1 名前: チーマー(東京都) 投稿日:2007/04/27(金) 12:19:39 ID:IW05mg7y0● 公式ブログとmixiをめぐる騒動について。 このたび、私・赤井孝美および弊社社員のmixi日記上での記述を巡って、混乱を招いたことをここにお詫び申し上げます。 いずれも視聴者全般を侮辱したり、2ちゃんねる掲示板そのものを貶める意図はありませんでしたが、結果として多くの方に不快な思いをさせ、心を傷つけた事実は重く、弁解の余地はありません。 また、mixi日記が会員制とはいえweb上に公開されているメディアであるという意識が欠如していました。 この点も軽率であるとの誹りを免れません。当該社員には上長より厳重注意が与えられ、本人も深く反省をしています。 また、関係者各位、制作スタッフにも御迷惑・御心配をおかけしたことをお詫びするとともに、責任の所在を 明確にするため、私
教育再生会議による「親向け御触書」 - 覚え書きそもそも「親学」とはなんだったっけ? 「親業」ならきいたことあるんだが。子育てする上での子とのよりよいコミュニケーションの方法を学ぶ(話の聞き方とか、親の意図を伝えるための工夫とか)とかって話じゃなかったか。amazon:親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方とか。それにしても、こういう「親学」とやらに従って情操にも気を使い模範的な子育てしたとして、だからどうなるってんだ?ここに私の知っている例を書いてみる。その夫婦はわが子に長時間テレビを見せないようにしていた。子に見せる番組や子のいる前で見る番組も選んでいた(と今となってはその子は考えている)。母親は専業主婦で一年365日家族旅行のとき以外は一日も欠かさず朝ごはんを作ったし、昼が弁当になってからは弁当作りを休んだこともない。市内の書店で開催されてた子どもの本の講座に参加して「良書
今朝の東京新聞の一面記事。山崎正和さんが、道徳教育を学校カリキュラムに取り入れることに否定的見解を示したとのこと。 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007042790080734.html 「道徳教育必要ない」 山崎・中教審会長 文部科学相の諮問機関・中央教育審議会の山崎正和会長が26日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、倫理教育や道徳教育について「学校制度の中でやるのは無理がある。道徳教育は、いらない」と、授業で教えることに否定的な見解を示した。政府の教育再生会議は「徳育」の教科化を5月にまとめる第2次報告に盛り込むなど、道徳教育の強化を進める方針。山崎氏の発言は、「個人の意見」と断った上でのものだが、学習指導要領見直しの議論に一石を投じそうだ。 山崎氏は「人の物を盗んではいけないかは教えられても、本当に倫理の根底に届くような事柄は学校制
あちこちで(マスコミもブログも含めて)文句ばっかり言われてだーれも褒めてない、教育再生会議の「親学」提言。 中身についてなにか書くのも馬鹿らしいくらい、箸にも棒にも引っかからない内容だなとしか言いようがない。誰がこんなもの守るもんですか。実際に今子育てしてる人間は「なんじゃこりゃーハハハハハ」と軽く笑い飛ばし、呆れるだけだ。これを実施してよくなると本気で思ってるのは、中島みゆきの言うところの世間知らずの「学者」だけ。 なんてことはもうさんざん言われてることなのでいいとして、「親学」ってなんだ? とふと思う。 物理学は、物理に関する学問。教育学は、教育に関する学問。歴史学は歴史についての、文学は文章についての学問。 じゃあ、親学は、親に関する学問ではないのだろうか。親になるための学問じゃないだろう。 親とはなにか。親の役割とはなにか。よい親とはなにか。親となるために重要なものはなにか。親とし
前回アップしたスティグレールの技術哲学に関する文章は、残念ながら稲葉氏のリアクションは(さすがに)もらえませんでしたが、幸いにもpikarrrさまというたいへん聡明な方に読んでいただくことができ、その続きの部分も読んでいただけるようですのでアップすることにしました。 とりあえず、前回つけた注意書きの一部をここにも貼っておきます。 1、文章の属性 全体でだいたい原稿用紙1000枚程度からなる修士論文のごく一部の抜粋。 2、読み方 だいたいは独立して読めるものですが、それでも基本的にはある全体のうちの部分ですので、その全体をそこはかとなく参照している部分がありますが、そこは無視する。 ※なお、前回よりも他の箇所を何となく参照している割合が多い気がしますが、その点はご容赦ください。また、文字化けしている箇所も見受けられますが、内容の理解には差し障りはないと思い、修正していくことはしませんでした。
『インターコミュニケーション』という雑誌の50号と51号に載っていた稲葉振一郎氏の「公共社会の基本的枠組み」という文章を読みました。50号でなされているのは主にリベラリストとコミュニタリアンの対立の稲葉氏流の整理で、「へえ、なるほどねえ」と思っただけなんですが、51号では人工環境やら道具の話が出てきて、これがきわめて面白かった。公共性を人工環境と結びつけ、その人工環境の構成素として「建物」、「乗り物」、「道具」を見出し、その重心の変化を通して公共性の条件の変化を見出していく。これは素晴らしいと思った。さらに、コミュニケーションの次元における言語の地位を相対化し、接続を自己目的とする音声のやり取りと、言語特有の形式化作用を区別しつつ、コミュニケーションの原的場面をまずは前者に見出し、後者をコミュニケーションの歴史的変遷のうちに特定の段階へと相対化する。このあたりも素晴らしいと思いました。 稲
⇒生きてみた感想 - 構造主義について考える1 それまで、意味の担い手は「人間」であり、ソシュールと同時代の人ですがたとえばフッサールは『イデーン』において人間の意識を意味の根拠として見出したのでした。しかしソシュールの発想ではもはや意味は人間によって担保されるのではなく、言語という差異の体系が生み出す効果でしかないということになります。ここに、ソシュールによって歩み出された根本的な脱人間化の契機があった、とさしあたり述べることができるでしょう。 まあ、あまりテクニカルな話をしてもなんだが、議論の基礎になっている、この↑あたりが、ちょっと、違う、と・思・う。 フッサールについては、「イーデン」がそう読まれるのはしかたないかとも思うが、「人間の意識を意味の根拠として見出した」をフッサール思想としていいかは若干だが疑問。むしろ、後期の生活世界につながるかと思う。また、それは「根拠」性の議論かど
2007年04月30日 北朝鮮をめぐる大国のパワーゲームは相変わらず。(後編) カテゴリ:カテゴリ未分類 それでは後編です。 北朝鮮問題のボールを 持ったままの米国は これまでとはちょっと違う 対応を始めた。 1月17日からの3日間、 ブッシュ政権としては 初の米朝直接対話が ベルリンで行われた。 そこでなにが話し合われたかは よくわからないのだけれど、 その後の2月8日からの 6カ国協議では 明らかにこれまでとは 違う動きが起こったわけだ。 この協議で決まったことは 皆さんご存知の通り。 (1)初期段階として北朝鮮は 今後60日以内に次の措置をとる。 1.寧辺の核施設(再処理施設を含む)を 最終放棄する目的で稼動を停止し、封印。 2.その監視と検証のため IAEA(国際原子力機関)要員の復帰。 3.すべての核計画の一覧表(抽出プルトニウムも含む)を 6カ国協議参加国と協議。 (2)この北
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く