*これは、ある雑誌に書こうとして、没にした文章です。でもせっかく書いたので、アップします。ただ今までの文章と重なるところがあります。 これからぼくが、書こうとすることは、テント村に暮らす中で考えたことだ。ぼくは、「文化」を、ある暮らし方が長年にわたって継続してきたという、そのことの中に探りたいと思う。その暮らしを支えてきたものをさして文化と呼びたいのである。ホームレス文化ははるか昔にも遡るし、また現在においても多様さを持っている。例えば、ぼくは手荷物だけもって移動する人たちの暮らしの内実を知らないし、定住層であっても場所によって、ちがってくると思う。 ぼくたちテント村の住人は、物のやり取り、物々交換によって、関係を作っていく。物をあげるということが「あなたと親しくしますよ」ということなのだ。挨拶を交わす、ということの次の段階が、物を交わすということである。近くに住んでいる70歳を超える人で
去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
« 大黒の良さについて | トップページ | 結局片付かず » 02/10/2005 肯定論批判 明日から東京。しかもさらに新潟へスキーに行く。その前に仕上げなければならない仕事でむちゃくちゃ忙しい。 のだが、note of vermilionさんの、第二次世界大戦肯定論を考える記事を読んでいたら、これを紹介したい気持ちになってきた。この驚くべきテキストは、アメリカで1942年に出版されている。 他人の立場に自分をおくというルールに従って日本を現場で観察している西洋人は、日本について同情や正義感にかられるようなことがらを多く見つけている。活力と野心にあふれた人びとが大昔からのふるさとの地にひしめいて住んでおり、彼らは他の民族がすでに定住している国々へ移民するという人口問題の解決策を禁じられており、また彼らは自国の製品を世界の市場で自由に販売しようにも、関税や特恵および輸入割当数量といった障
講談社[現代新書1849] ISBN-10: 4-06-149849-5 ISBN-13: 978-4-06-149849-5 296ページ,本体価格840円 第1刷(2006年7月20日刊行) 第2刷(2006年8月3日刊行)→正誤表 第3刷(2009年12月18日刊行)→正誤表 第4刷(2010年5月10日刊行)→正誤表 第5刷(2011年10月7日刊行)→正誤表 電子本(2013年6月28日刊行)→eBook版|Kindle版 第6刷(2015年4月14日刊行) *new* →反響録(書評と言及など) →講談社現代新書ページ プロローグ:祖先からのイコン――躍動する「生命の樹」 11 第1節:あれは偶然のことだったのか…… 13 第2節:進化的思考――生物を遍く照らす光として 15 第3節:系統樹的思考――「樹」は知の世界をまたぐ 19 第4節:メビウスの輪――さて,これから彷徨いま
久しぶりに、たまたまTVをつけていました。 NHK教育テレビで、ETV特集をやっていました。今日のテーマは、「難民」です。 「お?」 と思いそのまま見ていると、懐かし(?)の東京入国管理局やらが出ていました。 法務省の石頭も相変わらずでしたが、明らかにNHKの立場は難民寄りでした。 本国へ強制送還されれば生命の危機すらある弱者の立場を、きちんと伝えていました。 とても好感をもてました。 難民となり自国を出る人が、パスポートや難民性を証明する書類など持っているわけがない。 (その国の政府にとっては反逆者である彼らに、そんな便宜をはかる道理がない) それを「不法」と決め付け、家族をバラバラにしてまで海外へ追い出している日本国政府は、明らかに国際法違反です。 何も「国際法」なんて持ち出さなくたって、難民を助けましょう、子どもの人権を守りましょうという、ごく当たり前の国際条約を日本は批准している
大隅典子さんhttp://nosumi.exblog.jp/3379062/から当ブログの学術会議のエントリー「身体・性差・ジェンダー――生物学とジェンダー学の対話」http://d.hatena.ne.jp/discour/20060708をリンクいただいた結果、生物学、生命科学系に関心あるみなさまに当ブログをお訪ねいただくことになったようです。しかしながら、そのエントリーに対して、「「ジェンダー」という単語は、生物学的な性のことも指しているのではないかとずっと思ってきました。というのも、英語ではgenderを普通に生物学的な性のことにも使っているからです。」のコメントや、ジェンダー概念について「現場の人たちと一緒にきちんと考えていかなくてはいけない」というコメントをいただいたので、改めて自然科学系のみなさんとどのように「対話」をしていったらいいのだろうかと考えました。 ひとまず、かみ合
「終わり」よくても… ▼毎日新聞 7月16日(日)朝刊に掲載原稿 http://www.mainichi.co.jp/(ネット上には掲載されません) 「陸自イラク撤収 支援の選択肢を減らすな」 文・綿井健陽 ▼月刊「世界」8月号(岩波書店) http://www.iwanami.co.jp/sekai/ 特集・イラク占領は何をもたらしたか 「危機に立つイラク戦争報道?バグダッド取材の現場から」 文・綿井健陽 ▼『世界の戦場から』写真展と催し(横浜) http://www.jvja.net/ 期間:2006年7月22日(土)~8月27日(日) 時間:9:00 ~ 17:00 《月曜休館》 会場:あーすぷらざ 3階企画展示室 http://www.k-i-a.or.jp/plaza/ 《会場へのアクセス》 あーすぷらざ 〒247-0007 横浜市栄区小菅ヶ谷1-2-1 (地図) http://
タイトルにしてるのは、コメントでいただいた言葉ですが、非常に嫌いな言葉です。 意味としてではありません。 著者でも、こういうワーディングを書いたときは冷静な議論でも、そのたたき台でもいいが提示している姿を私はあまり見たことがない。同じく「試行錯誤しなくてはならない」とか。大方書くことがなくなった場合か悩んでるかである。「思考停止になってはならない」とかもそこで「思考停止」したっちゅうことである。冷静な議論なっているか、思考停止してないかは読めばわかりまっせ。不必要なワーディングだと思う。 痛いのはこの陳腐なるワーディングをこれまた自分が大人的対応ができまっせと他人に見えるだろうと思って、一応こういう本の編集をしている私に「これは小娘め一発言うてやらなにゃあいかんな」とでも思っていらっしゃるのだろう。また失礼な物言いをしないあたりがいやらしい。で、それが、私がわかってないと思っているのが痛々
ちょいと遅いが。びぃぶろぐ尼崎市職員杉山富昭のブログ。お前ら、わが豊葦原瑞穂国の言論の自由はすばらしいよ!脳内革命裁判所は死刑判決を出したが、執行前に脳内サン=ジュストと脳内ロベスピエールが内ゲバを始めたのそれどころではなくなった。脳内ダントン、逃げて!そもそも恐怖政治は費用対効果がよくない。 しょうがないので言説を褒めまくることにした。だって私たちは、自己決定に基づいて自己責任において再帰的に頑張ることを強要しあいながらキャリアアップを果たして自己実現を図る素晴らしい社会に住んでいるのだから。貧乏人は死ぬか貧乏をやめろ!さすれば貧困問題は「最終的解決」にいたろう。北九州方式がなぜ支持されるべきかについては、以前にも書いたように、現行生活保護法が国賊法と化しているからです。怠けて怠けて怠け続けた人生を送ってきた者が最後の最後に自分の人生にケジメをつけるならともかく、よりによって公金にたかる
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