山車に関するsyukakuのブックマーク (49)

  • 筒井町天王祭(2010) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    ご無沙汰しております、どうたぬきです。 今年も筒井町天王の季節がやってきました。6月4,5,6日です。今年はブログ紹介記事を丸投げ有能な人材にお願いしました。 それでは筒井町のファンタジスタ、河童丸さんの筒井天王紹介をどうぞ!! ~名古屋開府400年祭に寄せて~ 今年2010年は名古屋が熱い。 百年に一度の大不況と言われながらもこんなお祭をやっちゃう名古屋。昔からそうですよ。第八代将軍徳川吉宗の質素倹約令に歯向かって贅沢三昧をし経済を発展させた尾張藩主徳川宗春に始まり、日中が不景気と叫んでいたのにトヨタ様は黒字だわ、万博はやっちゃうわ……まあ、そんな名古屋バブルもリーマンショック&トヨタショックのコンボで一昨年弾けましたが。そういえば、国が事業仕分けしている中、名古屋では市民税減税のために奮闘している姿って、吉宗と宗春に何となく似てません? 敵対関係が違うんで他人の空似程度のものだとは思

    筒井町天王祭(2010) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 求めず与える - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    人間関係でもそうかもしれない。こと、山車祭に参加していると、その祭に熱く、深く接していると、自分が祭りに持つ「理想」と山車祭の「現実」のハザマで悩む人も多いのではなかろうか? 別に悪いことじゃない、それだけ、高い目的意識を持ってやっているということ。だがやってはならぬことがある。それは、理想と現実のハザマで悩む自分のボヤキを外部の人間に漏らすこと。それって、身内のはじ話になるかもしれない。(祭)組織に所属する以上、所属組織の結束力を疑われるような言動を、外部に見せてはならない。こういう趣旨の話は、プロ野球現東北楽天の監督、野村克也氏の著書に見ることが出来る。 ボヤキが多くて有名な氏がボヤクなと言っている事が面白いし、ボヤク内容をきちんと吟味している証。 正直な所、僕は自分所の山車祭に「理想」を掲げたことはなかった。今ある「現実」に満足していて、これ以上望むものは何も思い浮かばなかった。それ

    求めず与える - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • お祭りにこそ会社組織の原点がある? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    今年、愛 地球博では、愛知県中の山車を万博会場に集めて「山車百輌総揃え」なる催しがありました。自動車のトヨタの豊田市は昔、挙母(ころも)と呼び、挙母祭の山車も登場しました。 表題の「お祭りにこそ会社組織の原点がある?」は、最強の名古屋商法実践編の1つ(パクリ?)です。 書かれた方はおそらく愛知県半田市上半田の祭「ちんとろ舟」などに深く関わっていたであろうと予測されます。そんな、中部地区の山車祭りの1コマから今日の会社組織が見えてくる? 以下引用 「地元の子ども達は小学校に上がる前からお菓子に連れられて、山車の先端の綱を曳いているのだが、やがておはやしの1団に加わり、そんな中からお祭りを支える当の若い衆が生まれていく。 そのとき、私はお祭りにこそ日の会社組織の原型があると思った。 日の会社組織の特徴は終身雇用だとか年功序列だとか言われているが、それは戦後大きくなった行政機関や大企業での

    お祭りにこそ会社組織の原点がある? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭を語る 原点は勇ましさ 二代目アキ(後編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    お祭りにこそ組織の原点がある? アキさんのブログでこれ面白いなと思ったのは「お祭りにこそ会社組織の原点がある? 」を読んだ時です。 お祭りにこそ会社組織の原点がある? かなり昔に書いたものですね。僕がブログ書くキッカケになったメルマガとして「007名古屋商法」というものがあります。 祭ではなく、経営系のメルマガ、その中に心惹かれる文があって、書いていますね。人を動かす原動力は「勇ましさへの憧れ」であると。 実際そうだと思います。山車の中に乗る囃子方ですと、山車の中から山車の前方を見ることになる、そうすると、楫方の衣装、背中に大書された「湯」の字を観ながら笛を吹くのです。 一般の方では山車の前から観るから、山車の正面しか観られないですね。囃子というものは、楫方を観る一番の特等席かもしれません。この「湯」という文字がいつも大きく観える。 「オヤジの背中が小さく見える」の逆ですね。特に出合いの後

