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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (81)

  • アレクサンダー・ショルツが欧州でなく浦和への移籍を選んだ理由 いつ日本に興味を持った?

    井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao Why JAPAN? 私が日でプレーする理由 浦和レッズ アレクサンダー・ショルツ インタビュー 前編 Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日でのプレーを選んだのか。日でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回は浦和レッズのDFアレクサンダー・ショルツに話を聞いた。以前から日の社会や文化に好感を抱いていて、浦和からのオファーには即決したという。 中編「読書好きなショルツが語る日文化」>> 後編「ショルツが語る日サッカーの課題」>> アレクサンダー・ショルツは2年前に浦和へ加入。Jリーグ3シーズン目をプレーしているこの記事に関連する写真を見る 【日への移籍を驚かれた実力者】 常に冷静に戦

    アレクサンダー・ショルツが欧州でなく浦和への移籍を選んだ理由 いつ日本に興味を持った?
  • 浦和のアレクサンダー・ショルツが感じている日本サッカーの課題 気になるゴール前の選択

    井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao Why JAPAN? 私が日でプレーする理由 浦和レッズ アレクサンダー・ショルツ インタビュー 後編 浦和レッズのアレクサンダー・ショルツは、なぜ安定したプレーができるのか。インタビュー後編ではその秘訣を人に直撃した。また来日してJリーグ3シーズン目。日サッカーについて感じるところも語ってもらった。 前編「ショルツが日でのプレーを選んだ理由」>> 中編「読書好きなショルツが語る日文化」>> アレクサンダー・ショルツが自身のプレーで心掛けていることについて語ったこの記事に関連する写真を見る 【自身の最大の武器は安定したメンタル】 インタビューの当日、浦和レッズの練習を終えて取材場所に現れたアレクサンダー・ショルツに、「今日のトレーニングはどうでしたか?」と訊

    浦和のアレクサンダー・ショルツが感じている日本サッカーの課題 気になるゴール前の選択
  • Jリーグ歴代FWトップ10を鄭大世が選出 「化け物に近い身体能力」「初めて吹っ飛ばされた」というストライカーたち

    Jリーグで通算100ゴール以上を挙げ、ドイツ韓国でも活躍。昨年現役を引退した鄭大世さんにインタビュー。同じFWのポジションですごいと思った歴代のJリーガーを、トップ10形式で挙げてもらった。 ◆ ◆ ◆ 鄭大世さんがJリーグ歴代のすごいと思ったFWたちを選んだこの記事に関連する写真を見る 【シュートが一番うまい】10位 矢島卓郎(元清水エスパルス、川崎フロンターレほか) 僕は矢島卓郎がケガをしていなかったら、絶対に日本代表になっていたと思うんです。消えた天才じゃないですけど、それくらい才能に恵まれたFWでした。ただ、彼はシーズンの6、7割はケガをしているんですよね。それでも30歳を超えるまで現役を続けられたので、それだけポテンシャルがすごかったということです。 身体能力が抜群に高くて、体重が80kgを超えているのにスピードもものすごくある。化け物に近いなと思うくらい日人離れしていました

    Jリーグ歴代FWトップ10を鄭大世が選出 「化け物に近い身体能力」「初めて吹っ飛ばされた」というストライカーたち
  • Jリーグでスゴイと思ったDFトップ10を鄭大世が振り返る「ノーガードで殴り合ってくれた」「完璧な体勢で競り負けた」猛者たち

    webスポルティーバサッカーの記事一覧Jリーグ他JリーグJリーグでスゴイと思ったDFトップ10を鄭大世が振り返る「ノーガードで殴り合ってくれた」「完璧な体勢で競り負けた」猛者たち Jリーグ、ドイツ韓国で活躍したFW、鄭大世さんインタビューの後編。ここでは、自身が対戦したり、これまで見てきたなかで、「これはすごい!」と感じたJリーグの歴代DFをトップ10形式で紹介する。 ◆ ◆ ◆ 鄭大世さん(右)が中澤佑二(左)さんほか、Jリーグ歴代DFのすごさを語ったこの記事に関連する写真を見る 【人間的に敵わない】10位 ガルサ(元名古屋グランパスほか) これは"思い出枠"になってしまうんですけど、僕がJリーグを好きになったのが1994年頃で、Jリーグカードをオタクみたいに集めていたんです。地元の名古屋グランパスの試合を見に行っていて、そこで活躍していたガルサが好きだったんですよ。 その頃はまだサッ

