手段を選ばないイギリス、ゲリラ化するボーア 20世紀前半に南アフリカの地で起こったボーア戦争のまとめ、最終回です。 ボーア国家であるトランスヴァール共和国とオレンジ自由国の地下資源の独占を狙うイギリスは、両国に武力を含む露骨な干渉を続け、とうとう1899年10月に第二次ボーア戦争が勃発。 初戦は地の利のあるボーア側が戦いを有利に進めますが、次第に物量に勝るイギリス軍がボーア側を圧倒していくことになります。前回の記事はこちらをご覧ください。 追い詰められたボーアはゲリラとなり、戦争は泥沼化していくのです。 8. イギリス軍の立て直し キンバリー包囲解除 年が明けて1900年になったものの、依然としてレディースミス、キンバリー、マフェキングはボーア軍によって包囲されていました。 また、英領ケープのオランダ系住民、通称「ケープ・ダッチ」軍の一部もボーア側で参戦を始めており、ケープ・ダッチの大軍が
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