ブックマーク / sarutora.hatenablog.com (28)

  • サルトルさ - 猿虎日記

    サルトルさ サルトルを使った最も短い回文 さるとるとるさ/サルトル取るさ え?そんな時代遅れの、主体主義の、歴史主義の、ヨーロッパ中心主義の、ヒューマニズムの、ヘーゲル主義の、ハイデガーを致命的に誤解したような、レヴィ=ストロースにフルボッコにされたような、二流の哲学*1なんか、いまどき取らない? さるとるさるとるさ/サルトル、猿取るさ 「猿取佐助」っていう清水義範の小説の傑作があります。サルトル入門にも最適です。 さるとるさるとるさ/サルトル、サルトルさ 所詮サルトルはサルトル?でも「サルトルはサルトルであらぬものであり、サルトルはサルトルであるものであらぬ」とサルトルは言ってます。 さるとるしるとるさ/サルトル、汁取るさ 旅館の朝は和バイキングです。 さるとるたるとるさ/サルトル、樽取るさ とりあえず樽に乗るのは確かです。 さるとるつるとるさ/サルトル、鶴取るさ 猿を取って、鶴を取

    サルトルさ - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2009/05/19
    id:sarutoraさん、了解です!
  • 道路は交通の為の場所か? 3 - 猿虎日記

    デモに対する「叫ぶならカラオケボックスで」という感覚と、「主張はご自分のブログでどうぞ」という感覚は、もちろん共通しています。つまり、政治的主張に相応しい場所というのは、「公道」ではなく、カラオケボックスに象徴されるような、閉鎖された「私的」な場所である、という感覚です。森氏が言うような、この「デモの私事化」という問題は、このブログでしつこく話題にしていたデモの「衰退」ということ以上に重要な問題なのだと思います。 政治の「私事化」ということについては、私も以前少し書きましたので、それを再掲します。 しかし、「迷惑な人」に対する非難が、人ごとのような、高みから諭すような、冷笑するような口調を持つ原因は、次のようにも考えられるのではないか。まず、例えばビラをまくというような行為が、取るに足らない、趣味的な、いわば「私的な」ものと見なされているということ。行為そのものに関しては、冷淡、あるいは無

    道路は交通の為の場所か? 3 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/09/13
    なるほど。。政治性が私事化されたことによって、デモは批難され、靖国参拝は許容される、と。
  • 道路は交通の為の場所か? 2 - 猿虎日記

    しかし、ちょっと逆の言い方を考えてみたいのです。「デモは交通の邪魔」と言うけど、そもそも「交通はデモの邪魔」という言い方だってできるわけです。道路というのは、交通の為の場所であって、主張の場所ではない、というのは当たり前のことなのだろうか。 それに関して、森達也氏*1の「酒井隆志『自由論』を読む――自由の実践の規定に向けて――」という文章に以下のような記述がありました。ちょっと長くなってしまいますが、引用させていただきます。 ■ 政治の私事化 話は変わりますが、今年はイラク戦争の影響で、あちこちで反戦デモ(最近はピース・ウォークなどと呼ばれている)が行われました。先日私もちょっと参加してみたが、そこで思ったことがあります。 デモは、大抵の場合、どこかの公園を集合場所とします。そこで演説だの声明文だのをひとしきり聞いた(聞き流した)後で、いよいよ街路に繰り出す、というのが一般的なパターンなの

    道路は交通の為の場所か? 2 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/09/13
    なるほど。。「事実上、デモ行進は完全に私事化(privatize)されているということです」
  • 道路は交通の為の場所か? 1 - 猿虎日記

    東京レズビアン&ゲイパレードの写真を見たSakiさん(アメリカ在住)の感想 http://d.hatena.ne.jp/kleinbottle526/20060820/1156031128 にこういう部分がありました。 びっくりしたのが、パレードの横を車が通っていたこと。高いアングルで撮った写真もいくつか見たけれど、いずれもパレード参加者が車道のはじっこを、すぐ隣を車に走られながら歩いているというもの。すごくびっくりしたのだけれど、これは当たり前のことなのか。東京っていう場所がら、しょうがないのかな。じゃあ日の他の地域でやってるパレードはどうなんだろう。あるいは、米国でもサンフランシスコやニューヨークのように道を封鎖しないところってあるのかな。ヨーロッパとか、他のアジアはどうなんだろう。 それに対して、次のようなコメントを書きました。 http://d.hatena.ne.jp/klei

