ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (59)

  • 白川真澄さんの論考をめぐって - Arisanのノート

    『今日、考えたこと』さんに、白川真澄さんの「2015年安保闘争について――その意味と課題(覚書)」という文章が紹介されてました。 http://tu-ta.at.webry.info/201509/article_6.html まずは、読んでいただきたいのですが、そのうえで感想を以下に簡単に書いておきます。 当然ながら、見事な分析であると思いました。 特に、「2 たたかいのエネルギーはどこから生まれたのか」の終わりの方の、小熊英二氏の見解に対する批判は、私には正確に理解できてるかどうか分かりませんが、今回の若者たちの行動の「可能性」の核心を捉えた、鋭いものだという印象を受けました。 しかし、大事なことは、「小さな幸せ」という「平和な日常」を脅かす不安は、若者を「日常」に閉じこもらせず、「日常」の外へと動かしたということである。「平和な日常」は、政治への無力感や無関心でもある。リスクを恐れな

    白川真澄さんの論考をめぐって - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2015/09/29
    自分でも最近「http://goo.gl/NPm1Gv」という文章を書いたけれど、複数の論者が「日常」をキーワードに今回の運動を論評しているのは興味深い。
  • 4・5釜ヶ崎大弾圧を許すな - Arisanのノート

    すでにご存知の方も多いと思いますが、この5日に、大阪の釜ヶ崎で警察による不当逮捕、大がかりな弾圧がありました。 突然の大量家宅捜索がなされ、通常は現行犯逮捕にしか適用されない公務執行妨害の容疑により9ヶ月後に5人を逮捕という、ひどいものです。 まず、同日に出された抗議の呼びかけ文を、下記『釜パト活動日誌』から転載します。 http://kamapat.seesaa.net/article/194487732.html 4月5日、釜ヶ崎で大阪府警による不当逮捕・弾圧がありました。即日救援会が立ち上げられ、支援体制を組んでいます。 以下に、いただいた報告を筆者の方の承諾をいただいて転送します。内容は救援会で承認された内容ですので、この前書きも含めて転送転載いただいて大丈夫です。 抗議の声をお寄せいただくとともに、南さんをはじめ不当に逮捕された仲間に励ましのメッセージをお寄せください。下記の釜ヶ

    4・5釜ヶ崎大弾圧を許すな - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2011/04/10
    『政府や権力は、その矛盾を改める代わりに、(社会全体における)「正義」や「権利」の基準値を引き下げ、この非人権的状態こそが当たり前の日常だと思い込ませようとする』
  • ヴェーユと「イスラエル」 - Arisanのノート

    神を待ちのぞむ 作者: シモーヌヴェーユ,Simone Weil,渡辺秀出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2009/02/01メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (11件) を見る この全体のなかでいうと、とくに大きな論点というわけではないが、前から気になってることなのでメモしておく。 『重力と恩寵』を読んだときから気になっていたのは、ヴェーユが「イスラエル」と呼ぶものに対する、彼女の敵意の激しさである。 それが何のことなのかは、後で書くと思うが、あのを読んだときには、それはキリスト教の神父であるあのの編集者ティボンが、ユダヤ人であるヴェーユの非ユダヤ教的な面を強調するために、そういう箇所を抜き出したのだろうぐらいに思ってたが、そういうことではないようだ。 この件について、『神を待ちのぞむ』の「序文」のなかで、やはりカトリックの神父であるぺランという人は、次の

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    t_kei 2009/05/20
  • 「生命」の重さ - Arisanのノート

    この裁判をやってたこと自体、知らなかった。 テント撤去訴訟:原告の請求棄却−−大阪地裁判決 http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2009/03/25/20090325ddf041040006000c.html 大阪市が06年1月、靱(うつぼ)公園(西区)と大阪城公園(中央区)で生活するホームレスのテントを撤去した行政代執行により、住居から強制的に立ち退かされ、生きる権利を侵害されたのは違法として、両公園で生活していた16人(うち1人は死亡)が処分取り消しと大阪市に約1900万円の賠償を求めた国家賠償訴訟の判決が25日、大阪地裁であった。西川知一郎裁判長は「テントの設置は一般の利用を妨げ、倒壊により生命に危害が及ぶ危険性もあった。行政代執行は適法」として、原告側の請求を棄却した。 判決も判決だが、『倒壊により生命に危害が及ぶ危険性もあった』というのは

