1/100 スクロールで次の写真へ 岩手県宮古市の堤防を乗り越えた大津波(宮古市役所提供)(2011年03月11日) 【時事通信社】
文豪、夏目漱石(1867〜1916年)が1910年(明治43年)に伊豆・修善寺で吐血し、危篤となった際、妻の鏡子(1877〜1963年)が東京の留守宅を預かっていた書生に送った手紙3通が見つかった。 鏡子の手紙はロンドン留学中の漱石に宛てた1通しか知られておらず、「悪妻」と言われてきた鏡子が、ざっくばらんな人柄であることを示す貴重な資料だ。 見つかったのは、1910年8月20日と吐血当日の24日、そして病状が落ち着いた9月3日に書かれた3通。修善寺の旅館から送られたもので、毛筆で巻紙などに書かれている。タンスにある銀行の通帳の場所を教え用事を指示したりしているほか、9月の手紙では漱石の病状が落ち着いたものの「なかなかゆだんが出来ませんから心配です」などと心情をつづっている。 昨夏、古書市に出品されたものを奈良県の愛好家が購入し、日本近代文学館(東京都目黒区)に寄贈した。 同館年誌に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く