ブックマーク / morihiro.hatenablog.com (6)

  • CMネタ - 蒼猴軒日録β

    クリスマス・エクスプレスの頃 作者: 三浦武彦,早川和良,高嶋健夫出版社/メーカー: 日経BPコンサルティング発売日: 2009/02/05メディア: 単行購入: 2人 クリック: 49回この商品を含むブログ (25件) を見る 電通ディレクターの三浦武彦、CMディレクターの早川和良のコンビによるCMに関するで、制作段階での状況や裏話、さらに絵コンテなども満載で面白い。商品をダイレクトに宣伝するというよりは、ストーリーを見せて、婉曲に商品を覚えさせるタイプのCMのハシリか? 有名な深津絵里、牧瀬里穂主演のJR東海「クリスマス・エクスプレス」キャンペーンのCMを含む映像を収録したDVD付き。 牧瀬ヴァージョンの「クリスマス・エクスプレス」(1989年)をはじめてじっくりと見てみたら、切り返しショットをどれほど巧みに使っているかがわかって感心した。とくに最後のショットは秀逸。Youtube

    CMネタ - 蒼猴軒日録β
    t-kawase
    t-kawase 2009/04/12
    CMによる欲望の作られかたについて
  • 呉服橋アーケード - 蒼猴軒日録β

    山口昌男『「敗者」の精神史〈上〉 (岩波現代文庫)』を読んでいたら、震災後に日橋から呉服橋に向かう辺りに「呉服橋アーケード」というものができたという記述があった。清水正己『商売世界見物』(誠文堂、1924)というがソースらしい。これは果たして日初のアーケード/パサージュなんだろうか。いちど調べてみなくては(ググっても全然引っかからなかった)。 ほかに面白かったのが、十字屋というのが、原胤昭が洋書屋で、銀座に店を出し、「舶来文化」を象徴する存在であったということ。へぇ〜と思い、検索してみると、やっぱり京都のレコード/楽器屋の前身だった→http://www.jeugia.co.jp/ir/report/history2.html。第4回内国博がきっかけで京都に来たらしい。原胤昭といえばクリスチャンで、日初の監獄教誨師となった人。山風の『明治十字架』の主人公として登場する(この小説、む

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    t-kawase 2007/06/19
    JEUGIAの歴史について。知らなかった。面白そう。
  • ウィキペディアと引用 - 蒼猴軒日録β

    アメリカの大学で、レポートなどにWikipediaからの引用を認めないという決まりを作ったとか。日史の島原の乱に関する答案で同じ間違いが続出したことからの措置らしい。 http://www.asahi.com/international/update/0223/002.html 「米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637〜38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった」。 元ネタはニュー・ヨーク・タイムズ→A History Department Bans Citing Wikipedia a

    ウィキペディアと引用 - 蒼猴軒日録β
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    t-kawase 2007/02/25
    ウィキペディアの引用について
  • 自らを演ずる - 蒼猴軒日録β

    TOKIOに提供した「宙船」を試聴してみたら、中島みゆきの「ナカジマミユキ化」が進んでいて驚いた。昔はもう少しさらっと唄っていたとおもうのだけど。 こういうのはよくよくあることで、矢野顕子の「ヤノアキコ化」とか、萩原健一の「ショーケン化」とか、トム・ウェイツの「トムウェイツ化」とか。「勝手にシンドバッド」を久しぶりに聴いてみたら、桑田佳祐も結構さらっと唄っている。いまモノマネ*1で、こういう唄い方したら、多分似てないって言われると思う。 モノマネといえば、昔、ザ・ぼんちのおさむの真似によってなんか最ブレイクした橋幸夫が、必要以上に首を振りながら、「潮来笠」を唄ってたのを思い出す。まさにモノマネという表象によって、表象の対象であった人間が変わってしまったんだろう。橋の例は意図的なものだったとしても、結構そういうのってあるんじゃないかな。児玉清も「コダマシヨシ化」していってるのかもしれないし。

    自らを演ずる - 蒼猴軒日録β
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    t-kawase 2007/01/06
    ありますよね。観光人類学で盛んに言われてきたのは、まさにこういう現象。それが本当か嘘かという問いがもはや成立しない地平に我々はいるのかも(特に京都人(笑))
  • 「奈良」の表象 - 蒼猴軒日録β

    上記の仕事に絡んで、「奈良」の表象について調べている。近代以降、京都とセットで「古都」として表象される奈良であるが、どうも「京都性」と「奈良性」の間には温度差があるように感じる。どういう差かというと、京都が徹底的に「ベタ」であるのに対して、奈良の方はなんか「高尚」な感じがするのである(勿論、一方で大仏と鹿というベタベタな奈良もあるんだけど)。「奈良」といえば、和辻哲郎、會津八一、さらに最近では白州正子などなど、なんとなくインテリっぽく、高踏的な言説が思い浮かぶのに対し、京都表象は、量的には奈良とは比べものにならないほどある筈なのに、どうも「ベタ」な気がする。京都写真もそう。奈良には土門拳も入江泰吉もいるけど、京都写真は???と言った時に思い浮かぶ写真家がないとか…… この差は奈辺にあるのか、なんてことを考えながら調べているのである。とりあえず會津八一と写真師、小川晴暘を中心としたサロンの話

    「奈良」の表象 - 蒼猴軒日録β
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    t-kawase 2006/08/18
    奈良の表象というテーマは興味深いな。
  • 町衆 - 蒼猴軒日録β

    朝、テレビを見てたら和菓子の話をしていて、「京の町衆」なんてことを云っていた。想定しているのは、どうやら江戸期の話らしい。だ〜か〜らぁ〜、いつまでそんなことを云っているの。 何を朝からぶつぶつ文句をたれているかというと、「町衆」って云うのは、応仁の乱以降、京都の政権が破綻した中で、上京/下京と別れて(「二つの都」という言い方もする)、それぞれが住民による自治をはじめたという状況があって、そうした自治の主体を林屋辰三郎が『町衆―京都における「市民」形成史 (中公文庫)』(1964)で、「町衆」と定義したという経緯を全く無視しているからである。で、林屋に云わせると、町衆というのは、織豊政権から徳川期に至って骨抜きにされ、「町人」に成り下がってしまった。だから「町衆」ってのは、ある特定の歴史的なコンテクスト--中世末期の京--のなかだけで、使用することが可能な言葉だと僕は理解している。 1520

    町衆 - 蒼猴軒日録β
    t-kawase
    t-kawase 2006/01/03
    「町衆」について。知らなかったなあ。数年前にひょっこり京都に来たよそ者として気になっていたのだ。
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