ブックマーク / www.whitepapers.blog (6)

  • 正月に、飲んで包丁を研ぐ - ことばを食する

    面白い小説は、例外なく脇役が魅力的です。悪者であれ善人であれ、主役を生かすのは脇役ですから、彼らがくっきり描かれているほど、その対比で主役が際立ちます。 題名を忘れてしまったのですが、北方謙三さんの時代小説にちょい役で出てくる研師がいます。 偏屈な老人で、気が向かない仕事は一切受けない貧乏暮らし。しかし、研師としての感性がざわめく刀に出会うと、人が変わります。 三日三晩、い物は塩握りと水だけで刀を研ぎ続けます。何人もの血を吸った刃の曇りを、ひたすら研ぐことで清めようとするのです。これ以上人を斬って曇るな、と。 ところが、刃先を清め、鋭利な輝きを与えるほど、そこに新しい血を求める妖しい気配が宿ってしまう。... あけましておめでとうございます。 正月2日、夕方から台所で立ち飲みしながら、包丁を研ぎました。酔っ払っても集中力を求められる微妙な作業ですが、集中力の方が勝っていて、しかしちびちび

    正月に、飲んで包丁を研ぐ - ことばを食する
  • 作り手たちのカオスな日常 〜「最後の秘境 東京藝大」二宮敦人 - ことばを食する

    おそらく10分に1回くらいは、にんまり頷いていました。30分に1回くらいは、笑い声をあげていたかもしれません。 たまたま、知人と時間待ちをしていたとき。文庫を開くわたしの不審な笑いを、知人に聞きとがめられました。 「どうしたんだ?」 いや、それがさあ..と、面白い部分の概略を話し、わたしは「ここ、ここ」とオチの数行を指し示しました。文庫を受け取った知人。1、2分ほどページと睨めっこして、一言。 「面白さが分からない」 がくっ。でも、何に面白さを感じるかは人それぞれですからね。 「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」(二宮敦人、新潮文庫)は、特にその傾向が強い1冊なのかも...と思ったのでした。人がを選ぶように、の方も人を選ぶ。 そしてこのに選ばれたことの幸不幸と、社会人としての幸不幸は、まったく連動しません。 4年間にわたって東京芸大のさまざまな学生たちに話を聴き、彼ら

    作り手たちのカオスな日常 〜「最後の秘境 東京藝大」二宮敦人 - ことばを食する
    takashi19861223
    takashi19861223 2022/12/11
    「倅を絵描きにするな」という言葉はありますが、「倅をピアニストにするな」という言葉は聞きません。絵画と音楽に階級の違いはあるのでしょうか。ともかく、この本を読んで勉強しますね。
  • ふと目にした北鎌倉、祈りの光景 - ことばを食する

    雨の鎌倉を訪ねたのは1年前でした。 名古屋、東京にそれぞれ用事があって高速バス、新幹線を使って回りました。用事といっても仕事ではなかったので、余裕を持った3泊4日。2泊した東京では美術館巡りを1日、もう1日は小雨の中、30数年ぶりに鎌倉へ。 北鎌倉で電車を降り、お寺を参拝しながら鶴岡八幡宮を通るルートで鎌倉駅まで歩きました。のんびり、気が向いたらスマホで写真など撮りながら。 かなりの人は同じだと思いますが、撮影した写真はGoogleフォトで整理しています。このアプリ、親切と言うか、おせっかいと評すべきか、スマホを開くと「1年前の思い出を振り返りましょう❤️」みたいな感じで、昔の写真を引っ張り出してきては私に提案します。 「もう1年かあー」と遠い目になったりして、まあ、それなりに楽しんではいるのですが。 さてGoogleフォトくん、北鎌倉のとあるお寺で撮ったこんな写真を思い出させてくれました

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  • ひと鉢のバラとことしの秋 - ことばを食する

    「今年の秋に剪定したものを頂戴!」 Kがわたしの投稿にコメントしたのは、昨年の初夏のころでした。Kもわたしもけっこう昔からのフェイスブックユーザーで旧友。前年の秋に剪定したツルバラの枝を、挿木して育てた我が家の写真を見て、Kが書き込んだのでした。 わたしは切った不要な枝からいのちが伸びる姿がうれしく、「芽が出ました」「大きな鉢に植え替えた」と、いちいちスマホで撮影してフェイスブックに投稿していた時期でした。 次の剪定時期に切った枝を挿木するから1年(2022年まで)お待ちを....と、Kのコメントに返信しました。 Kは小中学校の同級生。高校は別々になっても、しばしばうちに遊びにきて語り合う仲でした。当時のわたしは「飯よりが好き」だったのに対し、Kはフォークギターをかき鳴らすシンガー気取りの高校生。 テレビやコンサートで井上陽水、吉田拓郎らが若者の音楽シーンを席巻していた時代で、Kのお気に

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  • 一語多義の豊かさについて愚考する 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その9(番外編) - ことばを食する

    書庫であり、書斎であり、アトリエでもあり、見方を変えれば整理不可能なあきれた物置、そして夜毎独り呑みの空間である6畳の部屋。そこにある机上、および手が届く範囲には常時4、50冊のが積まれているか並んでいます。未読のいわゆる<積読>がある一方、何らかの理由で昔のを書架の奥から探し出し、ものぐさで元に戻さないままになっているのも結構あります。 そんな<出戻り>が手元に積み重なる原因の一つは、今読んでいる作品から連想が弾けて、「確か...」と以前に読んだけれど記憶が曖昧なを再び開きたくなるためです。 この1年半、途切れ途切れに「源氏物語」を読み進めながら、源氏について書かれた<出戻り>や新しい関連が、手の届く範囲で一角を占めるまでになりました。 面白いのは<出戻り>でありながら、拾い読みして刺さる一節に遭遇すると(かつて読んだはずなのに全く記憶に残っていない)、そもそもの発端であ

    一語多義の豊かさについて愚考する 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その9(番外編) - ことばを食する
  • 質素な中の 限りない豊かさ 〜「土を喰う日々」水上勉 - ことばを食する

    よく行く書店に映画テレビドラマの原作になった、あるいは近々公開予定の映画の原作を集めたコーナーがあります。眺めて「なるほど」とか「へえー、これを映像化?」とか。もちろん「どんな小説なんだろう」と、想像が広がる未読作が圧倒的に多いのも楽しい。 先日、そこで目にしたのが「土を喰う日々ーわが精進十二ヵ月」(水上勉、新潮文庫)でした。2022年秋に「土を喰らう十二ヵ月」として劇場公開予定。ちょっと意表をつかれました。そして、わたしは未読の水上作品。 2004年に死去した直木賞作家、水上勉を知る人は今どれほどいるのか。例えば村上春樹さん原作でアカデミー賞に輝いた「ドライブ・マイ・カー」に比べれば、原作者の知名度で劇場に人を呼ぶことは難しいでしょう。 それでもお金を費やして映画化するからには、原作に対するプロデューサーか監督か、あるいは他のだれかの強い思い入れがあるからです。それほどの思いを抱かせる

    質素な中の 限りない豊かさ 〜「土を喰う日々」水上勉 - ことばを食する
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