    「生命」の重さ - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2009/03/26
    大阪地裁のテント撤去訴訟判決について。
  • 死刑判決(訂正・追記あり) - Arisanのノート

    http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080526/trl0805261351004-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080524/trl0805241920003-n1.htm この死刑判決は、「厳罰化」の流れのなかでも、なにか「一線を越えた」という気がする。 犯人に前科はなく、被害者が一人であるのに、死刑判決が出ることは異例。この判決の理由は、『民主主義を根底から揺るがす行為だ』という裁判長の言葉に尽きてるのだろう。 「民主主義」(民主制という政治体制)の敵に対しては、死をもって臨むということか。 繰り返すと、「犯人に前科はなく、被害者が一人で」あっても、民主主義を脅かした者は死刑に処する、という判決である。 追記:「犯人に前科はなく」と書きましたが、この事件の被告は、前科が9犯もありま

    死刑判決(訂正・追記あり) - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2008/05/27
  • 『反貧困』 - Arisanのノート

    貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書) 作者: 湯浅誠出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 45人 クリック: 434回この商品を含むブログ (216件) を見る 著者は、「貧困」に陥っている人たちのために自身がすすめている共同的な「居場所」(誰が来てもいい喫茶店など)作りの、運動における意義について、次のように書く。 こうした「まったり」「だらだら」とした居場所の存在は、「反貧困」という言葉のもつ運動的・戦闘的なイメージにはそぐわない、と感じる人がいるかもしれない。しかし、両者は密接に関係している。 たとえば労働組合にはともすれば、ともすればすでに組合で一緒に闘っている人、またこれから組合に入って一緒に闘おうという人だけが仲間だ、といった意識がある。組合員増加、組織拡大だけに着目すれば、それは合理的な選択に見える。しかし「反貧困」は、

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    t_kei 2008/05/25
  • 板垣雄三先生のお話を聞いて - Arisanのノート

    日曜日に行われた板垣雄三さんの講演会を聞いてきましたので、自分が理解し、感じたところを書きたいと思います。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080516/p2 なお、客観的な報告でなく、あくまでぼくの関心と理解力にもとづいたものであり、紹介する内容も興味深かった一部分に限られることを、ご了承願います(めちゃめちゃ主観が入ってます。)。 会場は盛況で、幅広い年代の人たち、また外国の方も少なからずおられたようです。 まず「ナクバ」という言葉の意味について。 日語で「大災厄」と訳されることがあるこの「ナクバ」という言葉は、「ホロコースト」や「ショアー」といった語とは、根的な意味の違いがあるということ。 それを板垣さんは、「人間的破局」という言葉で呼ばれました。 どういうことかというと、「ホロコースト」や「ショアー」がたんに人間に外から襲い掛かってくる災厄とか暴力

    板垣雄三先生のお話を聞いて - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2008/05/22
    「ナクバ」という言葉について。
  • 憎まれ口 - Arisanのノート

    議論になってるようなので、ぼくも今回のdemianさんの一連の文章を読んで感じたことをちゃんと書いておきたい。 http://d.hatena.ne.jp/demian/20080513/p2 http://d.hatena.ne.jp/demian/20080514/p1 このご意見にも同意しまくりです。具体的には平和運動系とロハス〜エコ系はニセ科学とニューエイジが細かく入り込んでいてもはや「終わっている」状態に見えます。9.11陰謀論も結構広まってますし。 なんというかエコ系のロハスでスピリチュアルな人の日記を読んだりすると議論以前に反知性主義なものを感じるくらいですので、まあ、無理でしょうねえ。 これらの言葉を読んでて思ったのは、こういうことである。 以前、demianさんは、杉田俊介さんの発言を批判して、このように書いたことがある。 http://d.hatena.ne.jp/de