    筒井天王祭を語る 原点は勇ましさ 二代目アキ(後編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井天王祭を書くために 祭について熱く語りたい!!そんな方のために今回、このような企画が立ち上がりました。 「筒井天王祭を語る」記念すべき第一回はアキさんです。アキさんは幼児期、神皇車の帰り囃子を聴いて「山車に乗りたい」と思い、小学時、湯取車に入門、受験勉強時は一時中止し、高校卒業後、山車祭にどっぷりつかります。「他地区の湯取車を観たい」と考え、二十歳前から各地の山車祭、特に湯取神子の乗る山車を重点的に見学、調査されています。得筆すべき事は、各地の山車囃子の録音、山車祭の囃子から入った事。山車祭は写真で記録される方が多い中で、囃子に特化した異色の存在です。また、その延長線上で、郷土史の研究もされています。 最近ではブログ「尾陽雑記抄」を書かれています。言ってみれば自己満足の世界に生きている人です。始めの質問ですが、湯取では何年働いているのですか? 小学4年次に湯取に入門しています。ですが略

    筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭を語る どうたぬき(後編)家康の夢は何だったのか? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    そもそも東照宮は徳川家康の死後できるわけですが、なぜ東照宮は出来上がったのか?どうたぬきさんの見解をお尋ねしたい ここでもはじめに断っておきますが、同じ文章を読んでも人によって解釈は分かれます。あくまでここでお話しするのはわたくしの個人的な見解です。それが正しいとは全く思っていません。真実とも思えません。それでもこういう形で書いておく必要も最近は感じるようになりました。ご批判を受けるであろう、その文章をここに残します。 まず家康の遺言から、家康の遺言といいますと、「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 己を責めて人を責むるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。」が有名です。この言葉私も好きです。だがこれは

    祭を語る どうたぬき(後編)家康の夢は何だったのか? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭を語る どうたぬき(前編)水戸黄門の時代に湯取車はあった!? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井天王祭紹介記事書くのも今年で三回目となりました。 筒井天王祭(平成18年度) ああ ふるさとに帰ってきたみたいだ(筒井天王祭のお知らせ)平成19年度 山車祭を知り尽くす常連さんから、筒井天王という言葉初めて聞いたという方まで、満足させる文章を書くのって大変なんです。 特に常連さんなど、僕より山車の知識多いですよ。そんな方に大上段に構えて書いていたらそれこそ、「釈迦に説法」です。昨年の「水戸黄門の時、湯取車があった。」という言葉は、独り歩きしてしまったようです。 上記の二つ書いても人は三割程度しか書けてないと、満足できないんです。 そこで今年は趣向を変えました。もし僕に雑誌が取材に来たらこう答えると、インタビュー形式にしました。 雑誌やテレビの取材って「はじめに結論ありき」の場合がある。編集者の望む答えが出てこなければ、取材は終わり。テレビなら編集でカット。座談会形式でも、よくよく読む

    祭を語る どうたぬき(前編)水戸黄門の時代に湯取車はあった!? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 名古屋まつりを終えて 日々想うこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    中島敦の小説、名人伝に弓の名手が出てくる。弓を極め、師匠を捜し求め、誰も届かなかった高みにたどり着く。その後、人里で生活を始めた彼は、晩年には弓というものを忘れてしまったという、一芸を極めた者の不思議な話。 僕は名人の域にたどり着かないが、正直な所、名古屋まつりを過ぎたら、笛も忘れてしまいそうだ。名古屋まつりがえらい昔に感じてしまう。 東区区政80周年の時は山車が徳川園に集まった。90周年も山車を集める…という話が流れた時、王義之車のところで、湯取の人間やらが数人で行って、天王祭で東区の山車が揃う事があるだろうか?という夢のような話をした覚えがある。 月日が流れ区政100周年で建中寺に山車が揃い、もう言う事はない。ただ、この姿を見てほしかった方々が数人鬼籍に入られてしまったことが残念でならない。 区政80周年の時、湯取車の綱を曳いていた僕の同級生はほとんどが辞めてしまった。あれから20年が