    Jリーグでスゴイと思ったDFトップ10を鄭大世が振り返る「ノーガードで殴り合ってくれた」「完璧な体勢で競り負けた」猛者たち
  • 柏木陽介が浦和を去ることになった「1年前のルール破り」を語る。まさか本当に必要とされなくなるとは...

    webスポルティーバサッカーの記事一覧Jリーグ他Jリーグ柏木陽介が浦和を去ることになった「1年前のルール破り」を語る。まさか当に必要とされなくなるとは... 柏木陽介(FC岐阜)インタビュー@前編 まさか、ここまで大事になるとは思っていなかった。 外出禁止の掟(おきて)を破ったことはよくないことだと理解しているし、チームに迷惑をかけたことも十分に反省している。 ではなぜ、柏木陽介は厳しく定められたルールを破ってしまったのか。 FC岐阜で2年目のシーズンを迎える柏木陽介この記事に関連する写真を見る 2021年2月4日の夕刻、柏木はチームメイトの杉健勇を連れ立って、キャンプ先の沖縄で懇意の飲店を訪れた。 「お世話になっているお店がコロナ禍で苦しんでいるのを知っていました。すごく困っているということだったので、ちょっとだけ顔を出してあげようと思い、お店を貸し切りにして行くことにしました」

    柏木陽介が浦和を去ることになった「1年前のルール破り」を語る。まさか本当に必要とされなくなるとは...
  • イニエスタが語る、ニッポンへの愛。いつかは日本代表監督「イニエスタ・ジャパン」を夢見て

    Jリーグ開幕2022特集 FCバルセロナを9度のラ・リーガ優勝、4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝、FIFAワールドカップ制覇など35のタイトル獲得に導き、スペイン代表としては自らのゴールで2010年ワールドカップ優勝を飾ったアンドレス・イニエスタ。 だが、スーパースターにも"その日"は確実に近づいていた。 ※『イニエスタ・ジャパン! 日に学んだ 人生で大切なこと』(ぴあ刊)から アンドレス・イニエスタが愛する日について語ったこの記事に関連する写真を見る「私自身、パフォーマンスを落としているという感覚はありませんでした。体力や技術はもちろん、熱意も、努力も、何ひとつ衰えてはいませんでした。 私はバルサのためにサッカー選手として、人間として、常に最善を尽くさなければならず、全力でそうしてきました。しかし、私には近いうちにそれができなくなるであろうことがわかっていました。 ベストを尽く

    イニエスタが語る、ニッポンへの愛。いつかは日本代表監督「イニエスタ・ジャパン」を夢見て
  • ユンカーが欧州ではなく日本の浦和レッズにきた理由「僕にとってパーフェクトな機会でした」

    Why JAPAN? 私が日でプレーする理由 浦和レッズ キャスパー・ユンカー インタビュー 前編 Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日でのプレーを選んだのか。日でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回は今季途中から浦和レッズに加入し活躍している、キャスパー・ユンカーに話を聞いた。 ◆ ◆ ◆ 来日して半年になるユンカー。日でのプレー、生活について語ったこの記事に関連する写真を見る 今春、Jリーグのシーズンが3分の1ほど過ぎた頃、浦和レッズに北欧から新戦力がやってきた。デンマークの世代別代表経験を持つストライカー、キャスパー・ユンカーだ。 スタイリッシュなルックスの27歳はデビュー戦でいきなり得点すると、そこからリーグ4試合でネットを揺らし(計5得点)、5月のリーグ月間MVPに選出された。 さらに6月の湘南

    ユンカーが欧州ではなく日本の浦和レッズにきた理由「僕にとってパーフェクトな機会でした」
  • 高校、大学までは無名だったのに...。プロになって大成した選手ベスト5

    「大物」と騒がれながら、消えていったJリーガーがたくさんいる一方で、プロ入りするまで無名だった選手が大成する例も少なくない。今回は、そういった選手の代表格は誰なのか、識者にアンケートを実施してみた。結果は以下のとおりとなった――。 ◆今季Jリーグで移籍が「吉」出た選手たち>> photo by AFLO第4位:福西崇史 text by Sugiyama Shigeki 1995年、高卒でジュビロ磐田に入団した福西崇史は、翌シーズンにはもうスタメンに定着していた。藤田俊哉、名波浩、中山雅史、ドゥンガ、ファネンブルグ等、そうそうたるメンバーが並ぶそのなかで、異彩を放つ存在だった。 その時、20歳。年代別カテゴリーの日本代表に選出された経歴があったわけではない。 出身高校は新居浜工業高。愛媛県の高校といえば、その頃、南宇和が全国的に知られていて、1989年度の全国高校サッカー選手権で優勝を遂げて

    高校、大学までは無名だったのに...。プロになって大成した選手ベスト5
  • セルティックの先輩・中村俊輔が古橋亨梧に助言。「もっとプレーしやすくなる」と考えた理由とは?

