昨季の明治安田生命J1リーグ。2017年12月2日の最終節で劇的な逆転優勝を遂げた川崎フロンターレを感無量の面持ちで見詰めた人がいる。00年12月から15年4月まで川崎の社長、それから1年間は会長としてクラブの発展に尽力した武田信平さん(68)だ。前編に続き、手塩にかけたクラブの歩みを振り返ってもらった。(聞き手は武智幸徳)01年から04年までJ2で戦い、05年にJ1に昇格すると平均入場者数は
今季の新体制発表会見で甲府の城福浩監督は「J1昇格」「プロビンチアの象徴」の2つを目標として掲げた。また松本山雅の反町康治監督はその城福監督の言葉に同意できると自身のインタビューで語っている。 世代別代表監督やJ1での経験も持つ両監督が見出す地方クラブ「プロビンチャ」の可能性とは。キックオフカンファレンスで伺った両監督のコメントを紹介しよう。 →甲府:新監督・新加入選手記者会見(J's GOAL) →反町康治監督「ここに骨を埋めるつもりで」(スピナビ) 甲府・城福浩監督 - わりと早い時期に監督就任の発表がありましたが、今季のチーム編成には城福さんの意向が反映されていると考えてよろしいですか? 誰を残して誰を出すかについては僕が就任するときには決まっていたので、そこは手を出せなかったんですけど、誰を入れるかについては強化部とかなり密な連携は取りました。ただ、ご承知のようにこのクラブは移籍
Jリーグは15日、20周年を迎える。93年5月15日、国立競技場で開幕した川崎-横浜M戦。当時スタンドで観戦していた東京MF石川直宏(32)が明日の5・15、ナビスコ杯新潟戦で国立のピッチに立つ。サッカー少年として抱いた夢を現実のものにした20年を振り返ると、Jリーグとともに成長した足跡があった。 夢にまで見た光景が、目の前に広がった。満員の国立。スタンドに揺れる各クラブの巨大フラッグ。上空には飛行船が飛んだ。川淵チェアマンによるJリーグ開会宣言の後、ライトに照らされながらV川崎と横浜Mの選手が入場。チューブ前田による君が代独唱の余韻も冷めやらぬ中、花火が打ち上げられた。5万人によるカウントダウン。キックオフのホイッスルが、Jリーグの始まりを告げた。 カズが大好きだった12歳になったばかりの少年。石川が国立のスタンドから見たあの時の光景は、今もはっきり覚えている。 「すべてが変わった瞬間。
ナビスコ杯で今季初先発を果たした平山は、2011年に負った重傷により、2年間本来の力を発揮できずにいた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】 FC東京の大熊清テクニカルダイレクターは「2010年は7得点を挙げて(復活の)兆しがあった」と言う。当時監督だった大熊は、J2に降格した東京の中軸に平山相太を据えることを決めた。迎えた11年シーズン、東日本大震災が列島を襲い、開幕の1試合を消化したのみでリーグ戦が中断。さあこれからという4月11日に、平山は栃木SCとの練習試合で思いきりゴール前に突っ込んでいき、相手選手と交錯し、右脛骨および腓骨骨折の重傷を負った。この負傷はチームにとっても計算外だった。ロベルト・セザーとペドロ・ジュニオールも想定していた力を発揮できず、もともと故障しがちだった高松大樹も5月14日の対ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)戦で負傷。長身のフォワードが不在となり、東京は大混乱に
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