二つのメダルがある。1932年レークプラシッド(米国)冬季五輪参加章と、同年にシカゴで開かれたスピードスケート・ウエスタンオープン選手権500メートル3位のメダルだ。スケーターはこれを日本に持ち帰れず、一人の技術者に託していた。70年近い歳月を経て7日、息子たちの元に返ってきた。 「祖父から受け継いだメダルを持ち主の親類に返せないか」。この春、そんな相談が朝日新聞社に寄せられた。相談者は、98年に95歳で亡くなった上妻(こうづま)知弘さんの孫で、東京都で通訳の仕事をする恵美子さんだ。 知弘さんは28年から旧満州(中国東北部)の満州製鉄化工課長として働いた。45年の終戦後も技術者として中国政府に留め置かれた。その間、日本への引き揚げ者から様々な品を託された。引き揚げはすし詰めで携行品が制限され、貴金属持ち出しも禁じられた。 知弘さんが故郷の熊本に戻ったのは48年。比較的恵まれた待遇で帰国でき