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2012年11月3日のブックマーク (5件)

  • (1) 《つながりの作法》 としての差別 - Freezing Point

    連続エントリ: 第1回 「《つながりの作法》 としての差別」(今回) 第2回 「《不定詞の束としての人格》という考え方」 第3回 「生の様式そのものとしての不定詞 infinitif」 第4回 「差別と批判の見分け方」 第5回 「【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化」 『週刊朝日』「ハシシタ」記事と橋下徹氏の件(参照)について、いくつかの議論を精読しました。*1 今回の騒動ではっきりしたのは、 何が差別で何が差別ではないか、理論的に説明できる人は一人もいない。 「批判」と「差別」の違いをどう考えるかに、その人の思想の原理がくっきりと現れる。 橋下徹氏は、私が生きざるを得なかった引きこもり状態について、「勾留のうえ、労役を科す」「生きる資格がない」 と言っていて(参照)、いわば私の人権を(というか命を)認めない人です。 しかし 《彼をどう批判するか》 のロジックには、慎重でありたい。 私はパ

    (1) 《つながりの作法》 としての差別 - Freezing Point
  • いまになってわかったんだが、母親が連れてきた彼氏がマジキチだった

    いまって言っても、もう結構前なんだけど。 たまに思い出して虚しくなるから、適当に殴り書きしたくなった。 特定されるのが恐いので、それなりにぼかして書く。 小学校の時に親が離婚して、ほどなくして母親に彼氏ができた。 一緒にご飯べたり、でかけたりして、後に一緒に住むことになった。 まぁなんか一応、子供に許可を得るという儀式を行われたんだけど、今思えばそれもおかしい。 「俺と母は、好き同士だから一緒に住みたい。」 「お前達もお母さんと一緒に居たいやろ?一緒に居たいなら俺と一緒にやっていこう。」 「嫌なら適当に出て行って、おじいさんと一緒に住めばいい」って言われた。 まだ小さかったので、<母親と離れるのは嫌>→<一緒に暮らすという>思考にいたり、一緒に住むことになった。 それから最悪な日々の連続がはじまった。 私たちが失敗したりすると、しつけと称して殴られたりした。 それもホントにくだらない失敗

    いまになってわかったんだが、母親が連れてきた彼氏がマジキチだった
    t-sat
    t-sat 2012/11/03
    信頼できそうなシェルターを探してみてはどうか。
  • 「自己責任」と言えば許される訳ではない - 杜の里から

    11月2日から3日にかけて、ちょっと衝撃的な話題がネット内を駆け巡りました。 それはお料理レシピサイト「クックパッド」に、 『【EM活性液で!】塩麹油麺! 』 というレシピが載せられているのが発見された事でした。 レシピ内容は農業用微生物資材である「EM・1」を調味料代わりに使うというものでしたが、昨日からのTogetterのまとめなどを見て通報が行ったのか、幸いその記事は現在サイトからは削除されています。 私は今回の騒動をリアルで目撃していましたが、そのレシピの中で語られていた「自己責任」という言葉に大きな違和感を感じています。 「自己責任」という言葉は2004年に起こったイラクでの人質事件の際に大きな議論ともなりましたが、ただ今回の場合はそれ以前に、その使われ方自体がおかしなものだったからです。 通常「自己責任」と言う場合、周りからその危険性が指摘されたり注意喚起が行われているにも関わ

    「自己責任」と言えば許される訳ではない - 杜の里から
    t-sat
    t-sat 2012/11/03
    レジストリいじりやオーバークロックのやり方を紹介する時のお約束。/自己責任というなら少なくとも事前に具体的なリスクを提示するべき。
  • 【HTTP2.0最新動向】第1回:HTTP/2.0の策定、ついに始まる 

  • #Vimmerかるた

    のーびむのーらいふ

    #Vimmerかるた