公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長が死去したことで公明党は精神的な後ろ盾を失うことになった。 池田氏は平成22年5月に学会幹部が集まる本部幹部会以降は公の場に現れることは少なくなっていた。それでも、公明党を支援する学会員や支持者らに学会幹部や機関紙などを通じてメッセージを出すなど支柱としての役割を果たしていた。25年の参院選では、党代表の山口那津男氏の選挙事務所前に車で通りかかり、車中からエールを送った。近年でも都内や長野県など組織ゆかりの地を訪れていた。 公明党古参幹部は池田氏のことを党の「創立者」とも呼称していた。 公明党の国政初進出となった昭和31年の参院選で、旧「大阪地方区」で立候補した候補の当選に奔走、39年11月の結党までの道筋を自ら開いた。公明党は「大衆とともに」を立党の精神に、「政界浄化」や福祉政策の充実を掲げを保革両勢力の手が届いていなかった層を取り込み、全国の