釧路川にかかる瀬文平橋(せもんびらばし)。 明治18年に開設された釧路集治監の囚人たちの最初の仕事が、硫黄山から標茶までの間の道路の整備と、この場所の橋をかけることだったそうだ。 それにより、硫黄山で採掘した硫黄を駄馬で橋まで運び、ここから船で釧路へ向け運ぶようになったとのこと。 橋の標茶よりのこのひらけたあたりに、積み替え所があったとのこと。 ※博物館網走監獄の今野学芸員さんの解説を参考にしています。 釧路川には、他にも、五十石、二十五石という橋がかけられているが、それはそれぞれその大きさの船が入れる限界の場所ということを意味しているそうだ。
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