2006年4月25日のブックマーク (8件)

  • 治安維持法と共謀罪 | ニュースの現場で考えること

    10月17日の午前4時近くになった。夜勤の仕事を終え、少し前に自宅に戻ったばかりである。比較的ゆったりとした夜勤ではあったけれど、勤務中の緊張した感覚が持続していて、夜勤のあとはアドレナリンが簡単には下がらない。勢い、夜更かしが進む。 書こう書こうと思い続けていた「共謀罪」のことを今夜こそ書こうと思っていた。そのために、少し調べものをしていたのだが、なかなか調べきれない。共謀罪については、戦前の治安維持法と比較して語られることが多いのだが、私には、「治安維持法による初の立件は、同法制定から数年後だった」というおぼろげな記憶がある。それを確かめたかったのだが、手持ちの資料やネット上では、それがなかなか見つからない。もしかしたら、記憶違いかもしれない。。。 そうやってネットサーフィンをしていたら、法政大学大原社会問題研究所(大原社研)のページに行き着いた。その中の「日労働年鑑 特集版 太平洋

    治安維持法と共謀罪 | ニュースの現場で考えること
    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    少し前のエントリだが、リンクなどが参考になる。
  • 酒井隆史『暴力の哲学』書評 - 猿虎日記

    暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜) 作者: 酒井隆史出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/05/21メディア: 単行 クリック: 86回この商品を含むブログ (54件) を見る季刊『ピープルズ・プラン』 第28号(2004年冬) 永野 潤 ●暴力そのもののなかに線を引くこと 一九六六年九月二十二日、来日中のサルトルは、「知識人の役割」と題された日比谷公会堂での講演でこう言った。「たとえばフランスでは、知識人たちというか、自分で知識人だと称している人たちが、普遍性の名において、アルジェリア人のテロ行為を、フランス人の弾圧行為とおなじ資格で非難しました。『テロリスムにしろ、弾圧にしろ、私はあらゆる暴力を非難する』と。これこそ、ブルジョワ階級のイデオロギーに奉仕する、ニセの普遍性の実例です」。9・11後の今日、人々は、当時の「ニセの知識人」とまったく同じことを、こう表現している

    酒井隆史『暴力の哲学』書評 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「暴力の哲学」書評。そういえば、この本も積読中だった。。いい加減読まなきゃ。
  • 案ずるより生むが易し: ubicast Bloggerではじめる複数ブログ運営

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    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「ゴミみたいな世界ですね!」
  • News Handler[WEBLOG SYSTEM]

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    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「襲撃という最悪の形での出会いではなく、共闘が可能になった瞬間」、か。。
  • 偶然性を組織する - heuristic ways

    Arisanさんが、生田武志氏の『<野宿者襲撃>論』に関して、的確にポイントを押さえた懇切丁寧な書評を書いている。その中で私が特に強く共感・賛同したのは次の箇所だった。 このでの記述を読むと、90年の暴動が若者と野宿者との奇跡的な出会いをもたらしたのは、それが偶発的な共闘だったからであり、また一瞬のものだったからだとも思える。 テレビのニュースなどで騒ぎの様子を見て、「これは自分の問題だ」と直観してやってきて投石などに加わった若者たちの行動は、あらかじめ約束されたものではなく、誰にも予期できなかった偶発的なもの(出会い)だろう。この偶然性こそが、「別のルール」を保証するのではないかと思う。 「連帯と共闘」は、この偶然性を尊重しなくなれば、ただちに「既存のルール」、つまり「イス取りゲーム」と、同質的な共同体への「過剰適応」(あるいは感情の転移)のなかにおちこんでしまうだろう。(『<野宿者襲

    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「<野宿者襲撃>論」に関連して。「では、いかにして偶然の出会いを組織するか」、、うーん。
  • 『<野宿者襲撃>論』関連の補遺 - Arisanのノート

    これは最初に書いておくべきだったかもしれないのだが、生田武志さんの『<野宿者襲撃>論』について書いたぼくのエントリーに、それぞれコメントとトラックバックをくださったkingさんとmatsuiismさんのお二人は、それぞれ同書に関連してすぐれた記事をご自分のサイトに書いておられて、ぼくは自分のエントリーを書くにあたって、生田さんご自身のサイトの文章ももちろんだが、このお二人の書いておられることからの影響を強く受けていたと思う。 このうちmatsuiismさんは、たびたび同書に触れてエントリーを書いておられ、特にこちらのエントリーには、ぼくはすごく影響を受けた。 http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20060216 自分のエントリーのなかで、「正当な怒り」によって、自他に対する破壊的な暴力がポジティブな連帯へと転換される、みたいなことを書いたと思うけど、生田さんの

    『<野宿者襲撃>論』関連の補遺 - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「日常のなかで何とか元気に生き延びていこうとしたら、嫌でも運動的なことと触れ合わざるを得ない時代になってきてるんじゃないかと思う」
  • 『<野宿者襲撃>論』後編 - Arisanのノート

    「野宿者襲撃」論 作者: 生田武志出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2005/12/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 93回この商品を含むブログ (45件) を見る 書では、(おもに少年たちによる)野宿者に対する「襲撃」について、二つの側面から語られているといえる。 ひとつは、「襲撃」は、われわれの社会の野宿者に対する視線、もっとひろげて言えば野宿者を生み出していながらその事実から目をそむけ続けようとする社会のあり方全体の投影(具体化)にほかならない、ということである。 昨日のエントリーにも書いたように、書の前編では、おもにこちらの側面から少年たちによる「襲撃」という行動が分析され語られていたと思う。 もうひとつの側面は、「襲撃」をおこなっている少年や若者たちと、「襲撃」される野宿者の人たちとは、同じ社会構造が生みだした弱者どうしである、という観点だ。 この観点から見

    『<野宿者襲撃>論』後編 - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「若者たちの行動は、あらかじめ約束されたものではなく、誰にも予期できなかった偶発的なもの(出会い)だろう。この偶然性こそが、「別のルール」を保証するのではないかと思う。」
  • 『<野宿者襲撃>論』前編 - Arisanのノート

    このについては、前編と後編にわけて書きます。 「野宿者襲撃」論 作者: 生田武志出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2005/12/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 93回この商品を含むブログ (45件) を見る こののなかには、野宿者に対する「襲撃」の壮絶な実態や、それをおこなった少年や若者たちの、まったく意識を感じていないかのような発言が数多く紹介されている。 それらを読みながら、ぼくはそういう行為や心理が自分には想像もつかないものであり、なぜそんなことを自分と同じ人間ができるのだろうと思って、読み進めるのが難しいほどの怖さ、不気味さを感じた。 だが、それはぼくの認識の間違いで、これらの若者や少年たちの心理は、そのままぼく自身の心理でもあるということ、だからぼく自身が「襲撃」者になっていてもなんらおかしくないのだということに気づいたのは、前編のⅣ「少年たちが野宿者襲

    『<野宿者襲撃>論』前編 - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「<野宿者襲撃>論」書評。僕は積読中だったけれど、やはり読むべき本だよな、と強く感じさせる。