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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (7)

  • 切り離された跡 - 傘をひらいて、空を

    勤務先は単科病院としては小さくない規模で、それでも医師はわたしを入れて十人。非常勤を入れてローテーションを組む。コメディカルの人数も知れたもので、全員で助け合わなければやっていられない。専門性と年齢とキャリアは考慮するけれど、負担は比較的平等に、事情があれば交代して、できるだけ風通しよくしたいと、おそらく八割がたの人間がそう思っている。やさしいからじゃなくて、そのほうが合理的だから。 おはようございます、とわたしは言う。おはようございます、と今日の手術パートナーが言う。現代医療は標準化されていて、しかもチーム仕事で、だから「名医」というものは存在しない。標準を守れば飛び抜けようがないし、飛び抜ける必要がない。だめな人間が消えていくだけだ。それが合理というものである。 手術の準備をする。この医院の手術はほぼすべてが内視鏡で済むものだ。人死にが出るようなものではない。患者さんが亡くなることはも

    切り離された跡 - 傘をひらいて、空を
    takets
    takets 2019/08/28
  • この町を出て、永遠に戻らなかった - 傘をひらいて、空を

    東京の下町に生まれた。放課後の主な居場所だった区立図書館には「郷土の棚」というのがあって、区内の歴史だとか、区内を題材にした落語を集めただとか、区内が登場する近代文芸のオムニバスだとか、そういうのが並んでいた。気が向いていろいろ読んだら、都市計画の大家が私の出身地一帯を指して「東京のスラム」と称していた。私は十二歳で、スラムということばを知らなかったから、辞書のコーナーに行って引いた。そこにはなんだかたいへんな印象の漢字が並んでいた。都市、貧民、貧困、密集、荒廃、失業。 私が子どものころに住んでいた小さな一戸建てはトタン屋根で、隣もその隣もそうだった。雨が降ればばらばらと大きな音がするもので、窓をあけて手を延ばしたら隣の家の壁に触れるものだった。戸主が年をとって銭湯に通うのがきつくなるとようよう自宅に風呂をつくる、そういう町だった。敷地の大きい家はたいてい町工場を兼ねていた。町にひ

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    takets 2019/06/25
  • 生徒会長から雲をもらった話 - 傘をひらいて、空を

    西脇くんは生徒会長でわたしは書記だった。中学生のころのことだ。わたしたちは素直ないい子で、クラスで推薦されて先生からもやってほしいと言われて全校生徒の前で選挙に出て生徒会をやっていた。わたしはピアノが得意で芸高の受験準備をしていた。西脇くんは進学校に行くつもりであるらしかった。わたしたちの中学校はどちらかといえばガラの悪い下町の公立校で、わたしたちはだから、相対的に優等生だった。 西脇くんは背の高いがっしりした男の子で、もじゃもじゃの髪を中学校の校則ぎりぎりまでのばしていた。黒縁のめがねをかけていて、そのめがねは上等のものだった。わたしは工芸に詳しくなかったけれど、それでもわかった。 そのめがね、いいね。わたしが言うと西脇くんはそれを外し、制服の裾でていねいに拭いて、見る、と言った。わたしはありがとうと言ってそれを見た。一見ふつうの黒いフレームのめがねだったけれど、流麗なフォルムをしていた

    生徒会長から雲をもらった話 - 傘をひらいて、空を
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    takets 2019/06/19
  • 記念写真の日 - 傘をひらいて、空を

    息子が卒園式でスピーチをすることになった。どうして選ばれたか知らない。保育園は学校ではない。成績とかはない。息子は引っ込み思案ではないが、人前に出ることを好むタイプでもない。発話能力だってとくに早熟なほうではない。だからたぶんてきとうに指名されたんだと思う。 親が子のスピーチの原稿を作るのはどうかとは思うが、六歳児にゼロからお任せというわけにはいかない。わたしは息子の話を聞き、ホワイトボード(うちには脚のついた、まあまあ大きなホワイトボードがある。家族会議や落書きに使用する)に書き留めた。もちろんさりげなく、というか、かなりあからさまに枝葉末節を切り、誘導し、穏当なところに落ち着けた。最初からわたしが書いたほうがどんなにか早いかわからない。しかしながらわたしは家族と感情を交換するときの手抜きはできるだけしない。そのぶん炊事の手はがんがん抜く。昨夜は一昨日の鍋の残り汁にうどんをぶちこんだだけ

    記念写真の日 - 傘をひらいて、空を
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    takets 2019/03/12
  • こいつも仲間じゃなかった - 傘をひらいて、空を

    読み終わった小説やマンガは人にあげる。家に置くときりがないからである。たいていのものは読んでくれそうな人がいて、会うときに持って行ったり、段ボールで送りつけたりしている。 いつもマンガを引き取ってくれる友人が言う。そういえばマンガ家の、ほらこないだデビュー作をくれた、あの人、二作目を出すみたいだよ。私はそれを聞いて、誰だろ、と言う。友人はちょっと眉を寄せてそのマンガのタイトルを口にする。こないだあんたがくれたマンガだよ、忘れちゃったの? 忘れていた。言われてみれば読んだ。いま思い出した。私がそう言うと、友人はちょっと上半身をそらして私をながめ、それから、小さい声で言った。ちょっと前からどうもおかしいと思ってたんだけど、あんた、家族愛にあふれたマンガなら平気で楽しく読むくせに、「親兄弟と不仲だった主人公が仲直りする」みたいな展開はすごく嫌いだよね。嫌いっていうか、記憶から消すよね、存在を。あ

    こいつも仲間じゃなかった - 傘をひらいて、空を
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    takets 2019/03/06
    良い
  • 迷信の誕生 - 傘をひらいて、空を

    炭酸の摂取がアルツハイマー病の発症と相関関係にあるという説があるらしいんです。同僚が言う。私たちはたがいの手元を見る。そこにはビアグラスがある。炭酸ガスがその存在を主張している。どこの説ですか、と私は尋ねる。そういう言い方から推測するに、たしかな話ではないのでしょう、そんな風説を思い出してはいけません、思い出すならどこの誰が発表したかくらいチェックしなくては。そうですよねと同僚が言う。エビデンスもない話を思い出すだけ損ですよね。そうですと私も言う。ファクトをチェックしなくてはいけないです。引用元がないものはだめですからね。そうです、孫引きも有罪です。 私たちはビールを飲む。彼女がその胡乱な説を思い出した原因は明白である。最近、彼女のいわゆるママ友のひとりが、若年性アルツハイマー病を発したのだ。近くの人がかかったからといって自分がかかる可能性が上がるような病気ではない。そんなことは彼女にもわ

    迷信の誕生 - 傘をひらいて、空を
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    takets 2019/02/13
  • 字がきれいで、声がいい - 傘をひらいて、空を

    私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが、書の先生が来る日に保育園の入り口にかかる札には、麗々しく「生徒募集中 月謝千円」と書いてあったから、まあ千円なら、ということだったのだろう。 保育園でいちばん大きい部屋に入ると長机がいくつかあって、子どもたちはそこに座って書く。床で書く子もいる。実にいろんな年齢の子どもが出入りしている。先生は午後いっぱいいて、子どもたちは好きなときに来て好きなときに帰る。授業のようなものはとくになくて、小学校で使うお習字セットを持って行き、保育園の棚の上のほうに仕舞ってある「千字文」というお手を見て書く。練習は新聞紙でやる。半紙を使うのはよく練習してからである。半紙

    字がきれいで、声がいい - 傘をひらいて、空を
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    takets 2019/02/06
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