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ブックマーク / www.thefuturetimes.jp (2)

  • 今を生きること | TheFutureTimes

    今を生きること福島第一原発から約22kmの地で生き、今も遺体捜索を続けながら故郷を再生しようと活動する上野敬幸さん。フォトジャーナリスト・渋谷敦志が出会い見つめた、あるひとりの父親の3.11から今日まで― 震災の日から一年を前にした2012年3月10日。僕は福島県南相馬市原町区の萱浜(かいはま)に到着した。海沿いの土手に立ち、色彩を失った荒野を見渡す。「あのへんであの人と最初に会ったんだよなぁ」。刺すように冷たい浜風を受けながら、震災直後のことを思い出していた。まだ一年なのか。もう一年なのか。時は流れている。けれど、ここに来ると、どうしても時計の針が止まったままのように思えてならない。 3月11日はあの人といようと決めていた。上野敬幸(うえのたかゆき)さん。39歳。南相馬で最初に出会った人であり、彼の存在は脳裏にとりわけ強く焼き付いている。その上野さんが家族の一周忌に葬儀を行うという。 海

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    surumeno13
    surumeno13 2013/06/25
    南相馬の、家族を亡くされた方。
  • 「郷里を取り戻すために」川内村・遠藤雄幸村長インタビュー | TheFutureTimes

    遠藤「わかりました。まず、地震が起きてすぐ、もう11日の深夜からですね、隣の富岡町から川内村に避難してこられる方がいたんですよ。公共施設の駐車場に自家用車なんかでどんどん移動してこられて。富岡町長から正式に避難の申し入れがあったのは、20km圏内の住民に避難指示が出た12日の早朝なんですけど、それに先駆けて自分たちで原発に関する情報を入手した町民たちが自主的に避難してきてたっていう状況ですよね。富岡町には原発の構内で仕事をされている方も多くいらっしゃいましたから。川内村役場の方で把握できていたのは、6000人ちょっとですね」 —川内村の人口は当時約3000人なので、倍以上の方が避難されてきていたと。 遠藤「そういうことになりますね。正式な申し入れがあってからはバスに乗って大勢で避難されてくる方もいましたし、把握できないところで、親戚や知人を頼って個人で移られた方もいたでしょう。最終的には8

    「郷里を取り戻すために」川内村・遠藤雄幸村長インタビュー | TheFutureTimes
    surumeno13
    surumeno13 2013/03/01
    遠藤村長は柔軟な対応をされる良い首長だとおもいます。
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