タグ

2006年4月11日のブックマーク (4件)

  • Web2.0が描かないもの

    私はこれまで2003年頃より自分が実感し始めたムーブメント(というか地殻変動のような何か)に名前がほしかったので、否定においても、肯定においても、Web2.0は便利な言葉として使ってきた。 それが何かについて厳密に定義したことはないし、ティム・オライリーの定義に追従しているわけでもない。起きている「事変」の象徴として、RSS/ATOMフィードがあり、アグリゲーターや数々のCGMの台頭などが挙げられ、それらとそれら以外の見落としている何かが、かつてと違うものへとウェブを歩ませようとしていると考えている。 その名称が、「Pushメディア」なのか、はたまた「Syndicate」、あるいは「Participate」、そして「Web2.0」であってもなんでも構わない。 しかし、よく耳にするWeb2.0という言葉は、時にはもっとテクノロジーに偏重したものに近い場合が多い。あるいはアマゾンとグーグルのよ

  • お宝ワッショイ

    お宝ワッショイ 0.3b 興味のあるキーワードをいれてくれ。単純なのが好きだ。難しいことはわかない。(BGMも聞いてくれ) まずは「iPod」あたりくらいがちょうどいかもな。固有名詞が好きだ。キーワードによってはでてこない。 お宝はクリックできる。新規ウインドウで開くようになっている。 (ポップアップの許可を求められる場合があるが、ポップアップではなく新規ウインドウなだけであるので安心してくれ) 大きく表示 出てくるお宝は、また土に帰るのだ。そして、また生まれる。 (06/04/10更新) http://www.persistent.org/

  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック

    から復帰した友達と飯を喰ったとき、やたら深淵な話題になった。私はになったり自殺を考えたりすることのない人間で、いまひとつ自分から死のうという友達の心情について理解ができない。だが、友達曰く「毎日のようにどうやったら楽に死ねるかを考えた」。そういうもんなんだろうか。 死に直面したことはある。というか、頭に変な石が入ってる以上、少なくともほかの人よりは死に至るリスクは多く存在している。いかに身奇麗に生きるかを考えることはあっても、自分が主体的に死を選ぶ必要を私は感じない、だから自殺衝動はない。 だが、多少なりとも分かる話があった。彼は「自分が世間から要らない存在にしか思えなくなった」と言う。その人が要るか要らないか。世の中に必要のない存在はありえるのか、という話だ。人は生きる時間に限りがあり、付き合うべき人、雇うべき人を意識的に選ぶ。選ばれなかった自分が酷くちいさく醜い存在だとへこんだ

  • 分裂勘違い君劇場 - 西暦2026年の日本

    西暦2026年。 PC上のテレビ会議の品質は、直接会って話をするのとさほど変わらないほどに向上した。回線容量やモニタサイズ&解像度の劇的な増大の必然的帰結だ。相手の表情や息づかいのわずかな変化すら感じ取れるほどだ。マイクやWebカメラの性能向上も寄与しているだろう。 これにより、取引先の会社を訪問する回数が激減した。出張の回数も激減した。在宅勤務が激増し、そもそも会社のオフィスに通勤すること自体が大幅に減った。会社によっては、出社は、ほとんど儀礼的な意味しか持たなくなった。オフィスを次々に縮小したり、閉鎖する会社があいつぎ、オフィス自体を持たない会社すら登場した。 そして、この膨大な回線容量を通じて、海の向こうから、安価で品質のよいサービスが津波のように押し寄せた。インドやフィリピンをはじめとする、発展途上国の膨大な人口は、ついに貧困から抜け出す突破口を見つけたのだ。それは、ネット経由の知

    分裂勘違い君劇場 - 西暦2026年の日本