拙著『ヨーロッパの目 日本の目』を書くときに色々とアドバイスを頂いた社会学者の八幡康貞さんが、ミュンヘン大学で勉強していた頃に出会った面白いエピソードがあります。八幡さんがゼミで活発に発言した後、一人のドイツ人学生が八幡さんに近づいてきました。「君はイエズス会の教育を受けたのかい?」と聞きます。八幡さんは「そうだけど、なぜ?」と聞き返します。すると「いや、君のロジックの運び方が見事にイエズス会流だっからさ。実は、ぼくもイエズス会の高校だったんだ」と言われたそうです。上智大学で哲学を学んだ八幡さんは、特にカトリックを学として学んだわけではありませんが、神父の教授たちから議論の仕方を自然に見つけていたようです。そこで八幡さんは、ユニバーサルの何たるかを実感したわけです。 八幡さんからこの話を伺ったとき、「その特徴的な議論の展開の仕方って何だったのですか?」とぼくは聞きました。八幡さんから返って
おかげさまで定員を超える参加希望をいただき、定員数を増やしましたが、これも一杯になりましたので、これをもって満員御礼とします。現在、以下の勉強会とセミナーに席があります。(1月23日追記) → http://milano.metrocs.jp/archives/3887 → http://milano.metrocs.jp/archives/3959 ローカリゼーションマップの新年は、日経ビジネスオンライン連載における「ヴェルサイユ宮殿に村上隆が連れてこられた」掲載からスタートしました。何かと話題の多かったヴェルサイユ宮殿における村上隆展をローカリゼーションの視点から語りました。 さて、昨年11月に勉強会を開催してから少々時間がたちましたが、2月は2回の勉強会とセミナーを一挙に行います。一つ目、第7回は今回のお知らせにある2月19日(土曜日)のエスノグラフィクインタビューをテーマとします。
のっけから本音で書きますが、パリのグランパレで開催中のモネ回顧展は抜群に面白いです。一人のアーティストの人生の作品をこうやって展示すると、最高の知的刺激を提供できると証明するモデルといえるでしょう。かなり大袈裟な表現ですが、それだけの興奮を与えてくれる展覧会でした。「既にどこかの美術館や本でみた作品だから・・・」と思うと間違えます。既にみたことのある作品に近い、しかし微妙に異なる作品が複数ならんだ時、「あっ!モネが狙っていたのは、これだったのか!」と動的に把握できます。ある作品を凝視して自分の想像力で、その作品がより大きい存在になる・・・しかし、それは他の有名な作品とは面で繋がらない。そこにちょうどはまる面を構成するさほど有名ではない作品が挟まると、とてもダイナミックな世界が展開する。こういう経験の連続を、この回顧展で得ることができました。 ある世界(観)を理解するには一定以上の圧倒的なイ
今年のはじめ、総合研究大学院大学の『人工物発達研究』に寄稿した「ヨーロッパ文化のロジックを探る」に以下の文章を書きました。 八幡康貞は「人間が人工物を作ったわけだが、その人工物が人間自身の変化を求めている。かつて自然から身を守ることに懸命だった人間は、今、人工物の逆襲におびえている。なぜか、人工物は自己増殖するという傾向があるにもかかわらず、人間はそれを制御するシステムを事前に考えてこなかった。スパムメールもその現象の一つ。鳥は一つの巣をつくった後、二つ目、三つ目をつくらない。人間は何故、二軒目、三件目の家を作ろうとするのか。そこにある人間の心性に迫らないと、人工物を巡るシステム構築はできないだろう」と語る。 この部分がもつ意味を本書をあとがきまで読み、もう一度考えます。下記は監訳者の槌屋詩野さんのあとがきです。 今や、先進国や富裕層の社会には「ウォンツ」が溢れている。テレビをあと10イン
8月15日のぼくの誕生日を前にして、期せずして自らの過去を振り返る本を読んだなあというのが、読了後の一言。1926年生まれの鶴見良行はぼくにとって同時代の人ではなく、「雲の上」の人です。『朝日ジャーナル』で「マングローブの沼地で」の連載を書き、ベ平連で小田実や従兄弟の鶴見俊輔のそばにいた人。当時、彼らをぼくはヒーローとしてみていました。米国生まれの鶴見良行は、米国からのものの見方に嫌気がさし、アジアを自分の足で歩き始めるのですが、行動をともにしたのは村井吉敬。ぼくが大学に入った頃、アジア研究者としてホットな話題を提供し続けていた人で、その村井が本書のあとがきを書いています。・・・・そして、ここが重要なのですが、仏文科の学生だったぼくは、アジア研究に目を向けなくてもすむ説明を探していたということを本書を読んで思い出したのです。 学生運動の名残は十分にあり、公害反対運動にシビアさがある時代、そ