    道路は交通の為の場所か? 1 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/09/13
    「公共の空間」について。
  • 福岡とイスラエルと北朝鮮とアメリカ - 猿虎日記

    福岡市職員が酒に酔って幼児3人を死なせたそうです。 マスコミは大きくとりあげ、福岡市に市民の批判が殺到している、というニュースも。*1 イスラエル兵がしらふで子供37人を殺したそうです。*2 イスラエルの大使館、イスラエルを支持するアメリカの大使館に市民の批判が寄せられている、というのはどういうわけかあまりニュースに取り上げられないようです。 - 安倍晋三という人が、もし首相になったら、北朝鮮に対して「「圧力」重視の対応に転換」する、と言ったそうです。 北朝鮮は地下核実験をするかもしれないそうです。 そのことについては、もし実験を強行したなら、国連での制裁決議採択をめざし、「強く自制を求める」、と言ったそうです。 アメリカは地下核実験を30日にするそうです。(臨界前核実験、半年ぶりで23回目) そのことについては……特に何も言わないようです。 - 対北朝鮮で「圧力」重視 安倍氏、制裁新法推

    福岡とイスラエルと北朝鮮とアメリカ - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/08/30
    まさしく、そういうことなんだよな。。
  • 8.5.サウンドデモ - 猿虎日記

    8月5日、サウンドデモ、参加してきました。 http://sounddemo.nobody.jp/ すでにいろいろ報告が出ているようです。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20060805/p1 http://d.hatena.ne.jp/Dryad/20060805#p1 http://d.hatena.ne.jp/KGV/20060805/1154780312 http://d.hatena.ne.jp/bullet/20060805#p2 中でも、最初に読んだ杉田俊介さんのものが大変興味深かったので、そちらを適宜引用させていただきながら書いてみたいと思います。 一つだけこうしよう、と思っていたことがあって、デモには「参加」せず、「見学」しよう、と。ずっと付かず離れずで「併走」というスタンスを取ろう、そこから見えてくるものを見よう、と。いかにも

    8.5.サウンドデモ - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/08/07
    行けば良かったなぁ。。
  • 矢でもテポドンでももってこい((c)杉作J太郎) - 猿虎日記

    表題は、昔杉作氏がタモリクラブで言ってました。しかし、テポドンは「大砲ドン」という説もあり(違うという説もあるようですがどうなんでしょう)そうだったらそのまんまなのであまり洒落にはなってませんね。 最近日記を書くテンションがあがりません。というわけでシンプルに(と思ったら長くなった)。 日刊ゲンダイをたまに買うと前も書きましたが、今日も買いました。ちょっと引用。 漏れ伝わってくる金正日の狂気の言動、異様な素顔には耳を疑う。金正日の料理人を13年間努め、「核と女を愛した将軍様」を著した藤健二氏の証言は生々しい。 「ある日の宴会では喜び組に『服を全部脱げ』と命令していました。4人の女性がパンツまで脱いで全裸になると、同席していた幹部らに『一緒に踊れ』と言った。それで、みんなでディスコ風のダンスを踊っていました。」 (日刊ゲンダイ7月8日付1面) 彼女たち〔喜び組〕は性の喜びを与える「満足組」

    矢でもテポドンでももってこい((c)杉作J太郎) - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/07/08
    うわー!
  • 江戸のニート 2 - 猿虎日記

    ところで、「ニート」は、働きもせず、また学校にもいかないもの、とされているが、そもそも江戸時代には、近代的な「学校」自体がなかったわけで、「学びからの逃走」もなにもない。とはいえ、江戸時代にも、武士のための「藩校」、また平民のための「寺子屋」などはあった。しかし、寺子屋は、明治以降の学校とはまったく違ったものだった。小熊英二の『日という国』(理論者よりみちパンセ)には、寺子屋が現代の学校といかに違ったものであるかが書かれている。 寺子屋は、いまの小学校みたいに、一斉授業方式でもなければ、教育課程がきちんときまっていたわけでもない。(……)寺子屋は、随時入学、随時退学の場合がおおかった。年齢も七歳ぐらいで入ってくる者もいれば、十七歳くらいで入ってくる者もいた。(……)地方の寺子屋などでは、農業がわりあいひまなとき、「この子も寺子屋に行かせるか」と親が考えたら、それが一月であろうと十一月であ

