◆ 島津侵略400年を問う節目の年に ◆ 〈『部落解放』2009年10月号掲載〉 薗 博明 一九九七年三月に立ちあげた「三七の会」は、以後、毎年旧暦の三月七日に津代(笠利町手花部)の戦跡を訪ねてきた。島津藩(現在の鹿児島県)による奄美・琉球侵略の過程で戦のあったこの地で「棒から火の出る武器」で殺られた先人の無念さを偲び、封印されてきた「わきゃしま」(自分たちの島)を今一度振り返り、これからの奄美のシマと島の在り方を考えようと語り合ってきた。 島津侵略四〇〇年目の節目が近づいた昨年一〇月、次の報道に接した。国連自由権規約委員会は二〇〇八年一〇月三〇日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民として公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告し、「アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育