なかなか勝利の波に乗れない原辰徳監督。「歯車がかみ合わないですね……。チームを救うような男が出てこないと」と苦しい胸の内を漏らすことも。 内なる戦い――。 巨人の監督を務めていた頃の長嶋茂雄は、一時期、そんな言葉を好んで使っていた。つまり、チーム内競争のことだ。だが、その言葉にずっと違和感を抱いていた。 ちょうど同じ頃、それとはまったく逆の方法論で圧倒的な強さを誇ったチームがあったからだ。 1997年、'98年の横浜ベイスターズである。 '97年はリーグ2位。'98年は38年ぶりにリーグ優勝を飾り、その後、日本シリーズも制した。抑えに佐々木主浩がいて、石井琢朗や鈴木尚典、ローズなどが打線を引っ張っていた。当時の横浜はとにかく選手層が薄かった。だから、レギュラーを脅かす存在などまったくいなかったと言っていい。 だが、それがちょうど脂が乗り切った選手がいた時期とうまく重なったということもあるの