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話の種に関するsyuka_syukaのブックマーク (53)

  • 天理教用語解説「ほこり(埃)」

    天理教用語解説:ほこり(埃) とは? 親神様の思し召しに添わない心づかいを、「ほこり(埃)」と言います。 わが身勝手な心づかいは、毎日掃除をしてもすぐに積もる「ほこり(埃)」のようなものです。 日々掃除をしていれば、何でもないものですが、掃除を怠ると段々に積もり、ついには掃いても拭いても取り除きにくくなってしまいます。 しかし、どれほど「ほこり(埃)」が積もっても、「神を箒に」心を掃除するなら、どのような「ほこり(埃)」も払うことができます。 親神様は、「ほこり(埃)」を払う節として、一人一人に身上事情のてびきを与えられ、しっかり「ほこり(埃)」を払うよう、お導き下されます。 「ほこり(埃)」の心づかいとして、「をしい」、「ほしい」、「にくい」、「かわい」、「うらみ」、「はらだち」、「よく」、「こうまん」の「八つのほこり」をお教え下されています。 このような心づかいをしないよう、日々わが身

    天理教用語解説「ほこり(埃)」
  • http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yomawari/list/CK2011072502000103.html

    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/07/25
    「水谷さん、寿司を食べるということは、魚のいのちをいただくということ。一番おいしい時においしく料理して食べてあげなければ、かわいそうだよ」
  • 100歳の少年と12通の手紙

    映画化もされたので、ご存知の方も多いかと思います。 10歳で余命12日と宣告された少年・オスカー。一日を10年と考えて生きて、神さまに一日一通の手紙を書くと決めた。 こんなにも泣いたが、今まであっただろうか。 神様に出会う方法と、生きることの意味、そして、死なんて怖がらなくて良いんだってこと。自分の信仰心を再確認させてもらった気がします。 キリスト教がベースになっていますが、単なる宗教にとどまらない、真理を感じさせてくれます。 100歳の少年と12通の手紙 印象に残った部分をたっぷり引用。 P17 「いると思えば、神さまは少しずついるようになるそれをずっと続けていれば、完全にいるようになる。そうすれば、いいことがあるよ」 「でも、なにを書いたらいいの?」 「思ってることを。思ってるけどいわないことを打ち明けるんだよ。そのままにしておくと、頭にこびりついて離れなくなるからね。新しい考えが生

    100歳の少年と12通の手紙
    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/07/14
    本当に素晴らしい本だと思います。
  • 持続可能な社会をめざす8人のライフスタイル

    「大人が変われば子どもが変わる、子どもが変われば世界が変わる」 という言葉に特に惹かれました。 著者のプロフィールが、「ハンドボール界の中田英寿」って思って、引いてしまうくらい凄すぎるのですが。。。個人的には、もっと普通の人がこういう内容のを書いてくれた方が、身近に感じられるように思います。。。 このの中で紹介される方々は当然のように「凄い」人たちで、それを紹介し、語る人まで「凄い」というのは、読んでいて、「自分には到底無理だな」って印象を持ってしまったり、気が引けてしまうって、無いですか? でも、その「凄さ」の中には、「素朴さ」があって、それもまた大切な魅力ですね。 著者ご人のブログは、もがきまくっていた頃からずっと綴られています。 これを読むと、かなり身近な存在として感じられるようにも思います。 持続可能な社会をめざす8人のライフスタイル 目次 はじめに 持続可能な地球をつくる―

    持続可能な社会をめざす8人のライフスタイル
  • 「やさしい」って、どういうこと?

    仏教の考え方を元に、現代日人が思い悩みがちな、「やさしさ」について解説、助言をくれる。 「やさしい」って、どういうこと? 落ちついた気持ちになりますな。 仏教の言おうとしていることが、ごくごく簡単で、かつ、深遠なものだということも伝わってくる内容でした。 生きるために必要なものが欠けている 結局、世間のやさしさは、エゴなのです。自分に都合がよければやさしくて、都合が悪ければやさしくない、そういうことです。それだけのことなのに、私たちは「やさしいから、良い」「やさしくないから、悪い」と信じて疑ったことがありません。 なのに誰一人として、自分が求めるやさしさがエゴだと、わかっていません。なぜ自分がやさしさを求めるのか知りません。生きるために何が必要か、必要をはるかに超えて自分が何を欲しがっているのか、研究したことがありません。私とは何か、誰も何も知りません。私たちは「ただ生きている」のです