    憎まれ口 - Arisanのノート
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    t_kei 2008/05/18
    何かを書く、伝えるって、辛くて難しい。
  • あるべき図書館(公共施設)とは - Arisanのノート

    『葉っぱの「歩行と記憶」』さんで、「図書館を考える」というテーマで、しばらくエントリーを固定されるそうです。 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080608/p1 じつはぼくも、図書館業界で働いてたことがあるので、何かを書きたいのですが、具体的な提案のようなことは書けません。 色々思うことはあるのですが、ここではポイントと思うことをひとつだけ書いておきたいと思います。 とくに都市部の図書館の場合、ホームレス的な人がずっと居ついて困る、という悩みや苦情が、必ずあります。 このことが、「誰もが居心地のいい場所」としての図書館ということや、「を落ち着いて読める場所」という機能とは、矛盾することとして語られるわけです。 しかし、そもそもそういう人がなぜそこに来るかというと、他に居られる場所がないからです。真夏の炎熱や真冬の寒さをとりあえず避けて身を休める

    あるべき図書館(公共施設)とは - Arisanのノート
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    t_kei 2008/05/09
  • 『苦海浄土』 - Arisanのノート

    やっと読了。 新装版 苦海浄土 (講談社文庫) 作者: 石牟礼道子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/07/15メディア: 文庫購入: 9人 クリック: 175回この商品を含むブログ (71件) を見るこの滅茶苦茶有名な作品を読むのも初めてだし、水俣病とその患者さんたちのことについても、水俣の運動の経緯についても、詳しいことを何も知らなかった。 それで、まだ読んでいないという人には、ぜひ読むことをすすめたい。 この作品については、議論されるべきことは山ほどあり、そういう山のような議論がすでに積み重ねられてきただろうが、それでも今なおこのは、色々な意味で必読であると思う。 巻末に付された解説で、渡辺京二は、この作品が「聞き書き」ではなく、「ルポルタージュ」でさえないことを強調している。 読んでいると、そのことは段々分かってくる。 そのことをどう考えるかは、難しい問題である。なにし

    『苦海浄土』 - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2008/05/06
    重要。
  • 最近読んだ対談記事から - Arisanのノート

    このところ、テレビの報道というのは、事実を(出来るだけ)伝えようとするものではなくて、視聴者が「こうあって欲しい」という願望としての世界像を伝えるものだと、あらためて思うようになった。 そう考えると、たとえば「深刻なニュース」と「ほのぼのしたニュース」との変なバランスも、まあ納得がいく。 以前からそうだったのかも知れないが、最近は、とくにそれが強まってるようだ。 もちろんテレビだけでなく、雑誌とか新聞にもそういう傾向は強まってるだろうが、テレビは影響が大きいから。 ただ、「こうあって欲しい」というのが誰の願望なのかは、ちょっと微妙だなあ。内容については、報道を加工する側の意図も入りうるけど、そもそも報道が事実(現実)を伝えず、願望の世界だけを伝えるものであって欲しいというのは、やっぱりぼくら視聴者自身の欲望でもあると思う。 考えてみると、願望というか、自分の望むような世界の姿しか知りたくな

    最近読んだ対談記事から - Arisanのノート
    t_kei
    t_kei 2008/04/06
    『「こうあって欲しい」という願望としての世界像』
  • 非難されるべき暴力 - Arisanのノート

    『P-navi info』さんの記事より。 イスラエルによる封鎖が続くなか、ガザ地区を取り囲んで建てられた鉄の壁が「武装グループ」により爆破され、数万規模とも言われる住民がガザからエジプトに(物資の調達などのため)なだれこんだというが、その模様の映像。 http://www.repubblica.it/2006/05/gallerie/esteri/muro-gaza/15.html これらの写真の人々の様子や表情を見ると、いま現実に行われていることのうちで、「暴力」として非難されるべきものは何であるのかが如実に分かる。 もちろん爆破ではなく、壁を築いて封鎖を行っていることこそが悪しき暴力なのである。

