きまじめで融通がきかず、きさくでけなげできかん気で、なまじ男子よりもあたま回転がはやいものだからバカを愛でることを知らず、かといって個性と特性と天性をくべつできるほどの世知もなく、理想のなにものかになれるものなど学年にひとりいるかいないかなのに、このわたしこそがひとかどの人物にならなければいけないし、なれるはずだという幻想から逃れられず、映画と演劇と文学に造詣があるふりをしつづけ、過食か拒食におちいりがちなここにいるしんどい娘たちは、ワセジョと総称される。 これは清水博子さんの小説、「Vanity」の一節だ。「ワセジョ」とは、いわゆる早稲田大学に通う、または通っていた女学生たちを指し、彼女たちはこのようなメンタリティーを持つとされる。たかが4年間。それもサークルやアルバイトなどバラバラな過ごし方をしている大学で、人のメンタリティは似通っていくのだろうか? 「何者かになりたい」受け皿早稲田大