ブックマーク / tabi-mag.jp (3)

  • 魚の棚商店街

    兵庫県明石市町1丁目、JR明石駅、山陽電鉄・山陽明石駅から徒歩3分と便利な立地にある商店街が魚の棚商店街。魚の棚と書いて、地元では「うおんたな」と呼ばれています。その発祥は古く、約400年前、信州・松から移封された小笠原忠真(おがさわらただざね)による明石城築城の頃にまで遡るとのこと。 明石城築城の際、城下町の町割で、東魚町・西魚町にあたるのが、現在の魚の棚。 魚の鮮度を保つため、軒先に並べた棚板の上に水を流していた様子から、その名が付いたのだとか。 城に近い一等地に魚町が置かれていたことからも、魚重視の町割りだったことがわかります。 魚の棚商店街の全長350mにも及ぶ全天候型アーケード街には、鮮魚、干物、蒲鉾屋などを中心に肉野菜、日用品まで、約110店舗もの店がひしめいています。 明石の郷土料理・明石焼(あかしやき)、たこめしの店が多いのも土地柄。

    魚の棚商店街
    syotengaikeizai
    syotengaikeizai 2022/07/06
    兵庫県明石市の魚の棚商店街です。
  • 新京極商店街

    京都市中京区、寺町通り(寺町京極商店街)の東に並行に南北に続く商店街が新京極商店街。三条通から四条通まで500mほどにわたり、商店街が続き、隣接の寺町京極商店街とともに京都屈指の賑わいを生んでいます。また松竹発祥の地であるように、かつては日の「三大盛り場」にも数えられた場所です。 長州藩出身で京都府参事・槇村正直(まきむらまさなお)が明治5年に築いた通りです。 明治維新での東京遷都で衰えていた京都市民の士気を回復するため、寺町の寺院群の境内を整理し(明治4年、廃仏毀釈)、新たな通りを築いたもの。 もともとは天正年間(1573年~1592年)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通に集めたことに伴い、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺には見世物小屋などが建つようになったのが始まりで、その歴史を背景に、明治時代には芝居座、浄瑠璃、寄席などの興行場が並び、東京の浅草、大阪の千日前と並ぶ日

    新京極商店街
    syotengaikeizai
    syotengaikeizai 2022/06/22
    京都の新京極商店街です。
  • 寺町京極商店街

    京都市中京区、京都の中心、三条寺町~四条寺町の間に続く老舗商店街が寺町京極商店街(てらまちきょうごくしょうてんがい)。豊臣秀吉の京の都市改造によって誕生した寺町通り界隈の賑わいを今に受け継ぐ商店街で、180余の店舗が並んでいます。 平安京の昔、寺町通りの三条以北は都のもっとも東に位置する東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)にあたります。 応仁の乱で荒廃していたこの地に豊臣秀吉は寺院を集めて寺町を築き、寺町通りを創設。 宗派を超えておよそ80ヶ寺が一帯に集めたのは、寺の管理支配と京の防御態勢の強化のためだと推測できます。 南北に連なる寺院群の門前の通りには江戸時代に書物や数珠、文庫、筆、薬などを商う商人が軒を並べ商店街のようなものが生まれます。 東海道五十三次の最終地点が「寺町三条」と呼ばれたのもこの町の繁栄があったからこそ。 北は三条通の交差点から、南は四条通まで、500mほどにわたって、

    寺町京極商店街
    syotengaikeizai
    syotengaikeizai 2022/06/21
    京都の寺町京極商店街です。
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