    江戸のニート 2 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/06/05
  • 江戸のニート 1 - 猿虎日記

    昨年惜しくも亡くなった杉浦日向子氏は、前回紹介したインリン氏、雨宮処凛氏と同様、若いころフリーター生活をしていたことがあるそうだ。もっとも、杉浦氏(1958年生まれ)がフリーターをしていたのは1980年代後半で、インリン氏や雨宮氏がフリーターをしていた時代とはだいぶ違う。それにしても、杉浦氏のフリーター生活についての見方は、後の二人とは対照的である。『一日江戸人』(1998)の冒頭箇所で彼女はこう書いている のっけから私事で恐縮ですが、一九歳の夏から三年余り、私はアルバイターでした。短期のバイトを転々とし、ぶらぶらしていました。二週間働いて三週間ぶらぶらする。あるいは、一か月働いて二か月ぶらぶらする、という具合で、居候でもあり、月四万円もあれば、なんとか生活できたのです。その時、つくづく、多くを望まなけりゃ、けっこう呑気に暮らせるもんだなぁと実感し、べつだん、一生アルバイターでもかまわない

    江戸のニート 1 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/06/05
  • 猿虎日記 - 傘がない(コメント欄)

    昨日は関東地方は夕方から夜にかけてすごい雨だった。某大学の授業が終わって、近くのモスバーガーでべていたら、突然激しい雨が降り始めた。朝出かけるとき雨が降っていなくても、天気予報を聞いて折り畳み傘を準備する、とかそのような計画的な行動は私にはインストールされていないので、当然傘などもってない。私は多少の雨はあまり気にしないのだが、さすがにこの雨ではパンツまでびしょぬれになりそうなので、そのままモスで雨がやむのを待つことにした。しかしかなり長い間粘ったものの、一向にやむ気配がない。仕方なく店を出て、そこから100メートルぐらい先のコンビニまで走り、傘を買うことにした。それだけでもかなりびしょぬれになっただが、とりあえずビニール傘を探し、傘だけというのもなんなので、ちょうど買うつもりだったテレビブロスと一緒にレジに持っていった。すると、びしょぬれの私を前に、大学生風の店員がこう言った。 「すぐ

    猿虎日記 - 傘がない(コメント欄)
    t_kei
    t_kei 2006/05/29
    コメント欄も面白い!
  • 一般国民と共謀罪 - 猿虎日記

    「宿題やりなさい」「これからやろうと思ってたのに」 というのはよくある子供の言い分で、これからやろうと思うことは宿題をしたことではない。ところが、共謀罪というのは 「逮捕する」「まだやってないのに」「これからやろうと思ってただろう」 というので、これからやろうと思うことが犯罪をしたことだ、というわけのわからないものだ。というようなことはしばしば強調されるが、それでも、「仮にそういう法律ができても自分には関係ない」と思う人が多いのだろう。というのは、多くの人は 「だって、俺は犯罪をやらないことはもちろん、犯罪をやろうと思うこともないもの」 と思うのだろう。それを見越して、政府の側は、しきりと「これは犯罪集団を摘発するためのもので、一般市民の方々とは関係ないんですよ」と言っている(たとえば黒目さんが紹介する逆ギレぎみの法務大臣会見)。しかし、「一般市民が話し合っただけでも逮捕されない」と言うこ

    一般国民と共謀罪 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/05/19
    「それでも、ピンとこない人が多いのだろう。「だって、俺は「一般市民じゃない」とされるようなことはしないもの」と。」
  • 共謀罪 - 猿虎日記

    日16日共謀罪の強行採決の可能性がある サイバーアクション(メール送信フォーム) http://www.greenpeace.or.jp/info/features/civil_liberty/cyberaction/ 共謀罪について参考サイト http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/ http://www.hanchian.org/ http://tochoho.jca.apc.org/ http://kyobo.syuriken.jp/ 計る・測る・量る 推しはかって見当をつける。おもんぱかる。 図る 物事を考え合わせて判断する。見はからう。 企てる。もくろむ。 図る くふうして努力する。 うまく処理する。とりはからう。 諮る 相談する。(大辞泉) 「はかる」とは「企てprojet」ということであって、「共にはかる」とは、人間

    共謀罪 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/05/16
    「つまり、「共謀」しているのは、いったい誰なのか」
  • 働かないオヤジ - 猿虎日記

