タグ

2007年10月24日のブックマーク (9件)

  • 子供にカネを掛けない国家 - 雪斎の随想録

    ①②も、「日が如何に子供にカネを掛けていないか」を証明している。このデータだけを見れば、「親は居なくとも子は育つ」とばかりに、「子供は放っておいても育つと思っているのではないか…」と皮肉の一つもいいたくなる。安倍前内閣時の「教育再生会議」は存続するようであるけれども、そこでの提言は、「子供に掛けるカネを増やせ」の一つで充分である。安倍前内閣期の「教育再生」の動きに際しては、子供を出汁にして政治運動をやっているようにしか見えない御仁たちが「右」にも「左」にも蠢いたようであるけれども、そもそも、「カネを掛けていない現状」を放置しているのだから、話にならないというべきであろう。 それにしても、子供にはカネは掛けない、防衛費にもカネを使わないという国が、財政上は火の車というのは、冷静に考えれば解せぬ話である。「溝にカネを捨てるような」効果の上がらないカネの使い方をしていたとううことであろうか。。

    子供にカネを掛けない国家 - 雪斎の随想録
    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    教育には金かけないとね。家庭にアウトソーシングして済む話ではないよね。
  • 【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導 - MSN産経ニュース

    ■「軍の関与」も認めてはならない ≪一点の瑕疵もない検定≫ 高校日史の教科書検定で「沖縄集団自決」に日軍の「命令」「強制」があったとの記述を修正させた問題で、政府・文科省は修正前の記述の趣旨の復活を認める方針に大転換した。検定意見の撤回はしないが、もとの記述を何らかの表現で回復しようとする教科書会社の訂正申請があればこれを「真摯(しんし)に検討」するというのである。今ごろは10月末の申請をめどに教科書執筆者と文科省の間で水面下のすりあわせが行われているはずである。重大な局面にあたり改めて問題の原点から考えたい。 従来、「軍命令説」の根拠とされてきたのは、座間味島と渡嘉敷島のケースだった。しかし、どちらのケースについても、当時島に駐留していた日陸軍海上挺進(ていしん)隊の隊長は、住民に集団自決を命令していなかった。それどころか、集団自決のための武器・弾薬を求めに来た住民に対し、隊長は「

    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    自決、という言葉を流通させた側の勝ち、って感じ。
  • http://www.downloaders.cn/2007/10/23085612.html

    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    イェー
  • 「凶悪犯罪は低年齢化」していない ~子どもに対してせっかちな大人たち (3ページ目):日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン

    「凶悪犯罪は低年齢化」していない ~子どもに対してせっかちな大人たち (3ページ目):日経ビジネスオンライン
    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    『現実の学校は、難しい子どもたちと何とか関係をつくり、教育的な意味を持つ空間を機能させようと努力しています。』昔からそういうところはあったんだけど、教育を受けた側は忘れているんだよね。
  • 「凶悪犯罪は低年齢化」していない ~子どもに対してせっかちな大人たち (2ページ目):日経ビジネスオンライン

    これを見ると明らかなように、10代では1960年代から70年代にかけてぐっと下がって、現在まで非常に低いところで横ばいで推移しています。20代でも大体同じですね。 ※特命助手による脚注 「検挙者は減ったけれど、殺人の認知件数は増えている、要するに捕まらなくなっただけなのでは?」という疑問を持たれる方もいらっしゃると思いますが、殺人の検挙率は長い間90%台で推移しているので、(日に限って言えば)殺人検挙者数の減少は殺人件数の減少と考えて差し支えありません。 戦後で飛びぬけて少年が凶悪化していたのは、1960年前後。「わしらの頃は~」とか言っている団塊よりちょっと上の世代の人たちが青春時代を送っていた頃です。団塊の世代も、今の若者と比べたらかなり凶悪でした。つまり、若年成人が規範を身につけないまま大人になったというのは、60年代には当てはまるけれど、近年ではそうではないというのが分かります。

