黒瀬陽平 @kaichoo この一年を全否定された気分だ。芸大の先端科には何も期待しないことに決めた。後悔するがいい。 しかし、問題は落とされた才能ある子たちのこれからだ。 2010-03-13 14:11:09 黒瀬陽平 @kaichoo つーかさ、「そんなに活動してるんだったら大学来なくていいんじゃない?」ていうセリフはラブコールとして使うもんだろ。本当に落としてどうすんだよ。あぐらかいてんじゃねーよ。何のために先端科とか作ったんだよ。まじで。 2010-03-13 14:51:38
![黒瀬陽平「芸大不合格者展」について](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7ecad227ecdf653274fdc4fafbe7785069932822/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fb8d1cfe81132df7c114a7951f8dfb1b3-1200x630.png)
芸術家には二種類いる。自分の表現に疑問を持たない者と、自分の表現に疑問を持つ者、である。前者はピカソタイプ。 後者はデュシャンタイプ。 である。疑問を持つタイプは、ときに自分の表現のメカニズムについて考える。マシンエイジ以前は、そういうタイプがいたとしても、それを言語化、図式化するための数学、映像ツール、設計方が発達していなかったので、圧倒的に絵画を描くのがうまい、という、一種のフリークス的才野に、飲み込まれてしまった。しかしマシンエイジ以後の写真からCGにつながる、人間の表現の盗賊的テクノロジーは、見事にフリークスたちのお株を奪い、機械で表現できない表現、という、泥臭い世界に芸術家を追いやった。この状況、表現に疑問をもつタイプの芸術家には好都合。なんとなれば、キュビズムのように、まったく絵なんて描けない絵描きに、ウンチクという絵の具を与えたし、ときには疑問を検証する、実験機器を与えた
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