    「やさしい」って、どういうこと?
  • 必生 闘う仏教

    インド仏教の指導者、佐々井秀嶺(インド名:アーリア・ナーガルジュナ)さんの語りおろし。 この方に関するはもう何冊も読んでいますが、どれを読んでも、当に凄い。 このは、その中でも読みやすく、一番最初に読むには、これが良いかと思います。 必生 闘う仏教 (集英社新書) 目次 第1章 仏教との出会い(発心 世紀の苦悩児 ほか) 第2章 大楽金剛(ナグプール アンベードカル ほか) 第3章 闘う仏教(闘う仏教とは インド国籍を取る ほか) 第4章 必生(四十四年ぶりの帰国 高尾の緑 ほか) 闘う仏教とは "闘う"などというと日の方は、なにを物騒な、と感じるかも知れませんが、現実の世界は「瞑想」に浸る時間を許すほど安閑としてはいません。いまだに人口の八割近くが貧困層ともいわれるインドには、人間としての尊厳を踏みにじられた人がたくさんいます。 その人達が今この瞬間にも抑圧され迫害を受け、傷つけ

    必生 闘う仏教
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら

    稿天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら ある日、泉田藤吉(註、通称熊吉)が、おぢば恋しくなって、帰らせて頂いたところ、教祖(おやさま)は、膝の上で小さな皺紙を伸ばしておられた。そして、お聞かせ下されたのには、 「こんな皺紙でも、やんわり伸ばしたら、綺麗になって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない。」 と。お諭し頂いた泉田は、喜び勇んで大阪へかえり、又一層熱心におたすけに廻わった。しかし、道は容易につかない。心が倒れかかると、泉田は、我と我が心を励ますために水ごりを取った。厳寒の深夜、淀川に出て一っ刻程も水に浸かり、堤に上がって身体を乾かすのに、手拭を使っては功能がないと、身体が自然に乾くまで風に吹かれていた。水に浸かっている間は左程でもないが、水から出て寒い北風に吹かれて身体を乾かす時は、身を切られるように痛かった。が、我慢して三十日間程これを続けた。 又、なんでも、苦しま

    稿本天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇六三 目に見えん徳

    稿天理教教祖伝逸話篇六三 目に見えん徳 教祖(おやさま)が、ある時、山中こいそに、 「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな。」 と、仰せになった。 こいそは、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます。」 と、お答え申し上げた。 <今現在できる、自分なりの「さとり」> 山中こいそ(後の山田いゑ)先生は、山中忠七先生の妹で、現・敷島大教会の二代会長・山田伊八郎先生のとなります。 山田伊八郎先生の入信は、こいそ(いゑ)先生とのご結婚がきっかけです。 山中こいそ(後の山田いゑ)先生のお逸話については、当ブログにて、「稿天理教教祖伝逸話篇五九 まつり」を先に紹介しています。 このお逸話の「目に見える徳」と「目に見えない徳」の違いは一体なんでしょうか? まず「目に見える徳」について思いつく限り挙げてみると、金銭や土地・建物などの財産・資産、

    稿本天理教教祖伝逸話篇六三 目に見えん徳
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇五六 ゆうべは御苦労やった

    稿天理教教祖伝逸話篇五六 ゆうべは御苦労やった 部神殿で、当番を勤めながら井筒貞彦が、板倉槌三郎に尋ねた。 「先生は、何遍も警察などに御苦労なされて、その中、ようまあ、信仰をお続けになりましたね。」 と、言うと、板倉槌三郎は、「わしは、お屋敷へ三遍目に帰って来た時、三人の巡査が来よって、丹波市分署の豚箱へ入れられた。あの時、他の人と一晩中、お道を離れようか、と相談したが、しかし、もう一回教祖(おやさま)にお会いしてからにしようと思って、お屋敷へもどって来た。すると、教祖(おやさま)が、 『ゆうべは、御苦労やったなあ。』 と、しみじみと、且つニコヤカに仰せ下された。わしは、その御一言で、これからはもう、かえって、何遍でも苦労しよう、という気になってしもうた。」 と、答えた。 これは、神殿が、未だ北礼拝場だけだった昭和六、七年頃、井筒が、板倉槌三郎から聞いた話である。 註 板倉槌三郎は、明

    稿本天理教教祖伝逸話篇五六 ゆうべは御苦労やった
  • 「無財の七布施」 お金がなくてもできるプレゼント : earth in us.

