ども!キヨスイ(@kiyosui_goraku)です! 読書が精神安定させる効果があると最近、気付いてきました。そちらのことについて。 2015年のカサンドラ症候群からの抜け出しは読書 2015年はカサンドラ症候群の末期状態でした。もう、丸1年カサンドラ症候群だったと言っても過言ではないでしょう。 2015年の中期までは、自分でも気づかずそのまま無理をし続けていました。そして、2015年の後期には末期状態で鬱グラビティに毎日襲われる日々でしたね。 2016年に入ってから少しづつ回復しました。そのきっかけが読書でしたね。今振り返るとあの状態から抜け出すのには必需品でした。 ある人から紹介されたこの本がきっかけでした。 自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心 posted with ヨメレバ 東田 直樹 エスコアール 2007-02-28 Amazon Kindle
ども!キヨスイ(@kiyosui_goraku)です! 最近、ヒマ人が少しばかり続いています。 「時間がナイナイ」と言っている時、困りますよね。 「時間がありすぎる」と言っている時もかなり困ることに気づいております。 このバランスを保つのが難しいのですが。これを読んでいるあなたもどちらかに当てはまりませんか? と、まぁそんな時間を使って「人間ってなんで生きているんだろう?」を自分なりに考えてみました。 この記事の結論 時間がありすぎると考えても仕方ないことを考える。 人間が生きる必然性ってないんじゃないか? 他の生物の必然性がすごい 必然性がないから自己肯定感や存在意義みたいなものを確かめるのではないか? 人間って弱い キヨスイの一人称を『おれ』に変えます。 暇だったので、人間のことを考えてみた。 暇すぎて、おれってなんで生きているんだろう?的なものを考えてしまいました。 考え始めは、おれ
他人によって大事な自分の人生を歪めてはいけない 死にたくなる理由は人それぞれだけど、よくあるのがいじめだろう。 もうつらくてつらくて最後の手段として自殺という手段を取ってしまうかもしれない。 そしてもうひとつ、いじめられても助けてくれない周りの人間に絶望し、死ぬ事によりそのつらさを理解してもらおう為かもしれない。 これは子供だけではなく、大人の過労にも言えることかもしれない。 いじめや過労以外にも人生での大きな挫折や大失恋とかで死にたいと思うかもしれない。 ちなみに中の人も少し前にあった。 そして、その想いを関係者に思い切って話したところ、 何それふーん、的な反応だったww その時思った。 死ななくて本当に良かった、と。 「あんな事で死ぬなんてバカじゃーんpgr」扱いされるところであった。 周りのへの見せつけの為に死んでも、多分そんなに悲しまれない TVで自殺した子を偲び涙ぐむ同級生の映像
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く