[読書] 旧約聖書『創世記』第22章 (写真は、レンブラントによる「アブラハムとイサク」) 若い人たちと旧約聖書の読書会を始めた。まだ『創世記』を読んだだけだが、第22章、アブラハムによるイサク奉献の物語は、いろいろなことを考えさせる。まず、アブラハムが動揺したり悲嘆にくれたりすることがまったくないのが不思議だ。『アウリスのイフィゲネイア』におけるアガメムノンは、娘イフィゲネイアを生贄に捧げるように神託を受けて、苦悩し、泣き、生贄を決意するまでに懊悩する長い時間が必要であった。ところがイサク奉献のアブラハムには、いささかの感情の揺れもなく、事態は淡々と進み、妻サラや息子イサクにも、生贄の件については何も語られない。要するに、ヤハウェによる生贄の命令は、家族にも一切秘密にされ、アブラハムしか知らないのだ。本人にも妻にも黙って息子を殺すなどというのは、普通の感覚をもった人間のできることではな