戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。 連載2回目は、出井体制が実質的にスタートした1995年に、初代CFO(最高財務責任者)へ就任した伊庭保氏。連載1回目に登場した丸山茂雄氏が師と仰ぐ人物だ。当時のソニーの売上高の約半分に迫る、2兆円近くの有利子負債を抱えていた時期にCFOの職にあった同氏が語る。今回はその後編(前編は「だから私はソニーへ提言書を送った」)。 聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。 伊庭 保(いば・たもつ)氏。1935年、東京生まれ。59年東京大学法学部を
![「大賀さんは消去法で出井さんを選んだ」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b9d6725270387d45d70c6d46ecb258356d8c1636/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkei.com%2Fatcl%2Finterview%2F16%2F031800001%2F052300006%2Ffb.jpg)