音楽のデータ配信とパッケージソフトに関して色々と考えていたら気持ち悪くなってきたので考えるのやめました。しかしいずれまた考えざるを得ないだろう。音楽はただ「聴くこと」ありき、なのか。音楽を「聴くこと」とは、ではいったいどういうことであるのか。データ配信とパッケージソフトの決定的な差は、この二つの根本的な問いに答えることなのであろうと思う。そしてその答えから導き出されるのが「したがってパッケージソフトは死滅せざるを得ないのである」ということになったとき、じゃあオレが今まで生きてきた人生とは死滅するモノに関わり続けていた人生なのであった、という結論になる。ちょっと悲しい。 そういう風に考えてみると、世の中は様々な職人技を切り捨ててきた。大量生産によって和菓子の職人が、とか、DTPによって町の写植屋さんが、とか、スーパーマーケットによって八百屋とか豆腐屋とか魚屋とかといった個人店舗が、とか。結局