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ブックマーク / synodos.jp (2)

  • ネットは社会を分断しない――ネット草創期の人々の期待は実現しつつある/田中辰雄 - SYNODOS

    インターネット草創期の人々は、ネットは人々の相互理解を進め、世の中を良くすると期待していた。時間と空間を超えて多くの人が意見交換すれば、無知と偏見が解消され、世界はよくなっていくだろう、と。しかし、今日、ネットで我々が目にするのは、罵倒と中傷ばかりの荒れ果てた世界である。相互理解に資する建設的な会話はほとんど見られない。ネトウヨ、パヨクという侮蔑語が示すように、人々は相反する二つの陣営に分断され、果てしなく攻撃しあっているように見える。 ネットとはそういうものだという、あきらめに似た見解もひろがってきた。人間にはもともと自分と似た考えの人や記事を選ぶ傾向があり、それは「選択的接触」と呼ばれている。ネットでは情報の取捨選択が自由にできるため、この選択的接触が非常に強まる。自分と同じ意見の人をツイッターでフォローし、フェイスブックで友人になり、自分と似た見解のブログを読めば、接する情報は自分の

    ネットは社会を分断しない――ネット草創期の人々の期待は実現しつつある/田中辰雄 - SYNODOS
  • 「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS

    「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最

    「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS
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