    「無財の七布施」 お金がなくてもできるプレゼント http://www.earthinus.com/2011/06/7present.html

    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/06/10
    ちょっとした思いやりで世界は変わる。自分で自分も褒められる。そしたら見えてる世界はもっと素敵になるし、さらに世界を良くしようと頑張れる。
  • 「苦手な人との付き合い方」苦手意識をなくすイメージトレーニング : earth in us.

    「苦手な人との付き合い方」苦手意識をなくすイメージトレーニング http://www.earthinus.com/2011/06/post-3.html

    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/06/07
    面白い☆同じやるなら、誰かと一緒が良いかもね♪
  • 中日新聞:人の役に立ってみよう 自信がない:夜回り先生のエッセー(CHUNICHI Web)

    トップ > 特集・連載 > 夜回り先生のエッセー > 夜回り先生のエッセー一覧 > 記事 【夜回り先生のエッセー】 人の役に立ってみよう 自信がない 2011年6月6日 子どもたち、君たちは自分に自信がありますか。今私は、自分に自信を持つことのできない子どもたちが増えていると感じています。当然だと思います。 今、日の多くの子どもたちが、家庭でも学校でも、いつも、「こんなこともできないのか」、「何をやっているんだ」、「こんな点数をとって」、「のろのろしない」、「しっかりしろ」、「がんばれ」などと、今の自分を否定され続けています。これが続けば、「自分はだめなやつだ」、「どうせ何をやってもむだ」、「自分なんていないほうがいいんだ」などと、自分の存在自体を否定的に考えてしまうでしょう。 すべては、親や先生、私たち大人の責任です。私のもとには、このように育てられ、生きることの意味を見失った多くの子

    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/06/06
    自分たちの存在は、人のために役立っている。こう彼らが、自分自身について考えていることが、彼らの自信につながっているのです。
  • 怒る必要などない - jkondoの日記

    オフィスと同じビルに歯医者さんが入っていて、3年くらい通っていたのですが、今月閉院となり先生がリタイアされました。先日たまたま考え事をしながら廊下をぶらぶら歩いていたら、その先生と病院のスタッフの方々に「近藤さん!」と呼び止められ、閉院の記念撮影を撮っているところになぜか一緒に入れて頂いて写真を撮り、さらに「飲み会に行くから近藤さんも来てください!」と言われ、これも何かの縁だと思ってご一緒させて頂きました。 飲み会の中で教えて頂いた印象的な話があります。 先生が30代の頃は毎日スタッフのミスをメモし、診察時間が終わるとそのスタッフを怒っていたそうです。ところがある時、「怒る必要などない」ということを悟り、対等な人間として接するように変わったそうです。それから入ったスタッフの方の多くは、10年以上も勤務され続けたそうです。怒るのは自分の自信のなさの現れである、と仰っていました。 飲み会には衛

    怒る必要などない - jkondoの日記
    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/02/26
    怒る必要などない。怒るのは自分の自信のなさの現れである。
  • “自虐”日本に驚く世界のエリートたち――日本人の自国批判で傷つく人も

    田村耕太郎 [国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院 兼任教授、米ミルケン・インスティテュート フェロー/2023年一橋大学ビジネススクール 客員教授] 早稲田大学卒業後、慶応大学大学院(MBA)、デューク大学法律大学院、イェール大学大学院各修了。オックスフォード大学AMPおよび東京大学EMP修了。 証券会社社員、新聞社社長を経て、2002年に政界入り。10年まで参議院議員。第一次安倍政権で内閣府大臣政務官を務めた。日政治家で初めてハーバードビジネススクールのケース(事例)の主人公となる。 その後、イェール大学研究員、ハーバード大学研究員、世界で最も多くのノーベル賞受賞者(29名)を輩出したシンクタンク「ランド研究所」で唯一の日人研究員を歴任。 2014年より、国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院兼任教授としてビジネスパーソン向け「アジア地政学プログラム」を運営

    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/02/25
    日本人の意見に対する海外の人の反応が分かりやすくて面白い。
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  • 否定と肯定のエネルギー - ぼくはまちちゃん!

