タグ

2020年9月13日のブックマーク (5件)

  • 大学で楽しく学問をしてほしい(2) - いつか博士になる人へ

    (前回記事↓) 「簡単に卒業論文が書ける研究テーマってなんだろう?」 それが研究室に入ったとき、僕がまず考えたことだった。 ほかの研究室に入った友達によると、卒論のテーマは先生が教えてくれるらしい。 「研究テーマの候補を先生がいくつか出してくれて、その中から自分にできそうなものを選んだ」と言っていた。 たぶん僕もそうなるだろう。 卒論を書いて無事に卒業するために、なるべく簡単にできるテーマを選ばないといけない。 そう思った。 でも僕の指導教官は、研究テーマを教えてはくれなかった。 研究テーマの間違った見つけ方 僕は運よく、卒業した先輩の「今後の課題」を見つけ、それを自分の研究テーマにしようとした。 そんな僕に、先生は言った。 「それは当に君がやりたいことなの?」 僕が何も言えずに黙っていると、先生は書類の山の中から英語の記事をひっぱり出してきた。 「誰かの論文の、今後の課題を自分の研究テ

    大学で楽しく学問をしてほしい(2) - いつか博士になる人へ
  • 本当のことを言った大臣を左遷した古代中国の皇帝・隋の煬帝 - 🍉しいたげられたしいたけ

    このニュースに関連して… dot.asahi.com 中国古代史のエピソードに似たことがあったような、うろ覚えの記憶があった。秦の胡亥か隋の煬帝じゃなかったかなと思って、手持ちのをちょっと調べてみた。 隋の煬帝のほうだった。 隋の煬帝 (中公文庫BIBLIO) 作者:宮崎 市定 発売日: 2003/03/01 メディア: 文庫 時代背景として、隋王朝末期は、大運河建設など大掛かりな公共事業による国内の疲弊と、不満を外に向けさせるために企てた高句麗遠征の失敗により、中国全土で反乱が相次いでいた。 臆病な人間はまた猜疑心の強いものである。朝廷の大臣や大将を、ほとんど消耗品のように考え、古いものを棄てては新しいものに取りかえてきた煬帝には、ほんとうに信頼できる大臣というものがなかった。このころには、ただひとり残った宇文述ぐらいが相談の相手になっていた。煬帝は地方の反乱のことは、聞くのは怖いが、

    本当のことを言った大臣を左遷した古代中国の皇帝・隋の煬帝 - 🍉しいたげられたしいたけ
  • 【地政学】文明の生態史観と劉仲敬 [中国はなぜ民主化しないのか] - Togetter

    長島昭久🇯🇵🇺🇦東京30区(府中、多摩、稲城市) @nagashima21 #ブックカバーチャレンジ 2日目は、梅棹忠夫『文明の生態史観』。高校3年の春に祖父から薦められ読んだのですが、東洋、西洋といったステレオタイプな既成観念を吹き飛ばす壮大な文明史観に圧倒され、また英国の偉大な歴史家トインビーの向こうを張った梅棹の挑戦的な姿勢にも大いに刺激を受けました。 pic.twitter.com/zQCr5bKL5w 2020-05-04 08:35:27

    【地政学】文明の生態史観と劉仲敬 [中国はなぜ民主化しないのか] - Togetter
    synonymous
    synonymous 2020/09/13
    与太だと思ってる。
  • 「とんねるずは死にました」―戦力外通告された石橋貴明58歳、「新しい遊び場」で生き返るまで - Yahoo!ニュース

    「『みなさん』が終わって、うーん……。ほぼ、とんねるずは死にましたよね。それだけ命をかけてやっていましたし、チャンスをもらった番組だったし、いろんな思いがすべて入っていたので。……なんか、あれからおかしかったです。やっと、YouTubeでまたちょっと息が入ったというか、呼吸し始めた感じで、死んでいましたね」 肩書を尋ねると、「元とんねるずですかね?」。『とんねるずのみなさんのおかげでした』が終了したのは、2018年3月。30年にわたる「みなさん」をまとめたDVD BOXは、終わったことを認めたくないから「たぶんこの先も開けない」という。 「子どもたち、孫たちが棺桶に入れるんじゃないですか? 燃えるのかなあ、DVDって。火葬場の人が嫌がるかな(笑)。約30年間、毎週木金、『みなさん』の収録でフジテレビに行ってたんですよ。行かなくなって、定年退職したサラリーマンの方みたいに、燃え尽き症候群で。

    「とんねるずは死にました」―戦力外通告された石橋貴明58歳、「新しい遊び場」で生き返るまで - Yahoo!ニュース
    synonymous
    synonymous 2020/09/13
    この人に恨みを持つ人の気持ちもわかる
  • 熊本のハンセン病療養所 少なくとも389人の入所者の遺体解剖 | NHKニュース

    県の国立ハンセン病療養所、菊池恵楓園で昭和40年までの50年以上にわたり、少なくとも389人の入所者の遺体の解剖が行われていたことが、療養所がまとめた報告書で分かりました。 菊池恵楓園をめぐっては、昭和初期に入所者の遺体が解剖され骨格標が作製されていたことが7年前に明らかになり、入所者で作る自治会などが、過去の資料を確認し全容を報告するよう園側に求めていました。 今月、園が自治会に提出した報告書によりますと、明治44年から昭和40年までの間に療養所で亡くなったおよそ2400人のうち、胎児5人を含む389人の遺体を解剖していたことが確認されたということです。 身元が特定できなかったケースも含めると、解剖したのは479人に上るということです。 また、報告書では、昭和33年までの20年余りは、入所時に全員一律で死後の解剖に承諾する「解剖願」を提出させていた実態も明らかにされています。 一方

    熊本のハンセン病療養所 少なくとも389人の入所者の遺体解剖 | NHKニュース