    名古屋まつりを終えて 日々想うこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭(野球)観戦で気をつけたいこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    もう春祭のシーズンですね。最近僕は祭礼に関しては、引きこもっています。隠密を決め込んでいるって感じかな。来るべき時が来れば動きますよ。(来るべき時って何時だろう?) 知多半島は祭礼の宝庫、3月末から4月までめじろ押し。特に同じ日に各地でおまつりですので、数箇所、掛け持ちで見るという方もおられます。知多半島横断(僕は勝手に死のロードと呼んでいます)車で行った日にゃ「車で寝泊りすればいいじゃん。」と車で野宿も良いと思いますよ。(僕はしたことありませんが)良い思い出になりますよ。僕は、1日かけて1箇所をじっくり観る事が多いです。 慣れている研究家の方の先導があれば、1日で効率的に回れます。数回、こういった方の車に乗せてもらって、数箇所観たことがあります。 一人で行くぶんにはこういった過ちは少ないと思いますが、団体で、特に自分と同じ山車祭保存会もしくは関係者と他地区祭礼を観に行く時は気をつけて頂き

    祭(野球)観戦で気をつけたいこと - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 「郷土の山車写真集」を初めて観たのは鍼灸院だった!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    伊勢門水 「名古屋祭」と双璧を為すであろうに山田鉦七氏の「郷土の山車写真集」があります。戦前の山車もあれば、現存する山車も載っています。 このに初めて出会ったのは、近くにあった鍼灸院でした。中学時代、体育の授業で「60メートルダッシュ」をするのですが、その時、股関節(腰?)を痛めてしまいました。痛みが取れると再発、痛みが取れると再発、つまりクセになってしまいました。 そこで近くの鍼灸院を訪れるのですが、そこで山田鉦七氏「郷土の山車写真集」を初めて読みました。中区にも湯取車あったんだ。(戦災で焼失した桑名町湯取車)西区の比良にも湯取ってあるんだ。(河南 湯取車)小牧にもあるのか… へえ、津島には二輌あるんだ。(朝日町、麩屋町) 僕が湯取に入門したのは小学高学年、中学時は受験を控えて山車祭を控えていました。そのまま、辞めるつもりだったんです。それが自然でした。事実、僕の同級生も数人、受験時

    「郷土の山車写真集」を初めて観たのは鍼灸院だった!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 文献の研究 後進たちの功罪 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    家伝灸物語に医学だけでなく、他の研究、民俗学に通ずる次のようなくだりがあります。 だいたい、古典の主治症はみんな似たり寄ったりになって記載されている。 なぜかというと、ある古い一書に、これこれに効くと書いてあると、次の書も、その次の書もみんな右へならえ式になるからである。 これは今日の頭では理解できないことだが、先師のいっていることは尊敬して批判しない、そのまま受けるというのを古人は礼儀としてきたからである。 そんなことでは進歩も発展もないではないかというかもしれないが、それは今の考え方であって、東洋古代の考えではそのようなものであり、ならわしでもあったのだ。(家伝灸物語 P218 より) いや耳が痛い。今もって中部山車祭関係者の間では「聖書」と言っても良いに「伊勢門水 著 名古屋祭」というがあります。 このは明治に書かれたもので、当時の山車祭を伝える、唯一と言って良いほどのです。

    文献の研究 後進たちの功罪 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 日本ハムファイターズファンの皆様おめでとうございます - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    全国の日ハムファンの皆様、日一おめでとうございます。 新庄選手最後の打席泣いていましたね。純粋にハムが勝ってこれでよかったのだと、 龍ファンながらそう、しみじみ思います。そこで写真のプレゼント 愛知県半田市亀崎 青龍車の「スサノオ」「ヤマトタケル」です。 スサノオがヤマタノオロチを退治したように、見事龍と死闘を繰り広げました。 全国を遠征で駆け巡った英雄 ヤマトタケルは最後、白鳥となった伝説がありますが、新庄選手は、また何処かの世界で、夢を追い駆け、多くの人に夢の大切さを教えてくれるでしょう。新庄さんの今後の活躍多いに期待いたします。 スサノオのオロチ退治 ヤマトタケル 関連記事北の英雄がパリーグを制した!!おめでとうございます 北海道の逆襲