    中村俊輔(横浜FC)インタビュー@前編 今夏、スコットランドの名門セルティックに移籍したFW古橋亨梧の評価がうなぎ登りだ。 拠地デビュー戦となった8月8日のダンディー戦でハットトリックを記録すると、15日にはリーグカップのハーツ戦で1得点を含め全3ゴールに絡む活躍。18日のヨーロッパリーグのプレーオフラウンド、AZ戦では先制点を決めた。移籍後の公式戦6試合で6ゴールと、これ以上ない好スタートを切った。 名門セルティックで大ブレイク中の古橋亨梧この記事に関連する写真を見る「何かあるたび、向こうのメディアは俺と比べると思う。だから、『楽しんで』って伝えた。でも、もうラーションと比較されているからね(笑)」 そう話したのは2000年代後半、グラスゴーで"伝説"となった中村俊輔(横浜FC)だ。 古橋はJリーグの試合で顔を合わせるたびに中村の下へ挨拶に来ていて、セルティック移籍が決まった直後、ヴィ

    セルティックの先輩・中村俊輔が古橋亨梧に助言。「もっとプレーしやすくなる」と考えた理由とは?
  • やっちまったな、新国立競技場。五輪後改修せずで、負の遺産化懸念

    いよいよ完成が間近に迫ってきた新国立競技場だが、五輪終了後の「後利用」問題を巡っては迷走状態が続いているようだ。2017年には「五輪終了後は球技専用に改修する」と決まっていたのだが、先日、一転して「陸上トラックを残すことになった」と報じられたのだ。 公開された、完成間近の新国立競技場の内部 しかも、その最大の理由は「陸上競技振興のため」とかでなく、「改修費がかかりすぎるから」というのだ。まったく理念のかけらも感じられない論議が続いている。 1500億円超という巨費を投じて建設される新国立競技場。完成後は維持費だけでも毎年20億円以上がかかると言われている。 シンプルな構造の旧国立競技場に比べて、構造が複雑な巨大スタジアムは維持費も跳ね上がるのだ。従って、採算が取れる見通しもまったく立っていないのが現状だ(もちろん、あの「ザハ・ハディド案」に比べれば建築費も維持費もかなり縮小されてはいるのだ

    やっちまったな、新国立競技場。五輪後改修せずで、負の遺産化懸念
  • ザッケローニ「心から日本を誇りに思う。アジア杯での対戦が楽しみだ」

    今、私は故郷のチェゼナティコにいる。ここには息子と共同経営するビーチやレストランがあって、夜には友人たちと試合を観戦したりしている。しかしW杯の決勝を待たず、この週末にはUAEに飛ぶ予定だ。現在の私の代表チームがそこにあるからだ。 来年の1月には、アジアカップがこの私のホームで開催されるが、そこでひと回りもふた回りも大きくなった日と相まみえることを楽しみにしている。 ロシアW杯。何よりもまず、私がかつて彼らの監督であったことを、心から誇りに思う。今回の日本代表の多くは、かつて私とともに戦ってくれた選手たちだ。強敵たちと大舞台で堂々と渡り合う彼らの姿は、私の胸を熱くしてくれた。 期待を上回る活躍を見せた原口元気 photo by Fujita Masato グループリーグは、コロンビアには勝利したものの、セネガルには引き分け、ポーランドには負けるという右肩下がりの結果で、フェアプレーポイン

    ザッケローニ「心から日本を誇りに思う。アジア杯での対戦が楽しみだ」
  • J1からJ2、J3、JFLまで渡り歩いた市川大祐が語る「引退秘話」

    望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko 2016年引退特集(2) 「自らを失わなかったスター」市川大祐(前編) 「17歳322日」という日本代表出場最年少記録を持つ市川大祐が、JFLのヴァンラーレ八戸でプレーした2016年シーズンを最後に、現役生活に幕を下ろした。清水エスパルスユース所属だった1998年、突然の日本代表入りで日中を驚かせてから、19年。引退への経緯、そして今後について語った――。 今季限りで現役を引退した市川大祐――これまで、当にお疲れさまでした。早速ですが、現役生活にピリオドを打った経緯を聞かせてください。 「引退を決めたのは、(今季の)リーグ戦を5試合ほど残していた10月です。長い間、右ヒザに故障を抱えていたのですが、6月くらいから徐々に、その箇所に痛みやズレのような、強い違和

