【韓国・日本】WBCの優勝トロフィーに村田のユニフォームをかぶせて雄たけびを上げる内川=米カリフォルニア州ロサンゼルスのドジャースタジアムで2009年3月23日、木葉健二撮影 【ロサンゼルス小坂大】チーム全員での記念撮影の後、輝く純銀の優勝トロフィーに背番号「25」のユニホームがのせられた。負傷のため、無念の途中離脱となった村田(横浜)のユニホームだ。グラウンドに持ち込んだのは横浜の後輩である内川。「村田さんがいたことを日本のみなさんに知ってほしかった」と話した。 【写真特集と詳報】イチローが決めた! 5度目の韓国との死闘 村田が負傷したのはのは2次ラウンド1組1位決定戦の韓国戦。右太もも裏側の筋肉を損傷、全治6週間の重症でWBCどころかペナントレースの開幕出場も絶望になった。車椅子に乗って日本に帰国した村田は、それでも「日本のために頑張ってくれ」と、米国の仲間たちにエールを送った。