2006年2月1日のブックマーク (8件)

  • ラテンアメリカから見ると: 2425コカ栽培リーダーを麻薬対策責任者に指名、エボ・モラレス(060129)

    ボリビアのエボ・モラレス大統領は、コカ栽培者リーダーの一人、フェリペ・カセレスを社会防衛副大臣に指名した。 これは、麻薬対策責任のポストである。 カセレスは、コカ栽培をやめないと言明し、麻薬は「ノ」だが、コカ葉は「シ」だとした。 社会主義運動党(MAS)の創始者の一人で、コカ葉の最大生産者は、今後アメリカの大使館や麻薬取締り当局とのコンタクト・パーソンになる。 モラレスはまた、国連の毒物リストから外すよう国際キャンペーンを展開するとし、さらに北アルゼンチンへの葉の輸出にも言及した。 <写真:モラレス大統領> (060129BBC Mundo,Foto=BBC Mundo:Morales nombra "zar" antidrogas)

    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    興味深い。
  • 軍隊体験と靖国参拝 - 激高老人のぶろぐ

    年をとっても夜更かしは深まるばかり 悟りからは遠のくばかり 分からないこと増すばかり 「老人とは」の通念はまちがいばかり 通念なるものはみんな変と思う、老人の独語録

    軍隊体験と靖国参拝 - 激高老人のぶろぐ
    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    「戦争のもつ地獄のような部分に無知なのである。あるいは見て見ぬふりをしているのである。」
  •  根源的な問いを回避することについて(1) - モジモジ君のブログ。みたいな。

    稲葉振一郎さんのコメント、「そういうバカでてきていない小人もだましてなだめすかしておだてて使うことが必要です」に関連して。 まずは、レヴィナスの『全体性と無限 (上) (岩波文庫)』(熊野純彦訳)より。 ・・・私たちが語りにおいて接近することになるのは多くの場合、対話者、つまり私たちの師ではない。むしろたんなる対象であるような相手や子ども、あるいはプラトンがそう語っているように、群衆のひとりとしての人間である*。子どもに教育するような、あるいは洗脳する場合のような語りはレトリックなのであって、それは隣人を策略にかける者の立場にたつものである。ソフィストの技術が、それとの対立関係において真理をめぐる真の語り、あるいは哲学的な語りが定義される主題となるのは、そのゆえにである。どのような語りもレトリックをまぬがれないけれども、哲学的な語りはそれを乗り越えようとする。レトリックが語りに抵抗しようと

     根源的な問いを回避することについて(1) - モジモジ君のブログ。みたいな。
    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    「けれどもレトリックの(宣伝の、追従の、社交辞令等々の)とくべつな本性は、承諾の自由を買収しようとするところにある。」
  • 研幾堂の日記

    Quemadmodum desiderat cervus ad fontes aquarum, ita desiderat anima mea ad te, "Veritas". Noli foras ire, in te redi, in interiore homine habitat veritas. An invenisti, anima mea, quod quaerebas? ΛΕΓΕ ΑΥΤΟΣ ΚΑΙ ΠΕΡΑΙΝΕ ex magna luce in intellectu magna consequuta est propensio in voluntate. 最新タイトル

    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    牛肉輸入の問題から浮かび上がる、「得体の知れない行政権の出現」という「深甚な問題」。
  • 2006-02-01

    「戸田ひさよし氏と被拘束空間(3)」です。 12/20理由開示公判の時に戸田がを履いていた事にお気付きだったろうか? 実はこれはささやかながら戸田の「を履かせろ闘争」の勝利の結果なのだ。 と言うのは、権力側は「勾留者には逃亡防止のためにを履かせずスリッパ型サンダルで移動・出廷させることが当然」という勾留者の品位保持を踏みにじった不当な考えに染まっているので、戸田が弁護士を通して何度もしつこく要求しなければ、サンダルで出廷させられてしまうところだった。 何をもって「品位保持」とするかは個々人によって違うので「自分はサンダルで構わない」と思う人はそれで良いのだが、戸田にとっては「事件捜査の必要上の拘束以外の面では一般市民と同等の自由を保障されるべき」人間が勾留の不当性を訴えに裁判官の前に背広・ズボン姿で出るのに履きを禁止されてサンダル履きを強制されるなんて、まさに人間としての侮辱だし、

    2006-02-01
    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    「拘置所」という装置。
  • http://d.hatena.ne.jp/sava95/20060131

    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    「本来「食」「性」は心底パーソナルなものであり、ある一定以上に踏み込んではならない領域じゃないのか。」
  • 「われわれの生の無条件の肯定のために」 - sugitasyunsukeの日記

    トークセッション(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20051227)で「われわれの生の無条件の肯定のために」という副題が与えられたんだけど、最初に考えたのは、自分がこの定式を当に心から信じているか、ってこと。 「生の無条件の肯定」って最近の社会福祉系でよく持ち上げられる言葉だけど、「無条件」というのは当に恐ろしいって思う。カントがいう定言命令、「〜せよ」という無条件の倫理的命令と同じだから。逆に言えば、無条件の命令「自由であれ」がそうであるように、生の無条件の肯定もまた、ぼくら生身の肉体を持った地上の人間にはほとんど不可能な事柄かもしれない。これは留保や躊躇ではないのです。この言葉自体は中身のない空虚な容器みたいなもので、それを口にする人の具体的なポジションや資格を同時に問いつめないと、時にそれ自体が正反対の暴力へと転化してしまう。 立岩真也さ

    「われわれの生の無条件の肯定のために」 - sugitasyunsukeの日記
    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    「生活/正しさが同時に問われる原生地」
  • うつぼ・大阪城当日レポート/Yさん弾圧: 釜パト活動日誌

    はじめての方へ(1) 活動日誌(104) お知らせ(108) パト報告(84) 反弾圧・報告・メッセージ(17) 反排除(17) 国際連帯(10) 各地(7) 靱・大阪城代執行・国賠訴訟(46) 長居公園代執行(58) 長居公園大輪まつり(11) 住民票・中之島野営闘争(39) 住民登録裁判(6) 朝日建設争議(1) 明るいビンボー☆メーデー(8) 資料(7) English(13) 釜ヶ崎パトロールの会 大阪キタで野宿者運動に取り組む団体です。 【連絡先】 090-6677-8602 kamapat@infoseek.jp ※すぐにお返事できない場合もあります。ご了承ください。 【カンパ振込先】 郵便口座:00930-6-139747 (口座名:大阪キタ越冬実) もっと当日のことが書きたいのですが、時間がほとんど取れません。 とりあえず以下を。 <1/30当日> ・団結テント排除後、1人

    t_kei
    t_kei 2006/02/01
    これが暴力ではないとするならば、いったい何が暴力だと言うのか。