalanimal" (πολιτικον ζψον), as noted in his Politics 1253a2_3. Following that is a study of the correlation between Aristotle's and Diogenes' views of human beings. The author initially provokes the reader's attention to the fact that the Aristotelian term "political animal" origin
巧妙な詭弁は、それが詭弁だと分からないことが多い。 例えば夏目漱石『坊ちゃん』のここ。教頭の赤シャツが、坊ちゃんをやり込めるところだ。さらりと読むと、詭弁だと分からない。 赤シャツ「じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね」 坊ちゃん「まあそうです」 赤シャツ「それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支えないでしょうか」 赤シャツから「給料を上げてやる」と言われたものの、坊ちゃんが断りに行くシーンだ。 ふつうに考えたら、給料が上がるのは嬉しいことなのだが、坊ちゃんは納得しない。というのも、赤シャツの提案にはウラがあることを、下宿屋の婆さんに聞かされたからである。 赤シャツは教頭なので人事権がある。人の恋路に横恋慕して、邪魔者を転勤させた結果、巡り巡って坊ちゃんの給料が上
ヒマがなくてまとまったこと書けないのですが、管理人さんが変わって盛り上がることを期待しています。 とりあえず、立ち消えしないためといってはなんですが、日ごろ疑問に思っていることを申し上げます。 三木清は「レトリックの精神」(「哲学ノート」所収)や「解釈学と修辞学」などで、レトリック論、アナロジー論の重要性を指摘しています。 その骨子は、未知のことをも直感像として引き寄せる具体的な論理。また、階層を突き抜けて通じるダイナミックな論理として現代哲学の突破口になるという展望です。「具体的なものを具体的なまま認識する」、ということの意義はどこにあるのでしょうか。アナロジーはそのものずばりで比較の論理です。 たとえば、”君は私の太陽だ”というレトリック=修辞は、眼前の人と太陽という全く異なるもの同士を直接等号で結び付けます。別物を一緒にすることで、直感的に、具体的な太陽というものとイメージを重ねて相
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