山車に関するsyukakuのブックマーク (49)

  • 大曽根 片山八幡神社 例大祭 (瑞龍祭) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    10月22日(日)に名古屋市東区大曽根の片山八幡神社で、神輿が神社周辺を練り歩く、瑞龍祭が行われました。古くからあった神社ですが、名古屋城が築城された江戸時代、時の尾張二代藩主 徳川光友が神社を寄進しました。光友公は没後 「瑞龍院」と呼ばれたので、ここから瑞龍祭という名が付いたと思われます。 片山八幡社は名古屋城の鬼門にあたり、鬼門除けの意味もあったと思われます。また、あくまで私見ですが、片山八幡の地は街道に近く、いざ緊急事態の時は、 ここの地を押さえる重要性もあったと思います。現在の徳川園の地には二代 光友公の別邸があり、ここに祭られていた龍神社が大正年間に片山八幡に移りました。この「谷龍神」こそ、5月中旬に行われる中日ドラゴンズ優勝祈願祭の龍神です。 (3月オープン戦前の祈祷は矢田六所神社で行われます。) 片山八幡神社の場所はgoo地図ですとこちらになります。 片山八幡神社 また、明治

    大曽根 片山八幡神社 例大祭 (瑞龍祭) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 那古野神社例大祭 二福神車 東照宮他 上町を奉曳き - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    さあ「高張提灯」を付けて出発だ!! 脇が甘い為か?手が震える… 囃子は「楽」で神社の鳥居をくぐり、神社脇を進む 町内の人は「笹提灯」を持って歩く 尾張徳川家ゆかりの東照宮で人形囃子の奉納 因みに昼間だと東照宮はこんな感じ(撮影は桜の季節)東照宮祭、4月の桜がきれいな時のみ、屋台が出る。普段は屋台なし。 東照宮より囃子は名古屋名物の夜囃子 篠笛と摺り鉦が美しい「七間町」囃子 七間町囃子は戦災で焼失した東照宮祭祭礼車「橋弁慶車」の帰り囃子で広く流行しているが、戦後七間町付近で「七間町」が囃されるのは、今回が初めて!? 町内の方のご好意で「笹提灯」もらっちゃった。笹提灯を片手に山車を撮影

    那古野神社例大祭 二福神車 東照宮他 上町を奉曳き - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 那古野神社例大祭 二福神車 木遣り 帰路 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    店先で一休み この後、どんてん(山車のUターン) 二福神車、祭り町内は狭い道が多く、テコの技術が鍛えられており、かなり小回りが効く。 前輪は肩で担ぎ上げ、後輪はテコ棒で転がす 山車を曳き出す時は「木遣り」を謡う。一人が先ず「曳け 曳き綱~」と謡い その後、楫方衆によって高らかに謡う。 曳き出された山車が前を通り過ぎる 山車が無事神社へ帰る 今年は15日のみで、神輿は観なかった。 那古野神社の皆様、二福神車の皆様、ありがとうございました。

    那古野神社例大祭 二福神車 木遣り 帰路 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 2006年7月17日のブログ記事一覧-お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    店先で一休み この後、どんてん(山車のUターン) 二福神車、祭り町内は狭い道が多く、テコの技術が鍛えられており、かなり小回りが効く。 前輪は肩で担ぎ上げ、後輪はテコ棒で転がす 山車を曳き出す時は「木遣り」を謡う。一人が先ず「曳け 曳き綱~」と謡い その後、楫方衆によって高らかに謡う。 曳き出された山車が前を通り過ぎる 山車が無事神社へ帰る 今年は15日のみで、神輿は観なかった。 那古野神社の皆様、二福神車の皆様、ありがとうございました。

    2006年7月17日のブログ記事一覧-お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 2006年7月16日のブログ記事一覧-お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    さあ「高張提灯」を付けて出発だ!! 脇が甘い為か?手が震える… 囃子は「楽」で神社の鳥居をくぐり、神社脇を進む 町内の人は「笹提灯」を持って歩く 尾張徳川家ゆかりの東照宮で人形囃子の奉納 因みに昼間だと東照宮はこんな感じ(撮影は桜の季節)東照宮祭、4月の桜がきれいな時のみ、屋台が出る。普段は屋台なし。 東照宮より囃子は名古屋名物の夜囃子 篠笛と摺り鉦が美しい「七間町」囃子 七間町囃子は戦災で焼失した東照宮祭祭礼車「橋弁慶車」の帰り囃子で広く流行しているが、戦後七間町付近で「七間町」が囃されるのは、今回が初めて!? 町内の方のご好意で「笹提灯」もらっちゃった。笹提灯を片手に山車を撮影