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    t_kei 2008/01/26
    重要。
  • 力の否認 - Arisanのノート

    たとえば、パレスチナ問題について、また沖縄の基地をめぐる議論において、紛争の当事者たちや、対立する意見を持つ現地の当事者たちのそれぞれについて、「どの人たちにも、それぞれに切実な立場というものがあり・・」といった、一見リベラル的な言及(解説)がなされることがある。 だが、こうした物言い(視点)が意味しているのは、それぞれの当事者に苛酷な状況を強いている現実的な力、つまりイスラエルによる占領を容認している国際社会や、米軍基地の存在と集中を現前させている日米関係というものを、見ないままにしておきたいという、語る側の願望(欲望)なのだ。 つまりそれは、「パレスチナ」や「沖縄」の状況を、「語られる対象」として、つまり自分が生きている現実とは切断されているもののままにしておきたいということであり、自分にとって「関与可能な事柄」ではないと思いたい、ということなのである。 重要なのは、当事者である人々を

    力の否認 - Arisanのノート
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    t_kei 2008/01/14
  • 「自分で語ってみる」ことをめぐって - Arisanのノート

    『Freezing Point』さんの、こちらのエントリーは、ぼくにはたいへん重要なことが書かれていると思われたので、紹介しながら、自分の考えも書いてみたい。 「人が、自分で語ってみる」 もちろん、ueyamakzkさんが書かれている趣旨とは大きくずれてしまうところが多いだろうから、くれぐれもそちらのエントリーの方を、より精読していただきたい。 法学(訴訟法)でいう「当事者」とちがって(参照)、ひきこもりや不登校の支援業界では、「当事者」はもっぱら弱者=逸脱者のことを指すが、そのことが議論を硬直させているように思う。 弱者が為す「当事者発言」は、単に特権化して優遇するためではなく、力関係の分析と再構築のために提出される――そう考えるべきだと思う。弱者を差別的に優遇する態度は、必要な一ステップだとは思うが、「弱者に無理に語らせる」という態度にもなりかねない*1。無理にでも語らせるべきなのは

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    t_kei 2007/07/09
  • 『松ヶ根乱射事件』 - Arisanのノート

    『リンダリンダリンダ』の山下敦弘監督の新作ということで期待して見たが、やっぱりすごく不思議な味わいと魅力のある作品だった。 「面白い映画か?」と訊かれると、微妙なんだけど。 http://www.matsugane.jp/ 「松ヶ根」というのは、物語の舞台になる寂れた田舎町の名前だ。 時代設定は、90年代の前半か中頃ぐらい。実際にあった出来事を脚色して作られているらしい。 この、90年代中ごろの日の地方の町という設定が、この映画の核心みたいなものだとぼくには思えた。 たとえば『ファーゴ』のような映画に出てくる、グローバル化の影響でさびれはて、スカスカになってしまった90年代のアメリカ田舎の感じ、それから、この映画のホームページにも賞賛のコメントを寄せているポン・ジュノが傑作『殺人の追憶』で描いたような80年代終わりごろの、社会全体の変化に取り残されていきつつある韓国田舎の雰囲気、そう

    『松ヶ根乱射事件』 - Arisanのノート
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    t_kei 2007/03/16
  • 「反ファシズム戦争」の論理を越えて - Arisanのノート

    今回の「従軍慰安婦」問題をめぐる日政治家や外交官の発言を読んでみっともないと思うのは、アメリカ議会への法案提出の動きなどについて、「アメリカの議員の選挙区の事情」(駐米大使)だとか、他国による「日米間の離反工作」(麻生外相)だとかいうことが、起きている事態の不当さの証明であるみたいに堂々と述べられていることだ。 どんな政治行動でも、複合的な事情なり目的はあるだろう。当たり前である。 だが、問題になっている事柄自体が「これはひどい」と思わせるものでなければ、法案提出の動きになったり、マスコミが大きく動くはずがない。 現状は、この問題に対する日政府のこれまでの対応と安倍首相の発言が、アメリカの多くの政治家やマスコミを動かすに十分なほどひどいものだということを、起きている現実が証明しているということである。 そうでなく、たんなる政治的思惑による策動の結果でしかないと言い張るなら、それを阻止