    昨日の記事を書いた後、20代の人たちととりとめのない会話する機会があった*1。その中の一人(派遣社員をしている)が、次のような話をしていた。彼女は職場のお局さん的な人と一触即発の危機に陥ったのだが、同じ職場の「働かないオヤジ」という共通の敵との戦いで同盟することによって危機を回避し、和解したのだ、という*2。私は何も口を挟まなかった。その「働かないオヤジ」がどんなオヤジなのかはわからない。もしかしたら、そのオヤジは、若い社員にとてもえらそうに説教したり、セクハラっぽい言動があったり、下品なオヤジだったりする、のかもしれない*3。にもかかわらず、「働かない」、「仕事ができない」のかもしれない……。おそらく、そういう風に若い社員に思われている「オヤジ」はそれこそゴマンといるだろう。で、彼女に昨日の記事のような話をしたら、たぶん彼女にはこう思われるのではないだろうか、と思ってしまうのである。「私

    働かないオヤジ - 猿虎日記
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    t_kei 2006/05/09
  • 猿虎日記 - この人要らないんじゃないか

    喫茶店で大学生ぐらいの男女が話をしていた。なんかいつも立ち聞きをしているようだが、ついまたその一部が耳に入ってきてしまった。女性の方が、どこかの公共施設にスタッフが多すぎるのではないか、と感じた話をしていた。「無駄な人が多すぎると思う」というようなことを言っていた。そのようなことを誰かに言ったところ、「地域の雇用創出という意味では、そういう考え方は間違っている」とその誰かに諫められた、というような話もしていた。しかし、彼女は納得がいっていないようだった。「いつもあそこにいくと、あ、この人要らないじゃん、とか思うんだよね」と。 もちろん彼女は、「その人」が、単に「そこのスタッフとして」要らない、と言っているだけであって、「その人」の生存そのものを否定する意味でその言葉を使っているわけではない、のだろう。だから、彼女の言葉に反応してしまう、というのは、クビキリという言葉を使う人を見て、「『首を

    猿虎日記 - この人要らないんじゃないか
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    t_kei 2006/05/09
    まじめに考えると、これって結構根源的な問題だよなぁ。。
  • デモなんか行かない方がいい。むしろジョギングを。 - 猿虎日記

    デモについての記事をいくら書いても何かもやもやしたものが残るのは、やはり、デモ否定派を批判するとどうしてもデモ擁護派のような書き方になってしまうからである、と気づいた。というわけで、メーデーの今日、反デモ宣言を行うことにします。 デモに行かないという「負い目」 kmizusawaさんの文章を再び引用する。 勉強が好きな人やその案件に問題意識や興味を持ってる人にとってはなんでもない、もしくは必要だと感じられる知識の収集や興味の持続や「考える」ことが、「わかりたくない」人にとっては「もうたくさん」なことなのではないだろうか。すべての人がそういうことに興味を持てるだけの知識や情報や教養やモチベーションやキャパシティを得られるわけでも、学習のための時間や機会や気持ちの余裕を得られるわけでもない。興味の向きとか立ち位置とかもぜんぜん違う。共謀罪や教育法の「改正」は大変なことだが、それよりもバイト

    デモなんか行かない方がいい。むしろジョギングを。 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/05/08
    「呼びかけは、限りなく「分を守れ」という声に近づいていく」「だがもし「デモ」が「政治」でありうるとすれば、それは「分を守らないこと」としてのデモでしかないだろう。つまり、ジョギングとしてのデモである」
  • デモの行き方改めデモのつぶし方 - 猿虎日記

    アブナイ人たち 先日の「デモの行き方1」という記事では、まずさしあたり、私が参加した「ただ歩くだけのどうってことのないデモ(と私が思っていたところのもの)」について紹介し、デモがいかに「敷居が高くない」かを訴えるつもりでした。で、2では、私が参加したことのあるいわゆるサウンドデモ系のデモのことを書いて、そっちはちょっと雰囲気が違って、おびただしい警官の数(下手するとデモ隊以上)とものものしい警備がある、というようなことも書こうと思っていました。そこでは、using_pleasureさんの言うような たしかにデモに参加すると、なんだか政治活動を行ったという「実感」を得ることができるし、満足感もあるような気はする。警官隊が間近にいるから、国家権力と直に対峙しているような気になれる。けれど、それはそれで劇場化された見世物(この場合のオーディエンスは自分自身)にすぎないように思うし、結局そこでは「