    日本ハムファイターズファンの皆様おめでとうございます - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • タイガースファンの皆様、ありがとうございます(日米) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    今日から野球ファンになった人のためのブログ(きょうろぐたんかん)に 中日ドラゴンズ優勝の記事を阪神タイガースファン スーパーサウスポーあさちゃん。様が書き上げました。まことに、恐縮。エールの交換としまして、私から虎の凄さがわかる写真を… 写真は愛知県半田市亀崎「力神車」「虎を書かせれば右に出る者なし」と謳われた岸駒下絵の虎の刺繍を。当は「松竹梅」でセットですし、私の写真技術がヘタで申し訳ございませんが、物はネコ科特有のしなやかさ、チーター並みの素早さ、ライオンの猛々しさ、そして虎が持つ気品さを感じさせる逸品です。 この虎にどれ程、龍ファンは度肝を抜かれた事か… 【きょうろぐたんかん】中日編(9/18-10/10)~祝、セ・リーグ優勝! 【きょうろぐたんかん】中日編(9/18-10/10)~祝、セ・リーグ優勝! そしてアメリカ デトロイト・タイガース リーグ優勝!! 一般紙の読売新聞見る

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  • 北の英雄がパリーグを制した!!おめでとうございます - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    全国の日ハムファンの皆様、 ファイターズはパリーグを制しました。 おめでとうございます にわか日ハムファンのブログ ルパート・ジョーンズさんはスサノオさんに優勝祈願したそうで 日ハム選手、そしてファンの皆様へささやかな贈り物 愛知県にあるスサノオの彫刻をここに公開します。 スサノオは日神話ではヤマタノオロチ他を退治した日 最高のファイター ヤマタノオロチが龍に見えてドラゴンズファンの私としてはもの凄く複雑ですが… ヤマタノオロチをたたっきるように、小笠原選手のバットは、龍投手陣を切ってすてるのでしょうか。 もう一人のファイター ヤマトタケル 九州は熊襲を倒し、出雲に遠征し、静岡県では敵の火責めに「草薙の剣」を振るい、逆に火責めを起こし、関東まで遠征する、全国を股にかけた日の英雄 三重の山で悲劇の最後をとげ、白鳥となって飛び立ったという影のイメージがありますが、タケルは実は死ななかった

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  • 祝 中日ドラゴンズセリーグ制覇 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    お久しぶりです、中日ドラゴンズ見事優勝を決めました。しかしながら名古屋ではこの大切な試合テレビ中継が無かった。(BSとかはあったのだろうか?)名古屋地区のテレビ局のこの扱いにはただ無念、絶望しているとしか言えません。当に中日ドラゴンズを愛しているのか?後押ししているのか?その熱意が悲しいかな、伝わってきません。選手祝賀会ライブもNHKが一番聴きやすく、見やすかったというのが私の印象。名古屋を愛する私といえども、中部地区民放の低落ぶりには苦言を言いたくなります。 それでもラジオを聴きながらその瞬間を待ちわびていました。球場で優勝監督インタビュー、落合監督が涙で絶句した様子はラジオでもわかりました。(東京ドームには、信子夫人&息子さんいたんだろうね)あの瞬間は格別だろうね。 監督業、井上選手会長の苦労、自分の浅はかな今までの体験から推し量るのは失礼かもしれませんが、こらえていた涙、身に染みる

    祝 中日ドラゴンズセリーグ制覇 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 似たもの同士 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    名古屋市東区筒井町湯取神子車と同じものが、西区比良にある「河南 湯取神子車」 同じく小牧上町にもある「湯取神子車」筒井の笛吹き(鼻こすり)は大正年間六代目玉屋庄兵衛作(平成に修復)小牧は明治年間に六代目によって作られた。(明治に作られるまで、人形は無かったとも?) 昭和初期、六代目の高弟荒川宗太郎によって作られた湯取神子の人形が亀崎「宮車」 旧 桑名町で戦災にあうまであった「湯取神子車」は隅田仁兵衛の作。隅田仁兵衛一門の手によって作られたのが岐阜県竹鼻「大西町」にある。 湯取で有名なのは津島秋まつりの七切「麩屋町」と「朝日町」と二つある。 他にも戦災にあってしまったが、数輌あったらしい。 筒井と比良、小牧、亀崎では、人形囃子や道行など囃子に同類の物もある。津島は何故かちがうなあ。囃子は何故か?昔○○の○○町にもあったらしい。 湯取つながりで、他地区の山車囃子を聴きに行ったのが、ここ10