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    t_kei 2007/03/13
    重要。
  • 実存の複数性と生の封鎖 - Arisanのノート

    以下は、前回のエントリーの内容にも関係して。 下記の記事などに書かれているように、大阪市「釜ヶ崎解放会館」の住民票削除問題が、たいへんな段階を迎えている。 http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?p=338 http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?p=339 http://0000000000.net/p-navi/info/news/200702270146.htm もちろん、これは行政側のとんでもない暴挙であると思う。 「適正化」という名のもとに行われる、この一方的な措置により、多くの人たちが市民的な権利を奪われ、「半難民化」(『旗旗』さんの表現だが、その通りだと思う)させられることになる。 ありえないような、ひどい話だ。 ところで、こうした日雇い労働者の人たちや、あるいは野宿者の人たちが置かれ

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    t_kei
    t_kei 2007/03/01
  • 最近のコメント欄から - Arisanのノート

    このところ、各エントリーのコメント欄に大量の匿名の書き込みが続いていて、すごく困ってます。 ほとんどは、「早く左翼教、文学教を脱して、あなたも現世教の信者に!」といった趣旨の内容で、「間に合ってます」という感じなんですが、いくつかすごく気になったコメントがありました。 それらについて、少し思ったことを書いてみます。 ひとつは、『06年最後のエントリーは、労働運動について考える』と題をつけた昨年12月31日のエントリーのコメント欄から。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061231/p3 こんなふうに書いてあります。 さっきからさ。”イメージ”だの、”思う”だの あいまいな言葉ばかりつかってるけどさ・・・ 実際に働く人に接したことないの? 働く人たちの組織に接して彼らの意見を じかに肌に触れて感じたことないの? かれらの息遣い感じたこと無いわけ? 彼らの愚痴聞い

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    t_kei
    t_kei 2007/02/16
    興味深い。(と書くと、語弊があるけど。。)
  • 長居での出来事についてまた考える - Arisanのノート

    長居公園の行政代執行から、月曜でちょうど一週間がすぎました。 この間、それに関連した記事に少なからぬTBをいただいたり、ブログで言及していただいたりしたのですが、ここではそのなかからriruhiさんの記事の内容に答える形で、少し考えていることを書いてみます。 http://d.hatena.ne.jp/riruhi/20070208 この記事は、感じていることや考えがすごく正確に、丁寧に書いてあると思います。 その全部に答える能力は自分にないと思いますが、答えられることだけ書きます。 はじめに、次の点。 でもね、体を張って抗議ってのは今の時代逆効果じゃないかとも思うんですよね。 もっとスマートにやれないのかなと。 後、もうちょっとマスコミ対策をしたほうがいいと思うのです。 はっきりいって見ていて絵面があんまり良くないです。 このへんのことなんですけど、ぼくの記事にも書いたように、今回の行動

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    t_kei 2007/02/12
  • 軍隊化する日常と私 - Arisanのノート

    今日読んだ、長居での出来事についての文章のなかから、とりわけ印象深かったものをふたつ紹介し、自分の考えたことも書き添えます。 橘安純さんの手記(加筆中)。 http://robou.exblog.jp/5470673/ これは、なにもコメントできません。野宿の人のテントが撤去されるということの、現実がこういうことなのだと思う。 みんなそれが分かったうえで、苦渋の選択として、あの演劇による抗議・抵抗という道を選んだ。そういうことだったと思う。 次にミュージシャンのヒデヨヴィッチ上杉さんの、とりあえずの手記(格的な報告は、もう少し先になるそうです)。 http://blog.livedoor.jp/hideyo327/archives/50704879.html 冒頭のメールの一文を読んで、「やっぱり天王寺までしか行けなかったんだ」と思って、辛い気持ちになった。気力や体力が、そんなに残ってた

    軍隊化する日常と私 - Arisanのノート
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    t_kei 2007/02/12