タグ

2013年6月8日のブックマーク (4件)

  • 岩手県議の小泉みつお議員 病院で番号で呼ばれ激怒、「俺は客だぞふざけるな」と恫喝 : 痛いニュース(ノ∀`)

    岩手県議の小泉みつお議員 病院で番号で呼ばれ激怒、「俺は客だぞふざけるな」と恫喝 1 名前: ピクシーボブ(神奈川県):2013/06/07(金) 21:21:06.24 ID:wLZ9KcVd0 俺は刑務所に来たんじゃないぞ。中央病院の責任者! 2013-06-05 13:09:26 6月上旬、3日ほど県立中央病院に通い続けていますが、当職と、ひと悶着がありました。 “241番”、“241番の方”、“お名前でお呼びします。241番の小泉光男さん。” →ん!僕を呼んでいるの?と気付いた瞬間、頭に血が上りました。 ここは刑務所か!。名前で呼べよ。なんだ241番とは!と受付嬢にって掛かりました。 会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません。早速公衆電話に向い、 「小泉という者ですが、病院内の職員対応にクレームがあるので、事務長に繋いで下さい。」 こちらはしっかり、小泉だと名前を

    岩手県議の小泉みつお議員 病院で番号で呼ばれ激怒、「俺は客だぞふざけるな」と恫喝 : 痛いニュース(ノ∀`)
  • 呼び込み君をスタイリッシュにアレンジしてみた。

    全国のスーパーで良く流れている、あの気になる曲を、Popに、スタイリッシュにアレンジしてみました。。良かったら聴いてみてください。ポポーポポポポ〜♪

    呼び込み君をスタイリッシュにアレンジしてみた。
  • 日高六郎 - Wikipedia

    日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年1月11日 - 2018年6月7日[1])は、日の社会学者。進歩的文化人の一人である。英文学者日高八郎の兄。 来歴・人物[編集] 中国の青島市に生まれる。東京高等学校 (旧制)[2]を経て、東京帝国大学文学部社会学科に進学し、1941年、卒業論文「個人と社会」[3]をまとめ、卒業[4]。尾高邦雄の教え子[5]。 陸軍に招集されるが肺炎のため4ヶ月で除隊。その後、東京帝国大学文学部助手になり、1944年の秋から海軍技術研究所の嘱託として政治情勢の調査研究に携わっている[6][7][8]。 戦後は東京大学新聞研究所助教授になり文学部社会学科の兼任を経て、1960年に新聞研究所教授となる。ベトナム戦争に反対し脱走米兵を援助する運動に参加して自宅で脱走兵を匿った。1969年には東大紛争での機動隊導入に抗議して東京大学教授を辞職。1971年に渡仏した[9][

    日高六郎 - Wikipedia
  • 平泉澄と仁科芳雄と石井四郎: 日夜困惑日記@望夢楼

    手元の資料を整理していたらこんなものが出てきた。 「東京大学旧職員インタビュー(3) 平泉 澄氏インタビュー(6)」『東京大学史紀要』第17号(東京:東京大学史史料室、2000年3月) 東京大学百年史編集室(現・東京大学史史料室)が1978年11月に平泉澄(ひらいずみ・きよし、1895~1984)に対して行った聞き取りで、平泉の没後、『東京大学史紀要』第13~17号に掲載された。平泉は元東京帝国大学文学部国史学科教授で、戦時下において独特の国体論的歴史学を展開したことで知られる。インタビュアーは伊藤隆・酒井豊・狐塚裕子・照沼康孝の4名である。したがって、終戦から33年経った時点での、満83歳の老人による回想である、ということはいちおう注意しておきたい。 そのインタビューの結末近くで、平泉はこんなことを語っている([…]内は引用者註)。 […]世界は大動乱に陥り日は大国難に遭遇するというこ

    synonymous
    synonymous 2013/06/08
    一種の(キ)として処理されていたのではなかろうかね。