この数年の日本のデザイン動向を振り返ってきて分かることがあります。技術への偏りと日本の精神性への偏り。これがはっきりと出ています。経済産業省が主導してきた「新日本様式」や「感性価値創造イニシアティブ」にその傾向は出ているし、それが経済産業省だけの動向であると断言するには、あまりに同じような言説やデザインが中央官庁以外の場所にあり過ぎます。これは全体的傾向であると言ってよいでしょう。レクサスのデザインポリシーであるL Finess が2004年であり、「新日本様式」のスタートが2005年であるとの1年のずれがあったとしても、あるいはL Finessのもともとの発案が日本以外の場所にあったとしても、技術と「日本らしい」精神性への偏りすぎた志向性の表現であることは否定しがたいです。 これの何処が悪い?結局のところ、技術信仰の強い商品つくりの非はiPhoneやiPad、あるいはサムスンの製品に負け
「今、カーデザイナーが語ることが一番面白いかもしれない・・・」ということを、六本木ミッドタウンのデザインハブでトークセッションを聞きながら思いました。クルマの人気がどこの先進国でも下降気味で、EV時代の幕開けで都市との関係が更に問われ、スタイリッシュで高性能のスポーツカーが即憧れには繋がりにくい時代において、カーデザイナーは「次なるクルマ」へ悶々としています。その悩み具合は、他の製品をデザインしている人たちよりも切迫感がある。EVといえどデザイナーの存在は欠かせませんが、デザイナーはEVがもつ世界観を図りかねていることが多いという点において、切迫感は期待感と表裏一体です。その点で、今、カーデザイナーの語りに注目すべきです。 先月終了した「世界を変えるデザイン展」は色々な問題点と課題を提示しましたが、昨晩のトークショーのパネラーのなかで元アウディのデザイナーであった和田智さんの言葉に一番力が
自分が生まれた国のことは、長い間、国の外に出て生活してみないと分からないと思っています。国の良さや悪さという散文的な感想ではなく、国の「かたち」というべき全体構造が外からでないと見えてこないのです。外国に住んで、多くの人と何らかのことを営み、喜んだり悲しんだりしていかないと自分の生まれた国のことが分からない。それはぼくの経験では、最低、10年くらいを要するのではないかとも感じています。 よく「自分の生まれた国のことも、感覚を鈍らせないように・・・」とか言う人がいますが、こういう人は、異文化と時をともにするということがよく分かっていない人です。ある世界に住むのは、他の世界の何かを捨てることです。何も捨てずに、新しい世界の中身を取り入れることはできません。捨ててこそ、見えてくる世界の価値を認識すべきでしょう。加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)には、長く外国に住んだがゆえに見えて
3月初め、東工大の世界文明センター主催のシンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」2日目、「日本的未成熟をめぐって」で、映画監督・黒沢清は自分の作品について海外でどう批評されるかを語っていました。それに関し、ぼくは以下のように書きました。 黒沢清が自分の映像を「スタイリッシュで静か」と受け止められることを発言の基点においていましたが、学生相手にベーシックな話をしたとすればそれはそれ でよいのですが、いずれにせよ、そうした「見られ方」をすること、あるいは自分自身でももう一つの視点にたつと「そう見えること」を当たり前の認識をもつ ことは基礎的な素養でしょう。 ここでぼくが言いたかったことは、黒沢清の映像が「スタイリッシュ」「静か」と評されることを、まだあまり経験のない学生たちに「ぼくの作品はこう見られるんだよ」と教えているのなら結構。しかし、ビジネスをしている人達が、こういう話で感心してい
ヨーロッパに住む多くの日本人が口々に「一晩中あいているコンビニにラフな格好でいつでも行けるのが懐かしい」「日曜日に店が閉まっているなんて信じられない」といった不満を言ったあと、「日本のようなキメの細かいサービスをヨーロッパでもやってくれれば受けると思うんだけどなぁ」と決まったように続きます。日本は、ことサービスについては世界でトップレベルであるという自負があるわけです。「JALのサービスを想う」で引用した「JALのサービスは最高で、日本に来る外国人も、JALの日本的サービスを評価しているのだから、今後もあのサービスを失わずに再建に頑張って欲しい」というTVのコメンテーターの発言にも、その自負は見て取れます。 しかし、その日本の「銀行の支店で客におしぼりを渡す」「説明できない店員を無駄に多くおく家電量販店」にみられるサービスは表面的であり本質な部分をカバーしていないと指摘し、日本で活躍する外
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く