    J1からJ2、J3、JFLまで渡り歩いた市川大祐が語る「引退秘話」
  • クロマティからの金言。「日本野球よ、もっと個性を。もっとフルスイングを」

    「ニッポンの野球は、あの頃のほうが今よりもレベルは高かったよ」 そう語るのは、かつて巨人で活躍したウォーレン・クロマティだ。そのクロマティの言う"あの頃"とは、彼が巨人でプレーした84年から90年の頃を指し、日のプロ野球の全盛期だと言い切った。 84年から日で7年間プレーし、NPB通算171塁打を放ったクロマティ 日のプロ野球は、野茂英雄がメジャーで旋風を巻き起こした95年以降、毎年のようにメジャーリーガーを輩出している。06年に始まったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも「国内組」中心の編成ながら2度の優勝を誇るなど、世界でも屈指のレベルにある。それでもクロマティは"あの頃"が最高だったと言う。 たしかに当時は、毎日のようにテレビでプロ野球中継が放送されていたし、巷の話題も野球が中心だった。 そんな当時のプロ野球を牽引していたのが巨人だった。拠地・後楽園球場の周りは

    クロマティからの金言。「日本野球よ、もっと個性を。もっとフルスイングを」
  • ナポリを完封。長友佑都のユニフォームがインテルで一番売れる理由

    マッテオ・ブレーガ●文 text by Matteo Brega 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko ナポリ戦にフル出場、勝利に貢献した長友佑都(photo by Getty Images) セリエA第33節。2位ナポリをホームに迎えた4位のインテルは2-0で勝利を収めた。長友佑都は先発フル出場を果たしている。 「おめでとうチャンピオン! 我々のもとに残ってくれてすごくうれしいよ! さあ、これから今シーズンをいい形で終えて、来シーズンはみんなで勝利しよう!」 長友佑都の契約更新の知らせを聞いて、チームメイトのガリー・メデルとファン・ヘススは真っ先にこんなメッセージを送った。 4月8日に発表されたインテルとの契約更新は3年。長友が32歳になる2019年6月までとなる。長友側もインテル側も望んだ円満更新だった。今年の1月にキャプテンだったアンドレア・

    ナポリを完封。長友佑都のユニフォームがインテルで一番売れる理由
  • またも1979年生まれJリーガーが引退。黄金世代は今?

    ひと駅コラム「それ、気になってました」 (7) 1月19日、セレッソ大阪の新井場徹が、現役引退を発表した。1998年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格し、1年目から30試合に出場。1979年生まれ(1980年3月までを含む)のいわゆる「黄金世代」のひとりとして、その後もチームの主軸としてJリーグで活躍した。 1979年7月12日生まれの新井場は、現在35歳。日サッカーを牽引してきたゴールデンエイジたちも、いまや現役選手は数少なくなっている。今、彼ら黄金世代はどうしているのか――。1999年のワールドユースで準優勝したメンバーや、五輪やA代表に選ばれた選手を中心に近況を調べてみた。 【1979年生まれ】 中村直志(1月27日/MF) → 2014年、現役引退。名古屋フロント入り予定。 永井雄一郎(2月14日/FW) → 2014年、関西1部アルテリーヴォ和歌山を契約満了で退団。 高田

    またも1979年生まれJリーガーが引退。黄金世代は今?
  • 増えたJリーガー。トライアウトの意味にも変化が

    小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki兼子愼一郎●写真 photo by Kaneko Shinichiro 12月3日、「2014JPFAトライアウト」の第一回がフクダ電子アリーナ(千葉県)で開催された。 2002年から始まったこのトライアウトは、選手が契約を目指してアピールする場である。戦力外通告を受けた選手の「敗者復活戦」のようにも位置づけられる。一部の選手はそうした扱いをプライドが許さず、過去には名のある選手が辞退するケースも少なくなかった。ファンは会場には入れず、関係者だけなのも選手の心中を思いやってのことだろう。 しかし戦いを続けようとすることは何ら恥じることではない。サッカー選手は査定の不可解さで、契約満了の状況に追い込まれる場合もある。例えば今回も、シーズン2000分間出場しながら、契約満了になっている選手も少なくなかった。他にもポジションの重複や年

