僕がまだかろうじて十代だったころ、一回りほども年の離れた男性と親しくしていたことがあります。寡黙ではないけれど、丁寧に言葉をえらびながら話す人で、脚本家になる夢をあきらめたと言っていました。きっと心をぎりぎりと絞られるような苦渋があったろうことも今ならなんとなくわかるし、むしろそれを打ち明けてくれたことのほうこそ真摯に受け止めるべきだったとおもうけど、そういうことが当時はぜんぜん理解できずにいた気がします。「あきらめる必要なんてない」と無責任に焚き付ける僕に対して、彼はいつも「いや、もうやめたんだ」とだけ返しました。そう言わせてしまうことの罪深さを考えると、身が竦みます。でも彼の口からあきらめたと聞くのはやっぱりかなしかった。 フェデリコ・フェリーニの「道」という映画を観るよう僕に勧めたのも彼です。なぜ彼はこれを僕に勧めたんだろう?今もこれを観るといろいろな感情がないまぜになって胸が締めつ
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