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    t_kei
    t_kei 2006/05/08
  • 分断する思考とデモ - 猿虎日記

    分断する思考 「若者はどうしようもない」と言う老人。 そう言う老人に対して「老人はどうしようもない」と言う若者。 「モテはどうしようもない」と言う非モテ。 そう言う非モテに対して「非モテはどうしようもない」と言うモテ。 「デモするようなやつらはどうしようもない」と言う非デモ。 「デモしないようなやつらはどうしようもない」と言うデモ。 こうした思考を、サルトルは「集列的思考pensée sérielle」と呼ぶ。サルトルはそれが「わたし自身の思考ではなく〈他者〉となったわたしの思考」であり、「無力さimpuissanceの思考」である、と言う。サルトルはまた、それを「分断する思考pensée qui sépare*1」「分離主義的思想idée séparatiste*2」とも呼ぶ。 いま一つの企業を想像してみよう。そこでは二〇年か三〇年このかた、ただの一度もストライキが起こらず、だが「物価高

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    t_kei
    t_kei 2006/04/27
    無駄だからってそれがどうした、みんなもっと生きればいいんだ!ってことですね。
  • 酒井隆史『暴力の哲学』書評 - 猿虎日記

    暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜) 作者: 酒井隆史出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/05/21メディア: 単行 クリック: 86回この商品を含むブログ (54件) を見る季刊『ピープルズ・プラン』 第28号(2004年冬) 永野 潤 ●暴力そのもののなかに線を引くこと 一九六六年九月二十二日、来日中のサルトルは、「知識人の役割」と題された日比谷公会堂での講演でこう言った。「たとえばフランスでは、知識人たちというか、自分で知識人だと称している人たちが、普遍性の名において、アルジェリア人のテロ行為を、フランス人の弾圧行為とおなじ資格で非難しました。『テロリスムにしろ、弾圧にしろ、私はあらゆる暴力を非難する』と。これこそ、ブルジョワ階級のイデオロギーに奉仕する、ニセの普遍性の実例です」。9・11後の今日、人々は、当時の「ニセの知識人」とまったく同じことを、こう表現している

    酒井隆史『暴力の哲学』書評 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/04/25
    「暴力の哲学」書評。そういえば、この本も積読中だった。。いい加減読まなきゃ。
  • 日本のデモ - 猿虎日記

    今日は、結局共謀罪反対のデモには行かなかった。山岡俊介氏が今日のデモについて書いている。 http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2006/04/post_8df9.html 紙・山岡も忙しいなか、しかし最優先で参加して来たのだが、正直、余りの参加者の少なさに愕然としてしまった。 既報のように、これだけの悪法、しかもこの最大の正念場で、その数はたったの100名いるかいないか。これに対し、公安警察は50名近く(下の写真。デモ参加者のいる公園を、道路の向こうから覗いたり、写真を撮る様子)。警備の警官と合わせたら、向こうの方が多かったかも知れない。 “第2の自民党”’とも揶揄される民主党さえ、党を上げて反対せざるを得ないほどの内容なのに、これだけとは……。真面目に、この国はいったい、どこに向かうのかと、暗い気持ちにならざるを得なかった。 10

    日本のデモ - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/04/24
    それにしても、この、直接行動を回避する気持ちはどこから来ているんだろうか。。
  • 集列と同一性 - 猿虎日記

    コメント欄でこっそり書いていたものを(笑)id:sumita-mさんに引っ張り上げられてしまったのでhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060416/1145158222こちらにもあげておきます。 # sarutora 『「地域みまもりネットワーク」は、まったくの私の思いつきだったのですが、ひょっとして、と思ってググってみたら……やはり実在しました!石川県です。 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/law/pref_plan/xp170101.htm ・民生委員が、担当地区のねたきり高齢者等の災害弱者の所在を明らかにしたマップを作成 ・市町村、地区民生委員協議会、民生委員が保有し、災害時や日頃のみまもり活動に活用 とのこと。 それはともかく、「相互扶助ネットワークのようなもの」と言えば簡単ですが、色々難しい。「もう一度破壊され

    集列と同一性 - 猿虎日記
    t_kei
    t_kei 2006/04/19
    なるほど。。「脱疎外(脱集列化)としての集団化の「運動」」、しかし、それは瞬間的なものでもある、と。