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日本とBOOKに関するt2taroのブックマーク (13)

  • 小笠原流礼法で強くなる日本人の身体 - 情報考学 Passion For The Future

    ・小笠原流礼法で強くなる日人の身体 800年続く武家作法、小笠原流礼法宗家が書いた日人のための身体づかい論。 正しい障子や襖の開け方ってご存じだろうか。 「引き手に両手を添えて開けることが正しいマナーだと思っていませんか。ところが体の働きや物の機能を考えれば、両手で開けることは理にかなっていないことだとわかります。 引き戸である襖を左から右へ開ける際に、両手で開けようとすると、引き始めでは右手の上腕部の筋力を使い、体の中央を過ぎると、逆に左手の上腕部の筋力を使うことになります。 すると襖には斜めに曲がった力が加わり、しだいに襖はゆがんでしまいます。 まずは左手で襖を開け、体の正面で手を替えて、右手で開くというのが、腕の筋肉に沿った無駄のない動きであり、物を大切にする所作でもあるわけです。 これが古来の作法と形式的なマナーやエチケットとの違いです。」 というように、特に日家屋や日的な

  • 中空構造日本の深層 - 情報考学 Passion For The Future

    ・中空構造日の深層 元文化庁長官の心理学者 河合隼雄の論考。もはや古典。日の神話、昔話の分析を通して日人の深層構造を理論化した。 1 アメノミナカヌシとタカミムスヒとカミムスヒの、アメノミナカヌシ 2 アマテラスとツクヨミとスサノオの、ツクヨミ 3 ホデリとホスセリとホオリの、ホスセリ 古事記にはそれぞれ3柱がセットで生まれてきたのに、その後の神話にほとんど登場しない影の薄い神がいる。たとえばアメノミナカヌシは漢字で書くと天之御中主であり、まさに世界の中心に位置する重要な神のはずなのに、その他の二柱と違って、古事記冒頭の記述以降はちっとも出てこない。アマテラス(太陽神)、ツクヨミ(月神)、スサノオ(海神)の組では、多くの文化で太陽神と月神はセットで活躍するのに、日神話ではツクヨミの登場場面はほとんどない。ホデリは海幸、ホオリは山幸で有名な兄弟の争いの物語があるのに、一緒に生まれたホ

  • 【第33回】草食系男子よ、武装を解こう:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 『草系男子の恋愛学』(メディアファクトリー)を書かれた、大阪府立大学人間社会学部教授の森岡正博さんと、「ダ・ヴィンチ」11月号で対談させていただいた。男性向けの「モテ指南」「恋愛」はたくさんあるが、この『草系男子の恋愛学』ほど真実に迫り、実用的なはほかにない。女性が読んでも気持ちがいい、唯一の男性向け恋愛である。 このが出た時、「これこそ、婚活中の男性にぜひ読んでほしい」と思った。 普通、男性向けの「モテ」とは「いかに多くの女性を獲得するか」のために書かれているものだ。しかし書は「好きな女性に振り向いてもらう」ためのだ。多くの女性ではなく「ただ1人の好きな女性」がターゲットであることが、一番のミソなのだ。 しかも、男性への

    【第33回】草食系男子よ、武装を解こう:日経ビジネスオンライン
  • http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081116/bks0811161001012-n1.htm

  • 誰も知らない 世界と日本のまちがい/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 水村美苗さんの『日語が亡びるとき―英語の世紀の中で』がネット界隈で話題となっています(こちらやこちらで)。水村美苗さんのは10年くらい前に『続 明暗』や『私小説 from left to right 』といった小説を読みましたが、その後、すっかりご無沙汰になっていましたが、これだけ必読と言われれば読まない方がおかしいと感じたので購入しました。 それこそ、昔、英語と日語が入り混じる形で著された『私小説 from left to right 』を読んだ僕としては、ここで書かれていることが、おそらく「質の劣化と文脈からの逸脱」や「勤労・勤勉が可能な社会」で書いてきた僕自身の問題の系とも重なる問題だとも感じたので。 中国文化圏→天下→日国まだ読んでいないのでどう書かれている

  • 【週末読む、観る】井上章一著『日本に古代はあったのか』 - MSN産経ニュース

    ■歪んだ歴史観に光を当てる『日に古代はあったのか』(角川選書・1680円)井上章一著評・繁田信一(神奈川大特別研究員) はるか千数百年もの昔から、わが国と諸外国とでは、全く異なる時間が流れていたのだろうか。 京都大学系の中国史学は中国での中世の幕開けを、後漢の滅んだ3世紀のこととする。だが、日史学者の多くは、わが国の中世のはじまりを10世紀から12世紀までの間に置く。したがって、日中国とでは、中世のはじまった時期が数百年も違うことになる。 一方、東京大学系の中国史学は、中国の中世のはじまりを、唐が滅亡した10世紀に見ており、これに従う限りは、中世の開始をめぐって、日史と中国史との間に大きな齟齬(そご)が生じることはない。しかし、これでは、日および中国は、西ローマ帝国が滅んだ5世紀に中世の幕開けを迎えたとされるヨーロッパに比して、400年以上も遅れて中世に入ったことになってしまう

