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ブックマーク / elm200.hatenadiary.org (5)

  • 「日本というシステム」は持続可能なのか? - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    自分の人生を振り返ると、実に馬鹿だったな、と苦笑せざるを得ない。私は1994年に東大経済学部を卒業して、ある都市銀行に入行し、都心の支店に配属された。私が理論肌の人間だということは銀行も知っていただろうから、おそらく、数年現場仕事をさせた後、店に呼び戻して調査研究畑を歩ませるつもりだったのだろう。たぶん、当時の学生たちがうらやむようなエリートコースに乗っていたはずだ。 東大を卒業することの最大の利点は、日で最良の大企業に入る権利を手に入れられることだ。その「東大カード」を切って、私は日を代表する大企業の一つに入った。そこまでは、東大卒の利点を生かす「賢い生き方」をしていた、といえる。 だが、当時の私は不満タラタラだった。就職活動の初めから、何かに強烈な違和感を覚えていた。バブルの余韻が残る当時、東大生にとって就職活動はごく簡単だった。私はあっという間に内定を決めた。その後の秋の「内定

    「日本というシステム」は持続可能なのか? - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 柔軟な心を持ち、謙虚に学び続けること - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    数日前、Twitter で「頭で稼ぐ時代に、汗をかくことは意味がない」と書いたところ「肉体労働者たちの仕事も社会には必要だ」という意見をいただいた。そもそも、私はホワイトカラーの仕事について述べていたのであって、肉体労働者のことは念頭においていなかった。やや面らったのだが、その後あれこれ考えてみて、思ったことを記してみる。 私は来月で40歳になる。平均寿命が80歳という時代なので、ちょうど人生の折り返し地点か。「もう半分しかないか?あと半分もあるか?」と聞かれれば「あと半分もある」という気がする。もちろん80歳まで生きられる保障はどこにもないけどね。 私が大学を出たのが23歳のとき。それから17年間いろんな仕事をしてきた。転職回数はたぶん10回以上。(たぶん、というのはもう多すぎて正確にカウントできないという意味)仕事は大体 IT 関係が多いのだが、実は肉体労働の仕事もずいぶんやった。群

    柔軟な心を持ち、謙虚に学び続けること - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 「子育てで残業できない女性はプロになれない」のか? - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    サイゴンで日人駐在員の方と話をする機会があった。彼は40代後半、日人なら誰でも知っている一流企業勤務の幹部社員である。海外勤務が長く英語も堪能で「社畜」と呼ぶにはあまりに紳士的ではあるのだが、次のようなことをさらっと語った。 プロの条件は、2つある。有能である(able)ことと、いつでもつかまる(available)こと。夜9時・10時でも客から掛かってきた電話には応対しなければならない。さもなければ新しい仕事を逃す。子育てのために残業が出来ないという女性は、プロになれない。 注意していないと聞き逃してしまうほど、自然な語り口であった。それは彼にとって至極当然な信念なのだろう。そして、彼が長年所属する組織の信念でもあるのだろう。 私は、多少大人気ないと思いながらも、日的な優雅さでこの話題を流さず、あえて抗議してみた。「そのように長時間労働を当然の前提にするのは当に正しいのか?もっと

    「子育てで残業できない女性はプロになれない」のか? - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 日本人を苦しめる「仕事は家族より優先」という異常な発想 - Rails で行こう!

    以前書いたエントリに非常に興味深いコメントを頂いた。 「組織に酔う」日人 - Rails で行こう! 私は20年東京の中小企業に勤め、その後アメリカの中小企業に転職して今年で10年目になるプログラマですが、私の経験から言うと、家族と仕事のどちらに重点が置かれるかが、アメリカと日のサラリーマンの最大の違いだと思います。 ここアメリカでは、家族と一緒の時間を最も大切にして、会社はあくまでも収入を得る手段であり、そこで1日のうちの8時間以上を過ごすのは愚かである(自分や家族の人生を大切にしないと言う点で)と考えます。社長以下、すべての上司も同じように考えているので、滅私奉公などという発想はありえません。そういう発想の人は多かれ少なかれ家族に問題が発生し、その結果生産性が下がり、いずれレイオフされるでしょう。 仕事は家族の次に大事なものです。何といっても1日の三分の一を過ごすわけですから、その

    日本人を苦しめる「仕事は家族より優先」という異常な発想 - Rails で行こう!
  • 日本的経営が社畜を生んだ理由 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    社畜とは、会社に強い忠誠心を持ち、私生活を犠牲にして、会社での労働を第一に置くような価値観をもつ従業員を揶揄する言葉だ。「社畜論」については、日では定職を持たず、その後、オーストラリアで修士号を得て、いまはシンガポールで会社勤めをする海外ニートさんのブログが面白い。(アクセスすると音が出るので気をつけてね) 先日、私は、「異なる文化をもつ人たちと働くということ」、「残業は恥だ」という日の労働環境を批判するエントリを続けて書いた。私はかつてカナダのローカル企業で2年半くらい働いたし、その後も、韓国中国・ベトナムなどに住んで、現地の人たちの働きぶりを観察する機会を持った。 とにかく、日の職場の雰囲気や考え方は、海外の職場とは著しく異なる。しかも、北米(カナダ・アメリカ)の職場と日以外のアジア(韓国中国・インド・ベトナム)の職場の雰囲気は当然異なるものの、それでも日のそれに比べると

    日本的経営が社畜を生んだ理由 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
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