    2006年7月16日のブログ記事一覧-お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 那古野神社例大祭 二福神車 車楽前へ - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    7月15日名古屋市中区「那古野神社」例大祭 試楽祭にて 今の中村区 旧廣井村 神明筋(下花車)二福神車が那古野神社「車楽」まで奉曳きされました。 二福神車が7月の例大祭に曳き込まれるのは、戦後初 写真は二福神車が那古野神社へ曳き込まれ、提灯をつける頃から撮りました。 関連記事は下 名古屋の祇園祭那古野神社大祭 (平成17年度) 真清田神社車楽(4月の祭礼) 同じ車楽の祭礼小坂井町の小坂井町へ行ってきました 那古野神社へは、午後五時ごろ到着、これから提灯つけるところ。 神主さんによるお祓いの後、提灯をつけます。 車楽の灯火を二福神車の中心に付ける「芯の提灯」が最初に付けられます。 車楽に乗せられていた人形 現在は地上で飾られます。 那古野神社 車楽 二福神車も提灯を付けます

    那古野神社例大祭 二福神車 車楽前へ - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 将来的にはポッドキャスティングもありうる - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    昔はICレコーダーではなく、テープレコーダーで山車囃子を録音し、写真より音声の方が多いくらいです。私の手持ちの山車囃子を公開する予定はありませんが、将来的には山車囃子に特化したネットラジオ、ポッドキャスティングもありうると考えています。 ポッドキャスティング 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 あっひょっとしてもうあるかな?僕は作る気にゃ~けど。 写真(静止画)動画の配信と共に音声ファイルも今後は(今でも)強力なツールです。音楽を聴いて、頭の中で想像して頂く。プロ野球でもラジオ中継を聴きながら、打者の様子、投手の変化球を想像するのと同じです。テレビや球場で野球を観た事無い人には、イメージできないでしょうが。 頭の中で色々イメージを懐かせる。それだけ強烈な印象を与えます。人の脳に訴えかけるので、動画の配信より強力かもしれません。 セミナーのビデオなど、ビデオ、DV

    将来的にはポッドキャスティングもありうる - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 大須徘徊記 予告 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    simbaさんの記事見て思い出したけれど、前々から予定しながら、放置していた大須徘徊記、書かねばならんと思い立ち、写真撮影に行く、歴史探索メイン、ブログで連載予定。「おからねこ」「万松寺」織田信長ゆかりの「総見寺」「大須観音」「七寺」陵王車の部材で石取車をつくり現在もあるといわれる「富士浅間神社」下町情緒溢れ人気の?「大須演芸場」赤門明王の名で親しまれ28日のご縁日は賑わうらしい「大光院」ちょっと寂しい「神はり地蔵」京都三十三間堂の通し矢と同じ矢場練習場のあったとされる「三輪神社」そして尾張柳生 柳生兵庫の居住地があったとされる「矢場地蔵」など 山車祭メインだと神社関係の記事が多くなる傾向があるが私の場合、歴史探索もメインの為か?寺も多い。まあいいけれど。 矢場地蔵の地は剣術指南役柳生家伝来新陰流、柳生兵庫が居を構えたとされる。兵庫の息子が柳生連也「尾張の麒麟児」とも呼ばれ剣の腕はめちゃく

    大須徘徊記 予告 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 「日本一だんじりなエディター」江弘毅の甘く危険な日々: 物書き稼業で西東

  • 天王祭雑記 (お蔵入り予定だった雑記です) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    徳川園の地図&筒井天王祭「出合い」の場所をgoo地図で示しましたが、お役に立てれたでしょうか? 公開するか迷った天王祭雑記つまりこの記事ですね。まあ別に公開しても別に良いかな?と思いましたので、公開。これと言って公に出来ないものではありませんので、気楽にお読みください。 日曜日の日、徳川園で出来町の山車を観た時、温かい歓迎に自然に涙がでました。祭礼で泣いたのは今回が初めてです。出来町の方の熱意が伝わりました。それに答えようと自然に気が高ぶりました。出来町のお祭って当に凄いですね。やっぱりいいなあ。 「心 滾る」のキャッチフレーズに偽り無し。出来町天王祭 灯し上げ(6月15日)行けたら行きたい。心行くまで出来町の囃子を聴いていたい。 祭礼では山車祭の新たな魅力を見つけました。千秋楽の夜、提灯をつけて、出合いのあと、山車蔵へ向かうのですが、帰り囃子(しんぐるま)をはやしての「帰り車」梶棒に片

    天王祭雑記 (お蔵入り予定だった雑記です) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭&東区の天王祭山車揃え 御礼 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    このブログをご覧の皆様、筒井天王祭、出来町天王祭そして徳川園での東区の天王祭山車揃えに多数のお客様を迎える事ができ、感謝に耐えません。まことにありがとうございます。天王祭行ってない人にもお礼を言わせてください。(だって名古屋に住んでいないと観に行けない祭礼だよ、ブログ閲覧者様の時間を拘束するつもりはないし) 苦しいこともあるだろう 云い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえて行くのが、男の修行である。 山五十六氏の言葉 何故かその言葉が浮かんでは消える日々を送っていました。日常生活、働いてその後祭礼の準備をする。体力が祭礼前に尽きる場合もあります。公私共に疲労のピークでした。 苦しい事がありましたが、祭礼が終わり、苦しみのトンネルからはとりあえず抜け出せました。 ですがまた、苦しみのなかでもだえながら、生きて

