クンデラの「存在の耐えられない軽さ」 スターリンの長男ヤコフの死については数多くの伝説がある。 ドイツ側の発表では、彼は1941年7月に捕虜になり、1943年に捕虜収容所を囲む鉄条網を越えようとして自殺同然に死んだとされている。これはスターリンが「私にはヤコフなどという息子はいない」(日本と同様、ソ連でも捕虜になることは禁じられていた)と述べたのを知ったためだとも言われる。また、パウルス元帥との捕虜交換をドイツ側から打診されて、「元帥と兵卒ではお話にならない」と返答したのを知ったためだとも言われる。 「存在の耐えられない軽さ」のなかでは珍説が紹介されている。捕虜収容所で、便所の使い方をめぐって他の捕虜とトラブルを起こし、そのために自殺したのだ、と。 が、これは私の知るなかでは、もっとも信憑性に欠ける説である。 ヤコフが捕虜になったというのはドイツ側の宣伝工作で、実際には彼は死体で発見され、