id:annntonioさんの「グチ もしくは、難しい(?)問題」について。 http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20051024/1130157688#seemore 熱でボーっとしていますからヘンなところはご勘弁。 annntonioさんの問題提起の前半は次の通り。 1、戦後(教育)史を話すと完全に他人事*1って感じになる学生は、どうしましょう(現在との接点=歴史的現在を考えるためには、冷戦期や逆コースの政策とその当時の教育政策を、授業で取り扱う必要があると私は思うのです)。 これについて工夫の余地は、如何に。この問題は、おそらく「歴史(社会科学)ってなんのためやるの?」という問題に関わります。(少し飛躍があるかもしれませんが)、分かりやすいということは、内容が薄いということではない。分からないと認識した途端に関わりから撤退する人に、私≒教師はどうふるまえば
今日、やはり小泉純一郎は靖国参拝を励行した。予測どおりの行動だ。これに関して、ここ当分は多方面で語られるだろうし、実は、何を今更の感なくはない。私のコメントを加えても屋上屋を重ねるがオチだ。ただ、小泉純一郎のみならず、「職業としての政治」に携わる方々には洋の東西を問わず、共通する(大いなる「勘違い」)ものがある。それは、「国民の負託」という奴だ。これほどリアリティのない「田舎芝居の幻想」は、もはやどの社会領域にも存在しないかもしれない。「郵政民営化」を争点として圧勝した小泉自民党は、その「圧勝」が、あらゆる方面で「圧倒的支持」を受けたと見なしているからだろう。こういう、小学生だってわかるような暴挙を、個人レベルでは世間で「厚かましい」という。だが、政治家はそれを「国民の負託」と信じて疑わない(か、あるいは勝手に決めて掛かっている)のである。圧勝は、二つの魔術、すなわち(小選挙区並立制という
今日、僕の勤務校では、卒業論文の中間発表会だった(明日も一日つぶして行われる)。 それぞれ面白い発表、良くできた発表、イマイチだった発表、準備不足だった発表など、色々あったが、それはまあいい。いつものことだ。一応「プロ」および「セミプロ」が集まっているはずの学会ですら、目を覆いたくなるような発表があるんだから(自分のことは思いっきり棚に上げています)。 さて、今日の発表を聞いていて、脳裏によぎっていたのは、今日のエントリのタイトルで挙げた「受け止めて、変化できること」ということだった。これはもちろん、僕ら教員のコメントやアドヴァイスを学生が受け止めて、欠点を修正してくれる、ということが第一義だが、逆に、僕ら教員の側も、学生の発表をどのようにして受け止めて、変化できるだろうか、という問題でもある。 それなりの経験を積んでいる我々教員は、学生が提示する今まで目にしたこともない題材や、切り口に関
小泉純一郎首相は30日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝について違憲判断を示した同日の大阪高裁判決について「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と述べ、反論した。松本剛明氏(民主)の質問に対する答弁。首相は同日夕、判決が自らの参拝に与える影響を記者団に問われ、「ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べ、否定した。 答弁で首相は「私は戦没者に対する哀悼の誠をささげるということと、二度とあのような戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。それが憲法違反であるというのはどういうことか」と判決を批判。年内の参拝の予定については「適切に判断する」との立場を改めて示した。(毎日新聞 - 10月1日) 一体この人物は何度同じ言葉を繰り返すつもりなのであろうか。「理解に苦しむ」のはあなたの頭の中
ひとまず愚民呼ばわりの行儀の悪さには目をつぶっていただくとして(我ながら勝手だな)、それでも自分の意図をごり押しして言わせていただけば、僕は愚民が愚民でなくなる可能性に賭けている。小泉のように愚民を愚民のままに動員する不誠実さを拒否し、愚民に愚民であると呼びかける(=愚民であるなと呼びかける)ことによって、愚民ではない人々による民主主義を期待する。こう述べると、鬼が数千人くらい笑いそうだ。しかし、それはそう簡単に非現実的な夢物語として切って捨てて良いものだろうか? たとえば、「愚民が愚民でなくなるために」のブックマークに、『「庶民が愚民なのはしょうがない。知識人のように暇ではないのだ」という初期小林よしのりの名言を思い出す』というコメントが寄せられている(id:chipherさんによる)。さらに、の「小泉こそが根源的な愚民思想の持ち主である」ブックマークでは、『民の過半が愚かでなかったこと
面白い記事を見つけた。>「2005総選挙 (4)日本とドイツの対照的な選挙結果」@CYBER FRENCH CAFE 単なる選挙結果の比較に留まらず、ドイツにおける政権の新自由主義的シフトの背景についても言及しており非常に興味深い。 小泉が選挙に勝利して以後、株価が回復している。しかし、単純には喜べない。株価が上昇するとは、日本企業の収益改善が期待されているということである。企業がイノベーションによって新製品を開発したり、より低コストでの生産が可能になったり、という要因で収益が改善するならよい。しかし、企業が人員整理などによって収益改善する場合には話は別である。一言でいって、企業が生み出す「パイ」が大きくなることによる収益改善と、「パイ」は変化しないでコスト削減(主に人件費)によって生まれる収益改善がある。前者の場合は労働者に対する分配は悪化しないし、向上する可能性も見込まれる。しかし、後
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