    「凶悪犯罪は低年齢化」していない ~子どもに対してせっかちな大人たち (2ページ目):日経ビジネスオンライン
    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    『10代後半~20代の凶悪事件が沈静化した結果、10代半ばまでの低年齢層の子どもの起こす凶悪事件が、数は少ないにもかかわらず目立つように』バイオロジカルな示唆があり得ようか。 教育にできることは限られている。
  • 「凶悪犯罪は低年齢化」していない〜子どもに対してせっかちな大人たち (広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    【特命助手サイトーの前説】 これからしばらくの間、「子ども」をテーマにした話をお届けしていこうと思います。子どもの話というと、身近にいる子どもをサンプルにして、一般論を展開しがちです。実際、僕が尋ねても「(子どもたちが)おかしくなっている」と答える人もいれば、「昔と大して変わってない」と言う人もいます。 こうした床屋談義は、それはそれで面白いのですが、もう少し客観的なデータで見ると、どうなのか。教育改革論が下敷きにしている「青少年の規範が低下している」「少年犯罪が凶悪化している」といった現状認識は正しいのか。広田先生は、早くからこうした言説に疑いの目を向け、安易な<青少年の凶悪化>論に警鐘を鳴らし続けてきました。 誤った現状認識のもとでは、ソリューションもまた誤ってしまいます。果たして子どもは当に変わったのか? 実は子どもを見る大人の視線が変わっただけではないのか。今回も、皆様からのさま

    「凶悪犯罪は低年齢化」していない〜子どもに対してせっかちな大人たち (広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    日経なんかはもっと前にこういう論点をアピールすべきだった。教育の限界にも目が向く好記事。
  • 教科書の記述で白黒はっきりさせようとする,それが問題じゃないの? - 今日行く審議会

    自民有志「教科書検定制度は堅持を」 何で教科書検定制度を堅持しなきゃいけないんだろう。今回の問題を見ているとすごく奇妙なのは,歴史の問題は歴史学とかそうした学問の世界で白黒はっきりさせようとするんじゃなくて教科書の記述でそれをやろうとしているところ。 この国の学問,特に歴史学などは「教科書」で「政府公認」があるかないかでその価値だとか真実とかが決まるらしい。非常に馬鹿げたことだと思う。「教科書検定制度の堅持を」という主張とかhttp://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1097.htmlにあるような「学問の自由論」などは「政府公認」になることで自分たちの意見を「正当化」するためだけに堅持したいのだし,教科書検定制度そのものが学問の自由を侵害しているかいないかは関係なく,自分たちにとって都合が悪けりゃ学問の自由が侵害されたと主張する。その程度のこ

    教科書の記述で白黒はっきりさせようとする,それが問題じゃないの? - 今日行く審議会
    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    『この国の学問,特に歴史学などは「教科書」で「政府公認」があるかないかでその価値だとか真実とかが決まるらしい。非常に馬鹿げたことだと思う。』全くです。
  • こちらのトリックも何とかしないとね - 今日行く審議会

    【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070623/1182556847で城丸章夫氏が 一九五五年に日民主党が「うれうべき教科書の問題」というパンフレットを発行して以来、教科書に対する政治的圧力は日々に強化されてきている。いわゆる「偏向教育」という宣伝が巧みに推進され、この動きに呼応するかのように、文部官僚による教科書検定の強化と地方官僚による教科書採択の自由への圧迫が強化されていると言われている。検定された教科書を「偏向」呼ばわりすれば、執筆者ではなく文部大臣が「偏向」の非難を受けねばならないはずであるが、政治的宣伝は根気よくつづけられてきた。つまり、書いてあることは「偏向」ではないが、執筆者が偏向しており「アカ」だというのである。そしてこの傾向の仕上げとなったのが、教科書検定官によ

    こちらのトリックも何とかしないとね - 今日行く審議会
    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    いわゆる「保守派のダブスタ」問題
  • 中里一日記: 難しいプログラミング入門

    難しいプログラミング入門 『やさしいプログラミング入門』といったタイトルのを見るたびに、『鈍才の数学』のことを思い出す。 これは中学か高校のとき教師から聞いた話だ。 かつて、『鈍才の数学』という学習参考書を書いた人がいた。著者がいうには、「天才にとって数学は簡単なので、鈍才が数学に苦しむ理由がわからない。しかし自分は鈍才なので、それがわかる。だから天才よりも私のほうが、鈍才の読者諸君をうまく教えることができる」。納得できる話だ。の内容も大変優れていた。しかし『鈍才の数学』はまったく売れなかった。そこでタイトルを『英才の数学』に変えたところ、ただちにベストセラーになり、数学の学習参考書の定番になった。どうやら、学習参考書を選ぶときに、自分を鈍才と認めることのできる人は少ないらしい。 『やさしいプログラミング入門』には、『英才の数学』的なごまかしを感じる。数学もプログラミングも、ほとんどの

    synonymous
    synonymous 2007/10/24
    『原理的に異なる2つの領域が混じるときに難しさが発生する。実行順序のある領域とない領域は、片方だけなら易しいが、混ぜると爆発する(式の評価、副作用、半順序)。』