    筒井天王祭&東区の天王祭山車揃え 御礼 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 人とのつながりって結局なんだろうね - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    gooブログの重鎮「はじめま略」博士の「ブログってけっきょくなんなんだろね」の文章読むと色々考えます。 まつりって結局なんだろうね。人とのつながりって結局なんだろうね。 はじめは名古屋の某山車に携わる事になり、そこで普段会わないだろうと思われる、先輩方、出来の良い後輩と出会えました。 次に他町の山車祭を観に行くようになりました。そこで多くの偉人と出会えました。 次に飽き足らず、有名ホームページ掲示板に書き込むようになり、何故か名前を覚えてくれる方が多くなりました。(悪名?) その次にブログ(日記)を書くようになり、また普段見過ごしそうなものを意識するようになりました。ブログを書いている為か?欲しい情報の見つけ方のコツがわかってきました。 祭礼だけでなく、プロ野球、歴史探索、経営などブログを通して多くの人と接点ができました。 まつりにつぎ込んだ時間、人生のうちでかなり多くを占めるでしょう。そ

    人とのつながりって結局なんだろうね - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 追憶の調べ 名古屋の山車囃子 神皇車帰り囃子 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    名古屋市東区の筒井町には2輌の山車があります。 1輌は「神皇車」もう1輌は「湯取神子車」その山車が出る祭りを「筒井天王祭」と呼びますが、筒井天王祭、6月第一金土日なので時期的に「夏祭り」と純粋に呼べないかもしれませんが、それでも「神皇車」陣付近にある「建中寺」前には屋台が出ますので、「夏祭り」の雰囲気十分です。 …で山車祭りですので、2輌の山車が筒井町界隈を曳きまわされるのですが、夜になると提灯で飾られ幻想的な雰囲気を醸し出します。京都祇園祭の宵祭は「山鉾」を提灯で飾りますが、そのような感じですね。 名古屋の場合は、小回りが利くので夜、提灯をつけても山車を曳きまわすことができます。提灯を付けた山車が動く様子は、言うに言えぬ感動を覚えます。 筒井天王祭を語る上で欠かせない思い出があります。 おそらく昭和60年代、私が小学校に入った頃か… 筒井町天王祭千秋楽(最終日)の夜、とある交差点で、2

    追憶の調べ 名古屋の山車囃子 神皇車帰り囃子 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    来る6月、2,3,4日(金土日)と名古屋市東区筒井町界隈で「筒井天王祭」が行われます。古くから伝わる「疫病除け」の祭ですが、祭礼の目玉は何と言っても2輌の山車筒井1,2丁目付近の(旧称筒井1,2,3丁目)建中寺前の山車「神皇車」と、筒井三丁目と4丁目付近(旧称 車道4丁目と筒井4)情妙寺前「湯取神子車」金曜の夜から曳かれます。 神皇車の陣(不動会館)建中寺の門横に「天王社」があり、これがまた小さい。同じく、湯取車山車蔵前に鎮座する「天王社」 これもまた小さい。祭礼のお社の小ささと曳かれる山車の大きさのアンバランスさが、筒井天王の魅力かもしれません。 関連記事 東区の屋根神様その参 建中寺山門前の旧屋根神様 曳かれる山車の仔細ですが、かなり今までに比べてテンションが低いです!? 神皇車 江戸時代は廣井村 新屋敷(現在 中村区 柳橋魚市場付近?)で三の丸天王社の車楽へ笹提灯を奉納し、提灯で彩

    筒井天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 信長が愛した天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    6月2日は何の日か?ご存知だろうか?天王祭の最終日(5月31日、6月1,2日)と答える人もいるだろう。もう一つの正解は、尾張の英雄「織田信長」が能寺で打たれた日。(旧暦?)この日は「天王祭」真っ只中だったとも云われる。 「NHK大河ドラマ」などでもおなじみ「織田信長」他「利家とまつ」「巧妙ヶ辻」などでは脇役であろうが「能寺の変」は前半クライマックスであろうと思われる。 織田信長、この人も天王祭が好きだった。記録として「津島の天王祭」を観て喜んでいた記述も残る。織田信長の家紋は「五葉木瓜」(織田木瓜)天王祭の神紋と同じである。(もっとも、織田信長の肖像画の紋は「桐」鎧では「あげはちょう」が使われる場合もある) 織田信長もハデ好きで有名、そして世界規模の最先端技術に興味を持った。尾張人の一面、最先端技術を追い駆ける。ゴージャスに弱い?という気質は、すでに室町の頃からあったのだろう。 天正9

