姫路ゆかりの戦国武将、黒田官兵衛は、自身の居城を秀吉に献上して、近くの国府山城に移り住んだという逸話があります。 現在の姫路城では、戦国時代に黒田官兵衛が普請した石垣と、池田輝政が築いた石垣が、並んで見られる場所があるので紹介します。 また、黒田官兵衛がその後に居城としたゆかりの地、妻鹿にある国府山城の史跡に行ってきたので、功山城や妻鹿城とも言われる、国府山城跡をあわせて紹介します。 関連記事 姫路城の城主【初代(建てた人)~最後まで】歴代一覧まとめ 黒田官兵衛はどんな人だったのか <黒田孝高像> Wikipediaより 黒田官兵衛は、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも描かれた、姫路にゆかりがある、戦国時代の名将です。 実名は、黒田孝高(よしたか)といい、通称、黒田官兵衛(かんべえ)が、世に広く知られています。 この孝高は官兵衛尉と称し、羽柴秀吉に属して世に知られた名将である。 『現代語訳
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