  • 集落を捨てていく日本 / SAFETY JAPAN [書評] / 日経BP社

    2005年12月、総務省は同年10月1日時点で実施した国勢調査の速報を発表した。日の人口は2004年10月1日と比べ、約1万9000人減少して1億2775万6815人となり、1920年の国勢調査の開始以来初めて減少した。 今後、日では急速な人口減少と高齢化が進むと予測されている。その結果失われるものの一つが、高齢化が進む地方の集落だ。1960年代の高度経済成長以降、若者は地方から都市部へと流出した。都市で仕事を見つけ、結婚して家庭をつくった若者は、もう故郷へは帰らない。故郷に残された両親は、今や厚生労働省に“後期高齢者”などと呼ばれる年齢に達している。彼らが寿命を全うした後、もう集落には誰もいない。 高齢化が進み、消滅寸前となった集落を「限界集落」と呼ぶ。正確な定義は、「人口の過半数が65歳を超えており、共同体としての営みが困難になった集落」というものだ。書はカメラマンである著者

  • 日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か - 情報考学 Passion For The Future

    ・日文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か コンテンツビジネスに関わるすべての人が一読の価値ありの名著。 日と世界の文化史における模倣と創造の関係を多面的に検証し、ものまねではないオリジナリティの追究という幻想を打ち壊す。歴史を振り返ってみれば、ものまねこそクリエイティティの源泉だったのである。 冒頭で紹介されている、類似したものを選ばせる認知実験の結果が興味深い。異なる観点で似ているものを指摘させた場合、西洋人は形状的な特徴の類似を重視する人が多いのに対して、日人は色彩・素材・質感・肌ざわりなど非形状的な特徴に着目する人が多いという結果が出ている。 「この傾向は、一見似ても似つかないもののあいだに類似点を発見する能力、すなわち「見立て」につながる。日で「見立て」の文化が華開いたのは、案外、日語が持つ文法構造のせいなのかもしれない。」 こうした類似性の認知能力をベースにした模倣

  • ニッポン=集団主義は、ウソだった! 『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』 ~信頼は「損得」でなければ培えない:日経ビジネスオンライン

    これまで書かれてきた多くの日論や日人論には、肯定するか否定するかの違いこそあれ、“日人=集団主義”というお約束の語り口があった。ルース・ベネディクトの『菊と刀』しかり、中根千枝の『タテ社会の人間関係』しかり、土居健郎の『甘えの構造』しかりである。 ところが著者は、専門とする社会心理学の立場から、このお約束に待ったをかける。日人は当に集団主義者なのか、と。著者自身が実施したアンケート結果をもとに提出する仮説が興味深い。 〈「日人は自分たち日人のことを集団主義的な傾向があると考えているが、ただし『自分だけは例外』と考えている集団である〉 つまり、日人は内心では、「個人主義でもいいじゃないか」と思いながら、「周囲は集団主義的に考えているに違いない」と思いこんで行動する結果、社会全体としては集団主義的な傾向を示してしまうというわけだ。ややこしい国民である。 なぁんだ、結局日人は集

    ニッポン=集団主義は、ウソだった! 『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』 ~信頼は「損得」でなければ培えない:日経ビジネスオンライン
  • ニッポンの良風美俗いまいずこ:日経ビジネスオンライン

  • Passion For The Future: 愛の空間

    愛の空間 スポンサード リンク ・愛の空間 大変面白い。日独特の文化である「性行為専用空間」の歴史学。井上章一が10年がかりで書いた傑作。好事家もここまで極めると新学問の開祖といってもよさそう。 敗戦後の時期、皇居前広場は男女の屋外セックスの盛り場だったという衝撃の事実の解説から第一章が始まる。旅館やホテルが空襲で焼かれて性行為の屋内空間の確保が難しく、庶民にもお金がなかったために、当時の若い男女は夜になると皇居前広場で抱き合っていた。朝日新聞には「いっそ都がアベック専用の公園をつくって入場料をとれば、皇居前なども荒らされず、アベックも気がねなくてよかろう。」などという意見が記事になったそうである。 「待合」「蕎麦屋の二階」「円宿」「ラブホテル」など明治から現代までの性行為専用空間の変遷を、メディアの記録や文学の記述を丹念に追うことで検証していく。野山での開放的な交接スタイルから、閉じら

  • Passion For The Future: 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

    人はなぜキツネにだまされなくなったのか スポンサード リンク ・日人はなぜキツネにだまされなくなったのか 斬新な切り口でまっとうな歴史哲学を語る。 著者の調べによると日全国で1965年ごろを境に、キツネにばかされたという話が発生しなくなったのだという。当にキツネが人を化かしていたのか、その話をみんなが信じていたのか、という問題はともかく、そのような話が出なくなったことは歴史的な事実である。 高度経済成長に伴う変化の中で、日人は知性でとらえられるものを重視するようになった。同時に知性によってとらえられないものはつかめなくなったということでもある。 このでとても気になった一節がある。かつての村社会における情報流通についての説明である。 「人間を介して情報が伝えられている間は、情報の伝達には時間が必要だった。大事な情報は急いで伝えられただろうが、さほど急がなくてもよい日常世界の情

  • http://sankei.jp.msn.com/culture/books/071230/bks0712301418018-n1.htm

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