    似たもの同士 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 岐阜の湯取車 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    岐阜県東濃地区(恵那、中津川など)は古くから名木の産地として有名。先日も中津川市加子母(旧 加子母村)で名古屋城丸御殿で使われる檜に斧いれの儀式があった。近くを流れる付知川を下れば、木曽川へ流れ着く。 来る9月23日に加子母 水無神社例題祭で2輌の山車が出る。一つは獅子舞のカラクリ、もう一つは湯取神事。 因みに水無神社という時、一般的に、飛騨一宮水無神社をさす。 名古屋の旧桑名町は材木問屋が多かったともいわれる。江戸時代、加子母ゆかりの人が、東濃から尾張名古屋へ出てきたおり、桑名町の湯取神子車のカラクリを見て、加子母で作ってみようと考えたのではなかろうか?と想像するのは、妄想に過ぎないのか? 下は加子母のホームページ 水無神社大祭で人形の動画も見られる。湯取神事の瞬間もあるよ。 加子母ネット 中津川市イベントカレンダー この日は尾張横須賀祭礼の日だから、こっそり予告。東濃も湯取神事が多い

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  • 音楽は永遠だ!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    今年がビートルズ日公演40周年らしいが、もちろん僕は産まれていない。それでも高校時代だったと思うが魅かれて聴いていた。 一つのきっかけとなったのは高校の音楽の授業でビートルズ日公演のビデオ観た事。ビートルズ人気の凄さで悲鳴なのか歓声なのかわからん声で、歌が聴き取り難かった。 ビートルズの前座が「ドリフターズ」でそのシーンは無かった。(ドリフ以外にも前座はあったらしい)後に木ブーさんが当時を懐かしんでコラム書いていたね。何も出来なかったらしい。「ザ ドリフターズ」と「ザ ビートルズ」をお客さんが間違えたらしく、ドリフの時から歓声が凄かったそうだ。人数も似てるしね。まちがえてもしょうがないね。 ビデオの話に戻るが、ビートルズがイエスタデイを歌う瞬間、まわりがシーンと静まり返ったんだ。会場の誰もがイエスタデイを聴きたかったんだろうね。僕もビデオで聴きたかった。その時、鳥肌が立ったね。 だっ

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  • 湯取車山車囃子の独自性 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井町湯取車は「東照宮祭」の古車とのいわれがあるので、東照宮祭祭礼車の囃子を使っているだろうと考えている人は多い。湯取車でも、東照宮祭名物車「橋弁慶車」の帰り囃子「雨降囃子(七間町)を使っているから、そう考えても無理は無い。しかし、事実は全くの謎、肝心の東照宮祭祭礼車桑名町の湯取車が戦災で無くなっているので、確かめようが無い。 どこぞかでレコードでもでる可能性があるが、僕はほとんどゼロに近いと考えている。 勝手に例を出して悪いのだがお隣の「神皇車」カラクリは能、狂言ではないと思われるが、能管を使い、「神楽」人形では「早笛」などを使っている。(巫女から衣装がパーと変わるので、歌舞伎に近いのでは?と勝手に考えている) 「紅葉狩車」では能の「神楽」「出葉」「中ノ舞」「舞働」などを使っている。来の能「紅葉狩り」はどうか知らないが、おそらく能囃子の一部分、ダイジェストで使っているのだろう。 福禄寿

    湯取車山車囃子の独自性 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 山車囃子の独自性 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    名古屋市中村区旧称花車の2輌「紅葉狩車」と「二福神車」はかつて同じ1人の方が囃子の師匠を務めておられた。 同時に教えていたと言うわけではなく、時間差があるが、この2輌、全く同じ囃子でも大太鼓の叩く場所など、微妙に違う。「七間町」が好例かもしれない。「二福神車」は「七間町」「紅葉狩車」は「七間町崩し」と呼び、紅葉は大太鼓、笛の旋律が違う。これは、師匠筋の方があえて違いをつけたのではなかろうか?と考えている。 因みにその師匠格の方は鬼籍に入られている。お話しする機会が無く残念に思っている。(でも実現していたら僕が、小学生くらい?) 2輌の山車にそれぞれ後継者がいるのだか、大太鼓の叩き方というか、バチの運び方、独特の間の取り方など同じ面もある。鏡で映したようにうりふたつ…とはいかないが、所々鏡で映したように同じ場面を見ることがある。かつての師匠の手の動きを忠実に再現しているのだなと、勝手に僕は感

    山車囃子の独自性 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~