    信長が愛した天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 出来町天王祭&徳川園山車揃え - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    来る6月3,4日、名古屋市東区出来町界隈で「出来町天王祭」という祭があります。 出来町天王祭には3輌の山車が出る。古出来町(東ノ切)王義之車 出来町(中ノ切)河水車(獅子車)新出来町(西ノ切)鹿子神車。 それぞれ、疫病除けのスサノオをまつる「天王社」の祭礼車です。出来町天王祭についてはこちらのホームページが詳しいです。 出来町天王祭応援ネット 出来町への行き方など詳しく載っています。 ちなみに上の写真は王羲之車の亀の刺繍 映画小さき勇者たち~GANERA~に因んで 古出来町 王 羲之車 古出来町は東区でもっとも古くから山車を所有していた町かもしれません。 若宮の古車を買ったとも。古出来町の古車は、長久手町前熊に行ったとも、守山区大森に行ったとも、定かではありません。 戦前にあった王義之車はとてつもなく巨大であったと言われております。惜しくも戦災で焼失、1週間燃えていたという悲しい話も残って

    出来町天王祭&徳川園山車揃え - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 今年のトレンドは何だろう!?南斗が空に輝く時 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    「北斗の拳」以外に・・・ (UKOKKEI) 2006-05-13 10:20:25 アキ様、おはようございます。 これから5月末まで、土日は山車祭りに行く予定が全くないUKOKKEIです。 さて今回の記事でアキ様は福禄寿車の装飾である星宿と「北斗の拳」を絡めておいででしたが、星宿と聞いて思い付く漫画が私には「北斗の拳」以外にもう一つあります。 それは少女コミック(小学館)に連載されている、渡瀬由宇の「ふしぎ遊戯」です。 私は少女漫画はほとんど読まないのですが、私の妹がこの作品の大ファンでよく話をしてくれるので、割と内容は知っています。 大まかな内容は少女が異次元(「四神天地書」というの中)に迷い込んで、そこで二十八宿の星宿の名を持つ戦士達(青龍七星士・白虎七星士・朱雀七星士・玄武七星士という四勢力に分かれています)と恋と冒険活劇の物語を繰り広げるという物です。 ちなみに一番最初に連載さ

    今年のトレンドは何だろう!?南斗が空に輝く時 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 江戸型のシーラカンス ただ生き残っていただけじゃない - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    かつて江戸には凄い祭があった。神田明神社の「神田祭」と山王日枝神社の「山王祭」行列が江戸城内に入り江戸将軍家の上覧を受けたことから 「江戸天下祭」と呼ばれていました。 江戸時代が過ぎ、時代の移り変わり、町の変遷を以って、祭礼は山車祭から様相を変えます。それでも、往時を立て直そうと、近年になってから「江戸天下祭」が行われるようになりました。 江戸の山車ですが、実は遠州横須賀(静岡県)に伝わっていた。昔の姿をそのまま残し、生き残っていたので魚のシーラカンスに喩えられます。 その江戸の古式を伝える山車祭が三熊野神社大祭です。gooブログで「三熊野神社大祭」レポートを連載された方が「笛吹奮闘記」の禰里吉さんです。 特筆すべき事は「江戸城入場」の時、山車がそのままでは城門をくぐれないので、くぐれるよう山車を改良したのですが、そのくぐり方がまだ伝わっている事です。その山車の仕組みを三熊野神社大祭レポー

    江戸型のシーラカンス ただ生き残っていただけじゃない - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • もう一度僕は晴明(はれあきら)を探しに行く!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井町天王祭に出る山車「湯取神子車」大将人形は、大陰陽師阿倍晴明をモデルにしたものといわれています。 2001年にNHKが夢枕獏氏原作「陰陽師」をドラマ化しました。 阿倍晴明にスマップの稲垣吾郎 源 博雅に杉哲太 晴明の式神「光虫」上 まなみ 特に最終回とその前は阿倍晴明が都を襲う疫病と闘う設定。しかも疫病除けの筒井天王祭の頃で、NHKが天王祭の為に造ってくれたかと思っちゃうくらい、不思議な因縁。NHK「陰陽師」をTV録画しなかったのは、唯一悔やまれる。(天王祭の準備で、録画どころではなかったが) その頃、阿倍晴明について書かれた「晴明」を読みまくり、名古屋に残る晴明ゆかりの地についても調べ、ほぼ出尽くした感があったので、晴明に対する調べものはその時点で打ち切り。それでも、夢枕獏原作「陰陽師」を読まなかったのは、気がかりであったが。 それでも、時々、陰陽道などを調べたりする。つい最近

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