    増えたJリーガー。トライアウトの意味にも変化が
  • 経済効果はマイナス。W杯がブラジルにもたらしたもの

    サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki 【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】変貌する巨大スポーツイベント(前編) 「無用の長物」になることがわかっているものを、人々が造っている場に出合うことはあまりない。でも僕が2年前にブラジリアで見たのは、そんな光景だった。このブラジルの首都の中心部で、7万人を収容するスタジアムの建設作業が進んでいた。 エスタジオ・ナシオナルは、今年のワールドカップで使われた12ヵ所のスタジアムのひとつ。大会が終わる前から、やがてこのスタジアムを持て余す事態になることは明らかだった。 W杯では3位決定戦などが行なわれたエスタジオ・ナシオナルphoto by Getty Images ブラジリアに拠を持つフットボールクラブの試合には、観客が1000人も集まらない

    経済効果はマイナス。W杯がブラジルにもたらしたもの
  • 小野伸二、35歳。「札幌でサッカーがまた楽しくなった」

    1998年、弱冠18歳で日本代表に選出されフランスW杯に出場した小野伸二。以来、2002年、2006年と3大会連続でW杯のピッチに立った。所属先も、Jリーグの浦和レッズを皮切りに、オランダのフェイエノールト、ドイツのボーフム、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCなど、世界各国のクラブに在籍。国内外で活躍してきた。そして、来る9月27日に「35歳」となる"天才"は今、J2のコンサドーレ札幌で新たな挑戦を始めている――。 J2の札幌でプレイする小野伸二。 2014年7月、札幌での初陣を飾った小野。それから2カ月が経過したが、その間、チームは4連敗を喫するなどして、財前恵一監督は解任。後任には元愛媛FC監督のイヴィッツァ・バルバリッチ監督(クロアチア)が就いた。チームが大きく揺れ動く中、小野も8月の京都サンガ戦で左太もも裏を負傷。現在はリハビリに励んでいる。 「(リハビリが)思

    小野伸二、35歳。「札幌でサッカーがまた楽しくなった」
  • レッズが優勝を目指すなら、解くべき「命題」がある

    名波浩の視点 ブラジルW杯開催による中断前の第14節終了時点で首位に立った浦和レッズ。再開後も2連勝を飾ってタイトル奪取へ突き進むかと思われたが、第17節(7月27日/1-1鹿島アントラーズ)、第18節(8月2日/2-2ヴィッセル神戸)と引き分けて、勝ち点(37)、得失点差(+13)ともに並ばれたサガン鳥栖に、得点数で上回られて首位の座を譲った(サガン=26得点、レッズ=25得点)。 迎えた第19節(8月9日)、レッズは3位の川崎フロンターレと対戦した。ここは是が非でも勝って、再びトップに返り咲き、勝ち点4差のフロンターレとの差をさらに広げたかったところだが、1-2で逆転負け。順位は2位のままで(※)、フロンターレとは勝ち点1差となった。 ※第19節、首位のサガン鳥栖はサンフレッチェ広島とのアウェー戦が予定されていたが、台風の影響で中止。8月11日に代替開催されることになった。 優勝するた

    レッズが優勝を目指すなら、解くべき「命題」がある
  • 出場機会0。ブラジルでの現実を受け止めた齋藤学

    連載・世界に挑む男たち~齋藤学(1) ブラジル、ナタウ。10人になったギリシャとの試合に引き分け、決勝トーナメント進出に黄信号が灯った日陣営には、沈なムードが流れていた。 「高さのないチームで放り込むくらいなら、ドリブラーの斎藤学を入れて勝負しろよ......」 記者たちが憤慨する声が聞こえた。「たら、れば」はプロスポーツにおいて意味がないが、最後までカードを切らなかった指揮官に批判が集中したのは、当然のことだった。 齋藤学はその現実を粛々と受け止めていた。 ブラジルW杯日本代表の合宿地、イトゥでの齋藤学「今日まで割と調子が良かったし、(交代出場が)あるかなと思っていたんですけどね。(田)圭佑君や(香川)真司君が、ペナルティエリアの角でボールを持つとチャンスになっていたんで。僕も、中に入ってワンツーとかで崩せたらな、なんてイメージは膨らませていました」 レシフェでのコートジボワール戦

    出場機会0。ブラジルでの現実を受け止めた齋藤学