    こんにちはこんにちは!! ネットの書き込みってなんだか否定意見が多いと思いませんか…! だからぼくも2chとかには怖くて近づけません>< たぶんネットとかで「いちいち何かを書き込むこと」って、 結構エネルギーがいるんですよね。 でも人ってたぶん、肯定する時よりも、 否定したいって思った時や、否定されたことを否定したい時に出るエネルギーの方がすごく強いんじゃないかな。 ちょっといいなーなんて思っても、 肯定する時は、なかなか「いちいち何か書きこむこと」ができなかったりするんですよね。 だからどうしてもネットでは否定の方が多く見かけるんじゃないかなーなんて思います! 例えばfacebookには、みんなの書き込みの横に「いいね!ボタン」っていうのがついていて、 書き込みをみた人がワンクリックで「いいと思ったよ」ってことを伝えられるわけなんですが、 これ「いいね」って言葉の選びかたも含めて、 シン

    否定と肯定のエネルギー - ぼくはまちちゃん!
  • 優しさで損をするボク、優しさで成功するあの人 : earth in us.

    優しい人は損をする? 損をしない優しさって? http://www.earthinus.com/2011/02/what-is-true-kindness.html

    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/02/16
    「優しいね」という言葉に、素直に喜ぼう!何事にも、素直に喜ぼう☆
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇三八 東山から

    稿天理教教祖伝逸話篇三八 東山から 明治七年頃、教祖(おやさま)は、よく、次のような歌を口ずさんでおられた、という。 「東山からお出やる月は さんさ小車(おぐるま)おすがよに いよさの水車でドン、ドン、ドン」 節は、「高い山から」の節であった。 <今現在できる、自分なりの「さとり」> 明治二年頃から、「高い山から谷底見れば」という唄が、全国的に流行っていたようです。 特に流行していたのは、静岡、紀伊、滋賀、木曽あたりで、地域によって歌詞は異なりますが、概ね下のような歌詞です。 高い山から谷底みればよ うりやなすびの 花ざかりよ あら どんどんどん こりゃ どんどんどん (NPO法人日子守唄協会 子守唄 -高い山から - 静岡県民謡(楽譜)より) OnGen|轟悠、白羽ゆり「高い山から」(トドロキユウ シラハネユリ)を試聴・ダウンロード、MP3|轟悠、白羽ゆり ↑のサイトでは、冒頭部分を

    稿本天理教教祖伝逸話篇三八 東山から
  • 天理教用語「あたえ(与え)」

    天理教用語:あたえ(与え) とは? 「あたえ」や「天のあたえ」とは、神様からのお与え、ご守護のこと。 「おさしづ」に あたえは天にある、理にあたえる (明治三二・八・二二) とあるように、「あたえ」は人から与えていただくのではなく、神様から与えて頂くのです。 またこの「あたえ」は、人間がいくら要求しても与えられるというものではなく、人間の真実の心の理に与えられるものなのです。 「おさしづ」にも にん/\の理によつて、あたえだけはある、どれだけ思えども、あたえだけの事 (明治二三・一二・一七) とも仰せられている所以です。 また「おさしづ」に めん/\年々のあたえ、うすきは天のあたえ、なれどいつまでもつゞくは天のあたえという と仰せられているように、お道の「あたえ」は世間のように多くはなく、また定まった与えはないが、いつまでも変わらないご守護を下されるのです。 変わらぬ「天のあたえ」を頂くた

    天理教用語「あたえ(与え)」
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇三六 定めた心

    稿天理教教祖伝逸話篇三六 定めた心 明治七年十二月四日(陰暦十月二十六日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから二年後のことである。 こうして、一家の者が非歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰暦十一月下旬)当時十二才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる。」 という話を聞いてもどった。それで早速、親子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖(おやさま)を拝み、

    稿本天理教教祖伝逸話篇三六 定めた心