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inspired by はてな村のパラドックス&まっくら森の歌(谷山浩子作詞・作曲) 光の中で みえないものが やみの中に うかんでみえる はてな村の やみの中では きのうは あした はてな Cry Cry さかなは空に 小鳥は水に タマゴがはねて 鏡が歌う はてな村は 不思議なところ 朝から ずっと はてな Cry Cry 耳をすませば 何もきこえず 時計を見れば さかさま回り はてな村は 心の迷路 早いは 遅い はてな Cry Cry どこにあるか みんな知ってる どこにあるか 誰も知らない はてな村は 動きつづける 近くて 遠い はてな Cry Cry 近くて 遠い はてな Cry Cry 以上、10秒で思いついたネタでした。お粗末。 しかし谷山浩子はやっぱり不思議だ。
正直なところ「はてな村」がどんなものを指すのか、よくわからんのですが。 たとえば技術系の話が好きな人の集まりだったり、ブログ論や議論が好きなが連中だったり、あるいはそれらが複合されたもを指して「はてな村」と括られていることが多いような気がするのだけど、どうも「はてな村」の定義にバラつきがあるようです。 どちらかというとはてなユーザーを快く思わない人(アンチはてなー)たちが、半ば揶揄気味に使うことが多いと思うのだけど、アンチはてなー曰く「馴れ合いキモイ」 だけど僕には、よく目にするはてなユーザーの人たちが特別「馴れ合っている」ようには見えないのですね。馴れ合いコミュニティの数は他のブログサービスと比べても少ない方じゃないかなぁ、僕の観測範囲では。 「そんなことないよ! はてなユーザーは明らかに馴れ合っていて、同調志向が強いよ! ‘はてな村’は確実に存在するよ! はてなブックマークのコメントを
■[はてな]異論がないところが村ですよ。 ネットのようなオープンの場では、村人ではない人が村で意見することができるので、異論が全くない村と言うのは、少なくともはてなでは生まれにくい。 問題は、異論を唱える者が集まりの中に受け入れられるか、あるいはその集まりの中にいる意義を見出せるかであろう。 それにより、多種多様な考え・正反対の考えが常に入り乱れる集団ができれば、それは村社会と呼ぶべきものではない。 しかし、それは異論がゼロじゃないということではない。 その場に異論があったとしても、異論を排除あるいはスルーし、同じ考えの村人同士があちこちのはてブエントリーで集まっている姿は、まさしく村社会と言えるものだ。 そこには、村人と村人ではない人がいるというだけであって、村社会がないこととは違う。 それが一ヶ所に集まっているから渦中の人の中にはいかにも同調して圧力をかけているように見える場合がある(
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